第5話 黒猫の錬金釜
リゼットは冒険者ギルドを出ると、錬金術師の店『黒猫の錬金釜』に向かう。受付で書いてもらった地図を確認しながら。
依頼品を納めることでそれなりの資金ができた。5000万ゴールドには程遠いが、ダンジョンに潜る準備資金の一部にはなる。
「…………」
冒険者向けの店が立ち並ぶ大通りを歩きながらリゼットは眉根を寄せた。
(尾行されている……)
背後に妙な気配を感じる。
いくら人通りが多くても、それくらいの気配は読める。立ち止まれば向こうも立ち止まり、角を曲がれば向こうの歩みが早くなる。
(妙な噂のせい? それとも教会関係者?)
いずれにせよ、宿を探して呑気に食事と睡眠というわけにはいかなさそうだ。
考えながら歩いているうちに、『黒猫の錬金釜』と書かれた看板が掲げられている小さな建物の前に辿り着く。
ひとまず用事を済ませよう――チョコレート色の重厚なドアをノックして、リゼットは建物の中に入る。鍵はかかっていなかった。
薄暗い店内は静かで、客の姿はなかった。それどころか店主も店員も誰もいない。
こぢんまりとした店だった。棚はあるが商品らしきものはほとんど並んでいない。
「あのー、どなたかいらっしゃいますか」
店の奥に向けて声をかけるが、反応はない。
鍵を開けたまま出かけているのだろうか。だとしたら不用心すぎる。
しかしこの匂いは何だろうか。店の奥から甘いような辛いような刺激的な匂いが漂ってきていた。
そして次の瞬間、小規模な爆発音が店の奥で響いた。
「か、火事?」
白っぽい煙がもくもくと漂ってきて、リゼットはすぐさまドアを開けた。火事だとしたらすぐに退路を確保すると共に、煙が充満しないようにしなければならない。
しかし煙はすぐに収まり、焦げ臭い匂いだけが残った。
「あははー、失敗しっぱい」
緊張感のない笑い声が響き、店の奥から黒髪のエルフが顔を出す。煤だらけの顔をタオルで拭きながら。
「あ、お客さん? いらっしゃい――ってリゼットじゃん! また会えて嬉しいよ!」
にこにこと、太陽のような満面の笑みが薄暗い店内で輝く。
錬金術師ラニアル・マドールは興味津々と言った様子でカウンター向こうの椅子に膝を乗せて身を乗り出した。緑色の目がきらきらと輝いている。
「あの、先ほど何かが爆発したようですが」
「いつものこといつものこと! それよりダンジョンはどうだった?」
「いつも、ですか……ダンジョンはとても素晴らしい体験でしたわ」
「なるほどなるほどぉ。あ、ドア閉めてくれる?」
室内の焦げた匂いもかなり落ち着いてきている。リゼットは言われたとおりドアを閉め、再びカウンターに戻る。
緑色の瞳と目が合った瞬間、錬金術師は目を見開いて椅子から転げ落ちた。
「あの、大丈夫ですか……?」
「な、な、な……なんでそんなに強くなってるのおお!」
「え?」
「初心者が一回ソロで潜って生還ってぇ普通じゃないよ!」
何故リゼットのレベルがわかるのか。
戸惑うリゼットの前で、錬金術師は床に倒れたまま納得したように手を叩いた。
「あーなるほど。スキルの【貴族の血脈】かぁ。これでスキルポイントが三倍になってるんだ。べんりー。ラニアル・マドールの目に曇りなし」
「え? このスキルにはそんな効果が……? いえそれよりも、どうして私のスキルが」
「あ、あたし鑑定スキルが使えるから」
「鑑定スキル?」
「人や物の鑑定ができるの。鑑定してほしいものがあったら有料で鑑定するよ〜」
(鑑定スキル……確か獲得可能スキル一覧にあったはず……取ろうかしら?……いえ、ここにくれば鑑定してもらえるのだからいったん保留しておく? うーんでも、とんでもなく便利そう!)
