南三局
「あはっ、
ハルちゃんの指差したほうを見るとアカエイが水槽に腹の部分を向けて、その間抜けな顔を晒しながらひらひらと動いていた。
「可愛いなあ」
エイに向かって思わず手を振り返す。
本当に可愛いのはエイじゃなくハルちゃんだったのだけれど、それをストレートに伝える勇気はまだなかった。
伝えてしまうと、関係性が固まってしまうから。
僕はまだ、この名前のない関係性に身を委ねていたかった。
ハルちゃんとの水族館デートはとても楽しくて、手痛く振られた麻雀の夜のことなんてなかったかのようだった。
「やっぱり水族館は超楽しいねぇ~!」
弾けるような笑顔でハルちゃんが言った。その顔を見ると僕まで釣られて笑顔になってしまう。
「ハルちゃんは水族館好き?」
「大好き!」
……今の、録音しとけばよかった。
「都内の水族館は結構回ったかも」
「そっか。じゃあさ……もし、もしよければでいいんだけど、今度他の水族館も一緒に行こうよ」
思い切ってそういうと、「もちろん!」と返事が返ってきた。
そのまま袖を引っ張られて、誘導される。
「あっちにクラゲコーナーあるよ!」
「クラゲ、綺麗だよね」
水族館側もクラゲと映えのシナジーを理解しているので、わざと暗めの部屋に綺麗目なLEDまで用意している。
クラゲ、クラゲ、クラゲ……
**
クラゲ。
一筒。
0.2秒だけ思考が彼方へと飛んで、嘘の未来を想像していた狐火は、四枚目の一筒をツモった。
これまでの派手な戦いとは違い、静かな局だった。
親番を逃した
真城は適度に和了へと向かいながらも、不穏な空気を察知したらすぐに散らしていた。
終盤まで誰も聴牌しておらず、唯一狐火の
最下位の狐火は焦っていた。
ドラによる火力麻雀を得意としている狐火は、オーラス近いこの場面で最下位を走っている経験がほとんどなかった。
だからこそ、和了れる見込みがないまま八萬をポンしてしまったし、現実逃避の妄想を繰り広げてしまった。
しかし、その現実逃避の妄想こそが、逆に狐火の背中を強く押した。
「負けてらんない! 僕は、こんなところで負けてらんないんだ!」
ここで勝って、水族館に行く。そして一緒にクラゲを見るんだ。
一筒からクラゲを想起した彼の脳裏に、もう一度ハルの笑顔が咲いた。
「カン!」
一筒の暗槓。
当たり前のように新ドラが乗り、狐火の手元には八萬と一筒が晒された。
手元に役はない。
役はないまま狐火は
「さっき和了ったんだ、もう一度嶺上開花で和了りたい!」
――先ほどの嶺上開花は兎田の『牌送り』によるものである。通常、嶺上開花で和了れることなどほとんどない。
しかしこの時の狐火は、それを和了ってしまうかもしれないと勘違いするほどの凄みを持っていた。
「……クソっ!」
しかし、凄みだけで和了れるのなら苦労はしない。
狐火の嶺上開花は不発に終わり、そのまま牌をツモ切った。
聴牌ではあるが、役なしになってしまった終盤戦。
「このままじゃ駄目だ。このままじゃ僕はハルちゃんに会いに行けない。このままじゃ駄目だ!」
役なしの手を抱えたまま、彼は唇を嚙み締める。
一方、兎田は安堵していた。
『カンドラ』で一番怖いのは役牌、タンヤオ、嶺上開花の三つだ。
比較的作りやすい役牌とタンヤオに、カンすれば確率でついてしまう可能性がある偶発役の嶺上開花。
それらがなくなった時点でこの局は和了ることはない。そう思っていた。
最初に気が付いたのは、今一番場を見通せている真城だった。
しかし、気付いたところでどうしようもなかった。
少しだけ遅れて兎田も気が付く。
「っ――まずい!」
狐火のカンは和了れなかったが、無駄ではなかった。確かに、運命を引き寄せていた。
彼のカンにより、巡目がズレていた。
麻雀にはいくつか偶発役と呼ばれる役がある。
カンをした嶺上牌で和了ればつく
誰かがカンをした牌で和了れる
そして。
「……ツモ!」
その和了は、海の底から希望を掬い上げることを意味する。
その和了は、最後の最後まで諦めなかったものにのみ降りてくる海底の月。
狐火の思考の片隅で、
「
海底摸月は、山の最後の一枚が和了牌だったときにつく偶発役である。
■南三局終了■
狐火: 22000
猿川:30000
兎田:16400
真城:31600
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