ep. 45 燻火の姫(4)
蓮華は、肩越しに陽乃の様子を一瞥した。
指示がなくとも、出流と鹿花が手際よく寝床を用意し、トウジュの力を借りて意識のない陽乃の身体を安静な体勢へ横たえようとしているところだ。
蓮華は青へ向き直った。
「彼女は大丈夫。呼吸は落ち着いているし、黒い痕も消えたわ。それよりシユウ君の方が具合悪そうよ」
「……問題な……痛っ……」
青は眉根を寄せる。
持ち上げた左腕に、皮膚を強く引っ張るような痛みが走った。
今日はことさらに疼痛(とうつう)が重く、長引いている。確認しなくとも、中で赤く蚯蚓腫れになっているであろう事は長年の感覚で分かった。
「左腕がどうかしたの」
「大丈夫です、何とも」
古傷だとごまかして、青は左半身を退いた。
その様子に訝しげな視線を残しながらも、蓮華はそれ以上の追求はしない。
少なくとも、今は。
「シユウ君、それは?」
蓮華の視線が、青の右手を向いた。
「ん?」
指摘を受けてようやく自覚する。
強張りが抜けない青の右手の中に、固い感触があった。
恐る恐る指を開いてみると、鶏卵と鶉(うずら)卵の中間ほどの大きさの黒い塊が、手のひらに転がる。
「やっぱり瘴種(しょうしゅ)なの?」
「それにしては形が……」
青は黒い塊を木漏れ日にかざした。
卵形の表面が、細かい無数の凹凸で覆われていて、爬虫類の鱗のようでもある。
指先で少しずつ回転させる。格子状に並ぶ鱗状の凹凸の表面に刻まれた、人工的な線が見えた。
正円の中に五方向へ放射する日足が描かれている。どこぞの家紋か、屋号紋か。円や直線のみで表した簡素な意匠が、いかにもだ。
「もしや、呪具の一種ではないでしょうか」
「……という事は、やはり呪術、か」
紅鶴の推測に、青の心臓が小さく跳ねた。
悪心が再び込み上げる。
蜥蜴、そして呪具。
青にとって、強烈な記憶として残る単語の組み合わせだ。
かつての護衛任務の折、凪の山賊らが掴まされていたのも、炬の大蜥蜴が封じられていた呪具であった。
それを手配したのが、陽乃の侍女の檀弓だ。
出元は炬の呪術師だと言っていた。
「え”……そんなもの、持ってて大丈夫なの? 早く処分方法を考えたほうがいいわよ」
呪具と聞き、蓮華は身体を退いた。
口端を分かりやすく歪めている。
「……五本の日足……五葉……」
意識のどこかで蓮華の声を聞きながら、青は黒い卵に彫られた模様を見つめた。
見方によっては、どこか陽乃の背に浮かんでいた痕の形、紅葉か赤子の手のひらのような五葉、と類似しているとも言える。
「っ……」
青は息を呑んだ。
急に、軽い目眩がして焦点がぶれる。こらえようとして、覆面の上から顔を押さえた。
拍子に、手の平から卵が転がり落ちる。
小石や土の凹凸に当たって不規則に跳ね返りながら、卵は廃屋脇の茂みまで転がって消えた。
「小生が。……あ、これこれ!」
卵を追いかけた紅鶴が茂みに向かって、珍しく慌てた声を上げている。
青が腰を上げて覗いてみれば、飴色の毛並みが雑木林へ逃げていく様子が見えた。
「狐?」
青も紅鶴に続き、狐の後を追う。
「グゲッ、ゲッ、ゲゲッ」
奇妙な鳴き声が聞こえてきた。
日当たりの悪い林の中で、冬毛に膨れたアカギツネがひび割れた声を漏らしながら、地にのたうち回っている。
「さきほどの卵を飲み込んだようなのですが、様子が――」
「――え」
紅鶴の説明が終わる前に、すでにその現象は起きていた。
狐の柔らかで豊かな冬毛が目に見えて縮れていき、部分的に糊で固めたように皮膚に貼りつき始める。
顔面周辺から下半身に向けて硬化していき、鱗のように細かな溝を刻みはじめた。
毛並みだけではない。
狐特有の細長い口吻(こうふん)が、みるみる膨れて肥大化し始める。
ひび割れた苦悶の声を吐く腔内には、犬歯ではなく鋸状の歯がずらりと並んでいた。
目に見えて刻々と、形状が変化しているのだ。
狐から、蜥蜴に似た何かへと。
「あの時と似ている……」
青の脳裏に浮かぶのは、呪具によって大蜥蜴に姿を変えた、哀れな凪の盗賊たちの姿だ。
「始末いたす」
抜刀した紅鶴が雑木林へ踏み込むと同時に、
「グゲゲゲゲッ、グウゥウ」
濁った威嚇の声をあげて「狐だったもの」は顔を上げた。
下半身の形状は辛うじて四つ足の哺乳類の原型を留めているものの、首や口吻は二倍の太さとなり毛皮も硬化した鱗と化している。
「ゲゲッ、ググフッ、グフッ、シュゥウウウウ」
鳴き声が徐々に、噴射音に近づいていく。
大蜥蜴の威嚇音だ。
「蜥蜴になりつつある、狐だったもの」は、何かに呼ばれたかのように、背後の山側の森へ太い首を向けた。
そして緩慢な動きで体ごと方向を回転させたかと思うと、急加速して山へ向かい這いずり出す。
もはや、狐の走り方ではない。
「……っ!」
滑稽にも見える異様さで呆気にとられかけたが、反射的に青の手が苦無を掴み、走り去る異形の背面に向けて撃ち込んだ。
刃が首筋付近に命中し、血とも体液とも言えない薄墨色の液体が飛び散った。
が、止まることなく蜥蜴になりかけた狐は山道の方へと姿を消す。
その道筋に、体液が点々と、続いた。
「……放っておくのは危険だ。追いかけよう」
「承知。お見事です」
気を取り直して目配せし、どちらからともなく山道に向かい走り出した。
「え?? あ、わ、私も……!」
山に入って行く大人二人組に気づいた鹿花は、慌てて荷物を手繰り寄せて背負う。
がしゃがしゃと鞄を鳴らしながら、二人を追って林へ入った。
「何、どうしたの??」
蓮華が呼び止めるも、三人の毒術師たちの姿はあっという間に山道の奥へと見えなくなった。
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