リゼットが考え込んでいる間に錬金術師は椅子に座り直し、カウンターに肘をつく。
「それにしてもやっぱり貴族様だったのねぇ。なんで貴族様がダンジョンに?」
「女神教会からダンジョン送りにされましたの」
「えーっ、貴族のお嬢様なのに」
「人生いろいろですわ」
「君をダンジョン送りにした人は、まさか正直にダンジョンに潜るとは思ってなかっただろうね~。冒険者相手の仕事をさせる気だったと思うよ」
もちろんその程度はリゼットも予想していた。だからこそ教会関係者から早めに逃げておいたのだ。望んでもいない働き口を紹介される前に。
しかし向こうの方が一枚上手だったようだ。もはや不名誉な噂が流れてしまっている。
(なんとかしないとこれから動きにくくなりそうね)
とはいえ、こちらからできることなど無さそうなことが、もどかしい。
「ラニアルさん、とりあえずアイテム代をお支払いしたいのですが」
「いいよいいよ。サービスだからさ」
「ですが……」
「じゃあもし階層のボスを倒したら、出てくる魔石を売ってくれない? あれ貴重でさぁ、冒険者ギルドに依頼出しててもなかなか入ってこなくて――」
「魔石とは、これのことでしょうか」
空飛ぶ巨大ウニのモンスターが落とした琥珀色の石をアイテム鞄から取り出し、カウンターの上に置く。
錬金術師は再び椅子ごと後ろに倒れた。
「あの、大丈夫ですか?」
カウンター奥を覗き込んでみると、錬金術師は床に転んだまま笑っていた。
「あはは、もうサイコー。君は才能あるよ。ダンジョン攻略する才能。すごすぎ」
「ありがとうございます。ダンジョンは小さい頃からの憧れでしたから、嬉しいです」
「いやいや、お嬢様の憧れる場所じゃないでしょ」
「おばあ様が若い頃に冒険者をされていたんです。私もいつかダンジョンに行くことを夢見て、おばあ様といっしょに小さい頃から森で訓練をしていました」
懐かしさが胸を満たす。あの頃は毎日が最高に楽しかった。あの日々があったからこそ、ダンジョンの中でも恐れずに行動できたのかもしれない。
「とはいえ訓練と実戦は別物ですわね。ダンジョンでは外の常識や法則が通用しないとは聞いていましたが、まさかここまでとは」
しかしそれはメリットでもある。
「ラニアルさんにお聞きしたいことがあるのですが、魔力を回復する薬はありますか?」
「あるよ〜。体内の第五元素を回復するエーテルポーション」
「それではこれで買えるだけください」
依頼達成で得たゴールドをすべて出す。
「いやいやいや! バランス悪すぎぃ!」
錬金術師は頭を抱えて叫ぶ。
「どれだけダンジョンに籠もる気? アイテム鞄の中は回復薬、魔法系ならエーテルポーション、毒消し草、帰還ゲート、身代わりの心臓、携行食料を入れるのが定番だよ! あとそれとは別に寝袋は必須ね」
「なるほど。それではエーテルポーションの他に、包丁とフライパンと食器、あと塩と香辛料。寝袋はありますか?」
「キャンプか! いやあるけどさ。人の話聞いてた?」
「はい。ですが少しワケがあってできるだけ地上には戻りたくないので、しばらくダンジョン内で暮らそうかと思いまして」
地上では妙な噂が流れている。その上さっきは何者かに後をつけられた。
リゼットにとっていまはダンジョン内よりも地上の方が危険だ。ほとぼりが冷めるまではダンジョン内で生活するつもりだった。
「はあ……なるほどねぇ。じゃあオススメはこの調理器具セット。ひとまとめにできるから鞄に入れやすいでしょ」
錬金術師が出してきたのは、深めのフライパンの中に包丁や調理器具が入っていて、それに蓋がついたセットだった。
他にエーテルポーション、塩と砂糖と香辛料といった調味料、ふかふかの寝袋が用意されていく。
錬金術師おすすめの装備を携えて、リゼットは再びダンジョンへ向かった。尾行されていようとお構いなしに。
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