勝負のあと
「もっ…………もも、ももも…………っ」
劇的決着の直後。
「……モモモ?」
どうしてこの子は自己紹介をしたんだろう、と
猿川は、『もう一局』と言いたかった。
最近麻雀を学び、まだ対局回数の浅い彼女にとって、麻雀をここまで楽しいと感じたのは初めての経験だった。
もう一度。もう一度この痺れるような戦いを繰り広げたい。このメンバーで麻雀を打ちたい。
しかし彼女は、そんな熱い戦いを終えたあとだからこそ、この一局の重みを知っていた。
軽々しくもう一局なんて言っていい戦いではなかった。
だから彼女はゆっくりと目を閉じて、「ありがとうございました」と絞り出した。
不意に視界がぼやけて、眼鏡のグラスに雫が落ちる。
あと一歩だった。
もう少し麻雀を知るのが早ければ、もう少しセオリーを知っていれば、私はもっと戦えたかもしれない。
悔しいなぁ。
でも。
それと同時に思う。
――これまでの人生で、泣くほど悔しかったこと、あったっけな。
「……楽しかった、です。決勝、頑張ってください」
「ありがとうございます」
「……サンキュ」
兎田は笑顔で、最後の最後に順位を捲られた
「僕も楽しかったです」
**
結局僕は、麻雀で勝てなかった。狐火は叫び出したかった。
ハルちゃんを失って、麻雀も失ったままだった。
もう僕にはなにもない。
今後、あの時の妄想のように彼女と水族館に行くことはないだろうし、それでも時々ああやって脳裏に彼女の笑顔がちらつくんだと思う。
本当は、麻雀で勝ったらもう一度ハルちゃんにアプローチするなんて変な理屈だとわかっていた。
麻雀で嫌われたんだ。麻雀に勝ったからって彼女の好感度があがるはずない。
あれは一種の自己暗示であり、それほどまでに彼は勝ち上がりたかった。
特殊な和了で点数を稼ぐことはできたけれど、役満親っ被りや槍槓が痛く、結局1着には届かなかった。
「…………僕には」
下を向いたまま狐火は呟く。
僕にはなにもない。
しかし彼の脳裏には、未だにドラの暗槓や海底摸月の痺れが残っていた。
「僕には…………」
ハルちゃんに振られて、麻雀で負けた。
それでも彼は対局中、確かに
麻雀は、良くない手牌もツモひとつ、マインドひとつで如何様にも輝くことがある。
「僕は……!」
僕にだって、和了れたじゃないか。
明らかにバケモノしかいなかったこの卓で何度も和了れたし、最後もトップ争いに関われた。
惜しい戦いだったんだ。
――次は負けない。
麻雀の勝利も、ハルちゃんも、次は絶対に手放したくない!
狐火は勢いよく「ありがとうございました!」と言い、卓を後にした。
狐火コンの麻雀は、鳴かないとはじまらない。
そして。
狐火コンの人生は、動かないとはじまらない。
ハルに振られて以来ずっと止まっていた彼の時間が、ようやく動き始めた。
**
「
「やるやんけ〜〜!」
兎田と草野は片手を挙げて勢いよく合わせる。
ペチ、とハイタッチの音が響いた。
「次はこっちの番やな」
「決勝で会おう。まあ、そっちもなかなかの曲者揃いというか……あの『三麻王』がいるけど」
「せやねんなぁ……」
兎田は、言ってしまえば南と西が暗刻になるだけの『推し活』で『三麻王』に勝てるとは思えなかった。
しかし、何が起こるかわからないのが麻雀である。トッププロでもツモ次第で素人集団に負けることがあるのが麻雀である。
「がんばってね」
「決勝でボコボコにするから首洗っとけよ〜! また会いましょう」
「言ってろ」
草野は小さなカバンを持って、雀星杯Bブロックの卓へと歩いていった。
草野に向かって手を振っていると「あの、兎田さん」と低い声がした。
『三麻王』
「どうしました?」
「答えにくかったら答えなくて全然大丈夫なんですけど、兎田さん」
「……はい?」
「東三局の嶺上開花と、オーラスの一発。なんかしました?」
「っ――」
海老原が指定したのはまさしく『牌送り』を発動した局だった。
「何の話です? え、イカサマとか疑われてる?」
「あー、いやいや、イカサマとは思ってなくて。ただ、なんかしたんじゃないかなって」
「…………」
「まあいいか。決勝進出おめでとうございます。では、私も戦ってきますね」
『牌送り』は『泥酔』や『カンドラ』と違い、表に出にくい異能である。
それ故に、海老原の発言に兎田は心底驚いた。
その観察眼に、彼の王たる所以を見た気がした。
「草野、気を付けてね」
届かない声で、彼は親友に激励を飛ばす。
雀星杯本戦Bブロック、開幕。
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