幕間・終 <修繕>

「ご挨拶を、させてもらってもいいかな」

「え?」


 初霜を待つ、凪の初冬。

 小屋の修繕の手伝いにやってきたキョウが、玄関先で足を止めた。視線の先に、藍鬼の仮面と、朱鷺に進呈した旅の記録冊子がある。


 棚の一角に置いた二人の師匠の遺品、その前に青が一輪挿しの花を置くなどしていたので、自然と祭壇のようなあしらいになっていた。


「ぜひ…!」

 破顔する青へ、キョウは、

「お師匠さんたちが、お好きか分からないけど」

 と、焼き物の徳利を括りつけた紐を持ち上げる。

 酒の名産地として有名な、凪の北部の地名が達筆に書かれた札が貼られていた。


「いいですね。作業が終わったら、おこぼれにあずかりましょう」

「そう思って美味いのを選んできた。ついでに肴になりそうな物も」

「ふはっ」


 簡易祭壇の前に正座するキョウの斜め後ろに、青も座る。こうして誰かと二人の師へ手を合わせる日が来るとは、思いもしなかった。


「さて、どこから始める?」

「やっぱり、入口の戸ですね」


 庵直伝の修繕手帖に従って、一か所ずつ順繰りに小屋の修繕を進める。

 森から材料を調達して小屋の前まで運び込み、地面に広げた茣蓙の上に座って手順通りに木材へと加工する。

 普段は馴染みがない大工道具を使った作業は、新鮮で楽しいものだ。


 手を動かしながら、青は饒舌だった。

 シユウであるうちは誰にも明かす事が許されなかった事をたくさん、キョウにぶつけるように語った。


 小屋の持ち主であった藍鬼との出逢い、別れ、毒術の道を目指したきっかけ。

 獅子國での生存が確実視されている、麒麟・禍地と藍鬼の関係。

 技能師における麒麟の継承制度について。

 そして、毒術の麒麟を取り戻すために必要な事。


「その使命を…いずれ大月君が担うのか…?」

 それまで、ほぼ一方的に話し続ける青の言葉を受け止めていたキョウが、初めて流れを切った。


「それは、まだ分からなくて」

 木枠にヤスリをかける青の手が、止まる。


「龍になっただけでは、誅伐任務の適格者とは見なされないんです。そうでなくとも僕は及第点をもらって昇格した訳ではないですし」


 麒麟の座を狙う武舞台へ上がるには、武勲と実績を作り続け、実力を高めていく他ない。ただそこへ這い上がったところで、待っているのは「死」であると、師道のお偉方は見ていた。


