南三局一本場

 海老原えびはらが「ロン」と発声した瞬間。

 ――ぷつん、と、君嶋きみしまの集中が途切れた。


 雀星杯南三局にて、一巡先を見る異能を打ち消された上で振り込んでしまった君嶋は、だらんと椅子にもたれかかった。


「すみません、ちょっとだけ。すみません」


 それは彼の処理能力のだった。

 考えてみれば当然の話である。確かに彼の処理能力は常人の域を逸脱していたし、複数の麻雀を打つ『多面打ち』には慣れ切っていた。

 しかし、雀星杯という大舞台で、全員の手牌を予想しながら書き換えていくという離れ業をやってのけたのだ。彼にかかった負荷は通常のそれではない。

 ふと、額に手を当てるととんでもない熱を持っていた。「いや、あっつ」

 そのままふらふらとした足取りで「すいません、顔洗ってきます」と席を立つ。


 残りの三人は少しだけ彼を心配したが、それよりも残り二局をどう戦うかの方に気持ちを割いていた。


 君嶋はトイレの洗面台でばしゃばしゃと顔を洗った。

 右手を濡らしてしばらく額に当てる。

 それでも全然熱は冷めなくて、彼は洗面台に両手をついてため息をついた。


 その時、トイレの扉がゆっくりと開いた。


「君嶋さん」

「……なんすか?」

 なんとか声を絞り出して顔を上げると、そこには意外な人物が立っていた。

「あなたは――」

「大丈夫っすか?」

 そこに立っていたのは、真城まじろノボル。

 雀星杯Aブロックで勝ち上がった『泥酔』の真城ノボルだった。

「えっと……真城さん、でしたっけ?」

 真城はそれに応えるようにひらひらと手を振った。

「すいません、トイレですか? 手洗うだけっすか?」

「いえ、あんたに用があって来ました」

「……俺に?」

 よく見ると真城はビニール袋を抱えていた。彼はそれを掲げてはにかむ。

「熱だろ、あんた」

「ええ」

「本当は冷えピタとかがありゃよかったんすけどね。会場にもそんなものは用意されてない。でもぬるい水道水で冷やすのも限界があるでしょ。だからこれあげますよ」

 真城はビニール袋からキンキンに冷えたビールのロング缶を取り出した。

「飲めってわけじゃない。これをデコに当ててたらだいぶマシになるんじゃないっすかね?」

「…………ありがとうございます」

 君嶋はお礼を言いながら首をひねった。

「どうしてこんなことを?」

「いや。特に意味はないですけど、こんなおもしれぇ〜麻雀を見てて、熱でダウンなんてもったいないって思っただけっすわ。別に冷えたビールを渡すくらいでフル回復するわけじゃないだろうし、せいぜい最後まで卓に座れるだけだと思います。それならこれはそんなに贔屓でもないっしょ。あんたが倒れたせいでその場の点数で決着が着くのもおもしろくない。ただの野次馬根性っすわ」

「…………ありがとうございます」


 君嶋は色々なことを思ったが、素直に受け取ることにした。


 額にビールを当てながら彼は卓に戻る。

 集中力も異能も戻ってこない予感はあったが、それでも最後まで打ち続けることくらいはできるはずだ。


「お待たせしました」


**


 君嶋タタリが退席している間、草野くさのユキは暇だった。

 暇だった彼女は、ふとカバンからコミックを取り出した。

「えっ、このタイミングで漫画読み出す人やばいっすね」

「イッペイちゃんも読むか?」

「じゃあ読みます」

 草野は犬伏いぬぶせにコミックを手渡そうとして――表紙の中峰とばっちり目があった。心臓が跳ねる。

「ちょっと待って、私こっち読むわ」

「…………」

 草野はそのまま別のコミックを手渡そうとして――表紙の西河と目があった。心臓が跳ねる。

「ちょっと待って。やっぱこっち読むわ」


 犬伏と海老原は顔を見合わせる。

 彼らは嫌な予感を覚えた。

 草野の異能がことは既に割れている。

 東二局にて、推しキャラに順位をつけさせる君嶋の何気ない一言で彼女の異能は無効になったが、この休憩でなにかが変わるかもしれない。

「……草野、さん」

 没頭し始めた彼女に犬伏が恐る恐る声をかけた。

「草野さーん」

 彼女からの反応はない。

「ユキ〜〜〜〜!!」

 反応はない。

 それを見た海老原がぽつりと呟いた。

「南雲」

「えっ、南雲? 南雲どこ?」

 反応があった。

 犬伏と海老原は苦笑しながら、ダメ元でもう一度東二局の君嶋と同じことを聞いた。

「草野さんって、結局誰が好きなんですか?」

 草野は笑いながら返した。


「考えてんけどさ。やっぱみんな好きやわ」


**


 麻雀を打っていると、時々かと錯覚する瞬間がある。

 草野にとって、それが今だった。


 ドラ表示牌が、北。


 つまり、南三局一本場は東がドラである。


 彼女は配牌を開けて微笑んだ。


 いつも通り南が暗刻。

 そして、西と中が対子。

 最後に――ドラの東が暗刻。


 脳裏に字一色や大四喜などの役満がチラつく。

 さらに彼女は第1ツモ第2ツモで北と發を持ってきた。

「マジか~~~~!」


 君嶋は、知らない。

 草野が再び、中峰と西河に興味を持ち始めたことを、席を立っていた君嶋だけは知らない。


「ポン!」

 君嶋が何気なく切った中を、草野が鳴いた。

 前局の君嶋なら止まっていたかもしれない。

 しかし、今の彼はまともに脳が働いていなかった。缶ビールだけでは冷静になり切れなかった。

 犬伏の顔が曇る。

 やや遅れて、君嶋は自分が行ったことの重大さに気が付く。

「マジすか。やらかしました」

 しかし時は既に遅い。


 草野ユキ、自力で三枚目の西をツモる。

 彼女の手牌が黒く染まる。


 北か發での単騎待ち。

 この場で振り込みは期待できないだろう。自力でツモるしかない。

 そして、ダブル役満は必要ない。

 彼女は河を見て、北はドラ表示で一枚使われていること、發はまだ出ていないことを確認した。

 ならば、確率的には發か。

 強く、北を切る。

 


 彼女が辿り着くその和了は、手牌を数字ではなく文字だけで染め上げた、最強の役のひとつ。

 その和了は、物語を愛する草野ユキに相応しい、文字一色の和了。

 その和了は、『推し活』の集大成が、ここに極まったことを――――


「――――ロン」



 低い声がした。


 草野が切った北に対して、牌がパタリと倒れる。


「あー、それです。七対子。2400は一本場で、2700」


 海老原ミナミ、


 これが、『打ち消す者』

 これが、『三麻王』 


「二本場です」


 南三局は終わらない。



 

■南三局一本場・終了■


君嶋:21400

草野:24200

海老原:39500

犬伏:14900

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