すずめの星

南四局

　雀星杯（じゃんせいはい）Aブロック、オーラス。

　真城（まじろ）ノボルは配牌を見てため息をついた。あまりいい手ではなかった。

　南二局の一本場で猿川（さるかわ）を流すために無理して手を進めた反動だろうか、なんてオカルトじみたことを考える。

　しかし彼は気持ちに余裕があった。

　この卓は上位2人が決勝へと進める。

　現在真城がトップなので、振り込まない限り必ず決勝へと進めるのだ。

　兎田（とだ）が連荘を重ねても、狐火（きつねび）がとんでもない手で和了っても、振り込まない限り、なんでもいい。

「そう思うと、配牌が良くないのは逆にいいじゃんね」

　もうこの卓では、和了も酒もいらない。

　……本当は酒を飲みたかったが、判断を鈍らせて振り込んだら最悪だ。

　落ちている勝ちは拾いに行く。真城は自制心でビールを飲みたい気持ちを押さえつけた。

　もし兎田が連荘してもう少しこのゲームが続いたら、俺は酒を飲まずにいられるのだろうか。

　彼の敵はもはや三人ではなく、湧き上がってくる己の欲望だった。

＊＊　

「っし！」

　起死回生の満貫ツモで点数を稼いだ狐火は右手を強く握った。

　もう一度満貫ツモをすればちょうど30000点で1着となる。

　また、この戦いは1着と2着が先へと進めるため、現在2位の猿川から5200点以上で和了れば逆転となる。

　しかし彼にややこしい点数計算は必要なかった。

　タンヤオか役牌さえあれば、『カンドラ』でドラ4がつき、満貫達成するからである。

　仮に最下位の兎田から満貫を和了ったとしても、猿川と同率2着となり、その場合起家の狐火が2着として上へあがることになる。

　無理な高い点数はいらない。

　タンヤオか役牌、そして刻子。狐火は祈りながら配牌を開いた。

　麻雀は、初めに13枚の牌が配られて、一局につき18枚ほどツモることができる。

　その30枚前後の牌で役を作って和了る競技。

　配牌が良ければ18枚も引き直さずに和了ることができるかもしれないし、配牌が悪ければ30枚全部使っても和了れないかもしれない。

　どんな一流プレイヤーでも、必ず運命に翻弄される。

　だから雀士たちは祈る。

　毎局毎局、祈るのだ。

　姿勢を正して両手を揃え、配牌に手を置くその所作は、祈りの所作によく似ている。

＊＊

　猿川モモモは配牌を開いて笑みがこぼれそうになった。

　両面塔子（リャンメンターツ）がいくつか見える、かなりの好配牌。

　現在2着の彼女は、初心者ながらに気付いたことがあった。

　麻雀は、相手を降ろすゲームではないかと。

　例えば東四局一本場の狐火。

　彼はドラを暗槓して、ドラ8を晒した。

　それにより親の兎田も真城も、もちろん猿川もただただ降りた。

　万が一にでも振ってしまえば、ゲームが決まる。だから和了に向かえなかった。

　麻雀にとって最大の防御とは、ベタオリではなく先制して高い手をチラつかせることなんじゃないだろうか。

　もちろんその時と今は状況が違う。今はオーラスで、狐火と兎田は和了れなければ決勝へと進めない。

　しかし、高い手が見えたらトップの真城は降りるだろう。

　それに、狐火と兎田も明らかな危険牌は切れなくなるはずだ。

　切れない牌ができるということは、必然、和了へのルートを迂回しなければならない。

　つまり、彼らよりも先に和了れる可能性が高くなっていく。

　麻雀に正解はないが、彼女が辿り着いたのはひとつの答えだった。

　先に手を作り、相手を降ろす。効果的なのは染め手やドラ、そして立直。

　猿川モモモは麻雀初心者である。

　否、麻雀初心者であった。

　彼女はこの半荘を通して、確かに成長し、自分なりの麻雀理論を組み立てた。

　モンスターしかいないこの卓で、初心者の彼女が跳満をツモれた時点でそれは明らかだ。

　彼女はどんどん吸収し、雀星（じゃんせい）と呼ばれるにふさわしい一流のプレイヤーとなった。

　それを証明するかのように、彼女はどんどん有効牌をツモっていく。

　そしてついに、その瞬間がやってきた。

　猿川モモモ、聴牌。

　自身の異能である『親っ跳ね』以外で――つまり、親番以外で聴牌をしたのはこれが初めてだった。

　彼女はこれまで、ずっと麻雀に打たされているような感覚があった。

　勘で打ってもなぜか聴牌する親番に、絶対うまくいかない子番。

　その感覚は、南二局で鳴いた瞬間に少しだけ薄まり。

　自力聴牌を作った今、完全になくなった。

　体中に喜びが迸る。

　麻雀プレイヤーなら誰もが経験したことのあるであろう、初聴牌の喜び。

　私は今、麻雀を打っている！

　震える手で1000点棒を取り出して、牌を横向きに倒した。

「立直！」

　そう宣言して、ロン牌を見逃さないように注意深く切った牌を見る。

　自分のツモもしっかりと確認して切る。

　彼女は生まれて初めて、立直後の牌をめくるたびに来るあの高揚感を体験していた。

　彼女は辿り着いていた。

　麻雀に正解はないが、彼女が辿り着いたのはひとつの答えだった。

　先に手を作り、相手を降ろす。効果的なのは染め手やドラ、そして立直。

　自分で掴んだそのセオリーを、彼女は実現する。

　しかしこの卓には、立直を許さぬ男が一人。

　兎田シュウの、口元が緩んだ。

「追いかけます。立直」

　兎田、強気の追っかけ立直。

　そして直後に猿川モモモがツモったのは、最大の味方であり、最悪の敵になり得る牌だった。

　自分の手で使えないのであれば、絶対に引きたくなかった一枚。

　毎局必ず4枚が選出される、運命（ドラ）。

　――牌送り。

　兎田の能力で猿川モモモの元へと送られたのは、ドラ牌。

　彼女はこれで和了れず、ただ機械的に、それを切るしかなかった。

「――ロン」

　兎田の牌が倒される。

「立直、一発、七対子、ドラドラ。18000点です。これでトップ、ですね」

　雀星杯本戦Aブロックは、1着兎田、2着真城という結果で、劇的に幕を閉じた。

■南四局及び雀星杯Aブロック終了■

狐火： 22000

猿川：12000

兎田：34400

真城：31600

■決勝進出者■

兎田シュウ

真城ノボル