すずめの星

南三局二本場

「はっ――？」

　海老原（えびはら）に振り込んだ草野（くさの）の呼吸が一瞬止まる。

　北の単騎待ち。

　確かに七対子を張った際、字牌で待つことはよくある。

　既に場に何枚かでている字牌は、基本的にはノーマークで放出されるからだ。

　しかしこの場に限っては、明確に草野を狙い撃ちしたようにしか見えなかった。

　役満字一色（ツーイーソー）の聴牌待ち変えを狙い撃ちされた彼女の精神状態はボロボロだった。

「…………なんやねんそれ」

　普段の軽い口調とは打って変わった低い声で、草野は点棒を卓に置く。

　2700点はさほど大きな点数ではない。振り込んでしまったが、彼女は未だに2着である。

　問題はそこではなく、東がドラで暗刻になっていた最大のチャンスを逃してしまったこと。

　『推し活』の進化により、最推しの南雲とドラゴンは暗刻で、その2人には及ばないが依然大好きな西と中は対子で配牌に来るようになった。

　しかしその能力の進化すらも周りにバレた今、西と中が他家からこぼれることはほとんど無いだろう。

　絶望的だった。

　口数の少なくなった草野は大きく深呼吸をする。

　それでも、まだ可能性はあるはずだ。

　それが深呼吸だったのか、単なるため息だったのかは、本人にもわからなかった。

＊＊

　雀星杯（じゃんせいはい）Bブロック南三局二本場。

　現在圧倒的トップの海老原は、それでも全く油断をしていなかった。

　彼は君嶋（きみしま）と草野の異能を解体し、2着の草野と約15000点の差をつけている。

　観客の多くは、ゲームが決まったと思っているだろう。

　海老原が完全にこの場を掌握したと思っているだろう。

　しかし、彼の考えは違った。

　15000点なんてあってないようなものである。雀星杯Aブロックでは開幕役満やドラ8聴牌が横行していた。そしてこの卓でも南ドラ3が確定している者、立直一発ツモが確定している者がいる。

　あー、いいや、違うなと海老原は首を横に振った。そんな異能の話ではない。　

　彼らの目が、全く死んでいなかったのだ。

　『三麻王』はこれまで何度もプレイヤーの心を折ってきた。

　彼の麻雀は、相手プレイヤーの強みに対応した上でそれを潰す。特技や異能を自認しているプレイヤーほど、彼に敗北した時のショックは大きいだろう。

　だから彼と相対したプレイヤーのほとんどはオーラスに行くより前に戦意を喪失していたし、海老原はそれが不満だった。

　最後まで楽しく麻雀を打てる相手を探していたら、いつの間にか王と呼ばれるようになっていた。

　それがどうだ。

　異能を破られただけでなく、脳がオーバーヒートしている君嶋は、それでも缶ビールを額に当てながら虎視眈々と回復に当てている。

　おそらく役満を聴牌していてそれを潰された草野は、怒りの籠もった目で海老原を睨みつけている。

　こいつらは――まだ死んでない。

　必ずこの局やオーラスで、きっちり決勝へ上がる手を作ってくる。

　そんな卓で何を油断できようか。

　そして、彼が油断できない理由はもう一つあった。

　それは未だ一度も手を開いていない、犬伏（いぬぶせ）イッペイの存在。

　海老原は薄々彼の作戦に気が付いていた。

　気が付いていたが、わかってても止められる代物ではなかった。

　嫌な予感がしていた。

　そして海老原の嫌な予感は、的中することになる。

＊＊

　麻雀を打っていると、時々突風が吹いたかと錯覚する瞬間がある。

　前局の草野ユキのような、配牌で役満が見えるような瞬間。

　犬伏イッペイは、その風を背中でひしひしと受けていた。

　無意識のうちに抱えていた小袋からカントリーマアムを取り出す。

　それは、合図。

　彼が課題解決へのルートを見出した時の、合図。

　南二局にて、兎田と真城は同時にこう言った。

　「だったら海老原を倒すには――！」と。

　彼ら二人が思いついた海老原を倒す策は、十分現実的なものだった。

　そして、それを実行できるのはBブロックには犬伏しかいないことも気が付いていた。

　東一局で満貫を和了った草野も。

　東四局でチョンボをした君嶋も。

　おそらく、Aブロックで激戦を繰り広げた真城と兎田も。

　彼らには、その手段で海老原を倒すことが出来ない。

　しかし犬伏だけ。

　唯一、犬伏イッペイだけは、それを実行する権利を持っていた。

　後手必勝の対応者、『打ち消す者（キャンセラー）』、『三麻王』を如何にして倒すか？

　王は、一の矢で殺す。

　初手で、初太刀で、一撃目で殺す。

　未だに一度も手牌を見せていない犬伏イッペイ、聴牌。

　海老原には止められなかった。

　じっくりと分析していれば、仮説くらいは立てられたかもしれない。

　しかし海老原にとって――『三麻王』にとって、犬伏の捨て牌は至極自然で。

　それ故に、彼の手牌に字牌と萬子が一枚も来ていないなど、想像できなかった。

　ついに、犬伏が持ってくる。

　聴牌をチョンボで流され、以降は適度に牌を散らしていただけの彼の手に、ようやく奇跡が舞い降りた。

　運の悪さと向き合い、来るかどうかもわからないいつかを最後まで待つことができた彼は、ようやくカントリーマアムを食べることができた。

「ツモっ！　――ツモや！！！！！」

　その和了は、生と死の狭間に存在する。

　確率の問題だ。

　索子と筒子しか手に来ないなら、そうなる確率は、他家よりも断然高い。

　その和了は、犬伏を遥か高みへと連れて行く。

「九蓮宝燈」

　――役満。

　最も美しい和了。

「8000-16000は二本場で、8200-16200です！」

　王の喉元に宝刀が突き刺さった。

■南三局二本場・終了■

君嶋：13200

草野：16000

海老原：23300

犬伏：47500