「……もしその時が来たなら」

 金槌を握り直した手を、キョウは振り上げる。

「俺を旅の供に指名してほしい」

 打ち付けた釘が、真っ直ぐ小気味よく木材へ沈んだ。


「藍鬼一師が命がけで仲間を帰還させたように、俺も必ず、君を生還させるから」

「キョウさん、それは…――」


 青は首を横に振る。

 それは、キョウの命を引き換えとする事になりかねない例えだ。


「それ、そろそろ変えない?」

「?」

 唐突なキョウの話題転換に青が戸惑っていると、


「「キョウさん」って呼び方」

 続けて釘を打っていた手を止めたキョウが、金槌の頭で己を指し示す。


「三葉センセイもようやく最近は「キョウちゃん」から卒業してくれてね」

 キョウちゃん、は幼少期の呼び名であり、美少女と見紛われた時代はキョウにとって、麗しい思い出とは言えないようだ。


「どう呼びましょう…?」

「下の名前でいいよ。三葉センセイは「サイロー君」だし」

「そうしたら「豺狼さん」?」

「うーん……」


 釘数本を手にとって、キョウは再び木材を木材をつなぎ合わせるべく金槌を小気味よく振り落とす。


「豺狼で。敬語もなし。俺も青(セイ)って呼ぶ」

「え?? でも」

「子どもの時は敬語なんて使わなかったんだから、元に戻るだけだ。任務の時はこれまで通りで良いからさ」


 全ての釘を打ち終えて、豺狼は腰を上げ次の木材に手を伸ばした。


「わ、わか…った…それなら」

 口を動かしながらも手際よく大工仕事をこなしていく豺狼の様子に気づき、青も我に返ったように手元の木材のヤスリがけを再開した。


 慣れない呼び方と言葉遣いに戸惑っているうちに、玄関の戸の修繕が完了する。

 無事に、小屋の引き戸は滑らかに主と客人を出迎えてくれるようになった。



 次に二人が取り組んだのは、外壁の修繕だ。


 腐りかけた部分を新しい木材に張り替え、防虫と防水と防腐剤を全体に塗布しながら、青は白狼ノ國で出会った王族たちの話をした。

 彼らがいかに、豺狼に瓜二つであったかを力説する。


「民を導いた白狼ノ國の初代王の名前が「犲(サイ)」なんだって。肖像画を見たし、現王にもお会いしたけど、本当にそっくりだった」


「白狼の王族か…狛殿下を見た瞬間、確かに他人とは思えなかったんだ。俺も負けないくらい美少女だったろ?」


「ふはっ…あははは」

 吹き出したまま堪えられなくなり、青は遠慮なく笑い声をあげた。危うく防虫剤が入った容器を取り落としそうになる。


「そんなに笑うところか」

「だって…意外と満更でもないんじゃ…」


 キョウちゃん呼びは嫌がっていたくせに、と青がからかうと、豺狼は「あれ?」とわざとらしく視線を宙へ逃がして笑っていた。


 豺狼と白狼の王族たちとの共通点は、容姿だけではない。


 蒼狼との戦いで狛が見せた力は、自然の理を顕現化するものであった。

 火水風雷地の神と相性が良い豺狼の神通術の才の根源が、ここにあるのではないかと、青は思っている。


 豺狼による「美少女」時代の数々の逸話に青が爆笑しているうちに、壁の修繕と補強は終わった。

 これでしばらく隙間風も雨も虫も、室内に入り込む事はなくなるであろう。



 続けて取り掛かったのは、畳や床板の経年劣化部分修繕だ。


「こういう、隠れ家的な場所って良いね。俺もいつかどこかに建てようかな」

 剥がした床板を細かく薪木にバラしながら、豺狼は改まって室内を見渡す。


 十五年前、青の捜索任務のため初めて小屋を訪れた時に感じた「薬師の工房」という印象通りだ。

 壁一面を占める巨大な棚と、棚を埋め尽くす本、紙、植物や素材がはみ出した箱、見慣れない道具の数々。

 作業台と思われる、一畳はありそうな机に面した壁の棚にも、隙間が無いほどに箱や瓶が詰め込まれている。


「集中したい時とか、気分転換に良いよ。僕もよく入り浸ってる。冬はちょっと寒いけど、夏も涼しくて居心地は良いし」

「藍鬼一師はどうしてこの場所を選んだのだろう」

「……」


 ふと、青は答えに詰まる。

 考えたこともなかった。


「え、どうした?」

 動きを止めた青の様子に、逆に豺狼は困惑する。

 質問そのものに深い意味は無かったのだ。


「言われてみれば、どうしてだろう、と思って」

 人気(ひとけ)を嫌っていたから、近隣の森に素材が豊富だから、夏も涼しいから、陣守村に近いから…等々の立地条件的な理由の他に、それ以上の何かが存在するのだろうかと、ふと疑問が湧いた。


 この小屋を中心にした一帯は、青が藍鬼と出会った運命の場所であると同時に、藍鬼、ハクロ、ホタルの、西方への旅立ちの起点、西方から逃げ延びた東雲アキが辿り着いた森、翡翠へと赴く経路――と、まるで凪から西方への動線上にあるような場所でもあると、気がつく。


「なるほどな…確かに」

 青の話に頷き、豺狼は開け放した戸口から見える森を見やった。


「この小屋がいつからあったかは知らないけれど、藍鬼一師が以前から西方に関心があった、というのは考えすぎかな」

 そしてまた手元の作業に視線を戻す。


「……何で思いつかなかったんだろう…」

 防水剤を調合する手を止めて、青も玄関向こうに広がる景色へ顔を上げた。


 形見の小屋を譲り受けて十五年、これまで考えつきもしなかった。


 以前に朱鷺が、興味本位で露流河手前の森が見渡せる崖上までは出向いた事があったと言っていた。

 調合に使えそうな未知なる素材の探究心は、物創りを行う技能師であれば皆が抱く探究と好奇心であり、藍鬼も例外ではないはずだ。


 西方の外つ国から凪へと流れてきた禍地との出会いが、藍鬼にどのような影響を与えたのか。


 同じ場所に手が届きかけている事で、より鮮明になる藍鬼の記憶。

 西方進出任務を通して少しずつ輪郭が浮かび上がってきた禍地という存在。


 凪の毒術師道の未来を、共に担うはずだった、親友同士の二人。


「……」

 ふと、青の黒い瞳が、豺狼の横顔へ移る。


 ある日、前触れもなく突然、親友が何もかもを裏切って姿を消したら。


 その始末を、命じられたとしたら。


「……っ」

 急激に胸の内からせり上がる悪寒。

 青は息を止めた。


 藍鬼が抱えていた心の傷がどれほどの痛みであったか、あの麒麟奪還任務がどれほどの重圧であったか。


 今になってようやくその一端を思い知る自分の鈍さを、青は呪った。


「よし、いま火を入れるな。冷えてきただろ」

 廃棄する床板を刻んで薪木に変える作業を終えた豺狼が、微笑みと共に振り返る。


 日が傾きつつある森で、冷気が地を漂い始めていた。

 修繕手帖は最終頁にたどり着いている。

 あとは床下に仕上げの防水剤や防腐剤を塗布し、木材で蓋をすれば完了だ。


 棚の上、師匠達の遺品の前にそなえられた銘酒の徳利が、二人の作業が終わるのを待っている。


「あ…ありがとう」

 止まっていた息を、ゆっくりと吐き出し、

「これが終わったらまずは熱燗かな」

 青も笑みで応えた。



 凪の冬は、静かに、緩やかに、始まろうとしていた。

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