ep. 41 一蓮(11)

 凪に帰還して五日目。

 青はシユウとして蟲之区にいた。

 長への報告を終えた日からというもの、毎日のように入り浸っている。


「シユウ二師、今日もいらしてるな」

「本当だ、難しい顔してる」


 真新しい狼の紋章を身に着けた新米技能師たちが、遠目に青の様子を観察していた。


 書架近くの机に分厚い本を広げ、紙面に視線を落としたまま、一定の速度で頁を捲っている。

 かと思えば急にその手を止めて、頬杖をついたまま動かなくなる。


「新しい研究に取り組んでいるのかな」

「とてつもない難問に挑んでいるとか?」


 新米たちの推測はある意味で正しい。

 本の内容はほとんど頭に入っておらず、もう何日も青にとっての難問に対して思考を堂々巡りさせていた。

 

 キョウにシユウの正体がバレたこと。

 任務違背を犯したこと。

 キョウを巻き込み、背負わせてしまっていること。


 それに、医院から朱鷺の面会日時についての返事も来ない。


「シユウ君、大丈夫か…?」

 親しみのある声がして振り向くと、技能師同期の一人である、武具工の庵がいた。

 覆面で顔の下半分が隠れているが、露出させた切れ長の瞳が心配そうに青の横顔を覗き込んでいる。


「庵さん……」

「俺が作った襟留め、つけてくれてるんだな」


 庵の指が、青の外套の襟元に装着された、黒豹をつついた。


「もちろんです、愛用してるんですよ! お守りなんです」

 そんな二人のやりとりを、新米たちは不思議そうに眺めている。


 同期三人の間での約束で、蟲之区にいる間だけは同期のよしみで階級に囚われることなく、お互いに接するよう取り決めていた。


 事情を知る由もない、特に新米からすれば、上位の青が下位の庵へ丁寧な物腰である事が摩訶不思議な光景に映るのは無理もない。


 だが今の青にとっては、同期や幼馴染達との関係性がとても心安く、ありがたいものなのだ。


「そういえばシユウ君、家の戸の建付けを直したいって言ってたよな」

「え? ――あ、はい、そうでした」


 藍鬼の小屋の戸がガタつき始めていて、その事を長期任務に発つ前に蟲之区で庵に相談していた。

 庵の指示で、事前に小屋の寸法図を渡していたのだ。


「修繕手帖を作ってきたぞ」

 得意げに庵が取り出したのは、一冊の綴じ本。

 表紙に「庵流・修繕手帖」と札が貼られていた。


「ガタが来てんのは、戸だけじゃないだろうからな。窓だって放っておいたら雨風が入り放題になって室内にカビが生えてしまう。床だって抜けたら一大事だ。どこか一箇所大きなキズがつくと、そこからどんどん木材が腐ったり、虫が湧いたりするんだ。そういうところが木工の奥深いとこで。ま、シユウ君は殺虫剤はお得意だろうけどさ」


 早口だが聞き取りやすい声が、手帖の頁を捲りながら立て板に水で木工と大工仕事指南を語る。

 青は一言一句聞き漏らさないよう懸命に聞き取っては、合いの手のように質問を挟み、それに対して庵は即答。


 それを繰り返す二人の様子は、端から見れば凄まじい高度な議論の応酬にも見えた。


「うわ…ありがとうございます、これで小屋が長持ちしそうです!」

 最後まで説明を聞き終えて、修繕手帖を受け取る。

 御神体を崇めるように、青は綴じ本を両手で顔の前に掲げた。


 遠くからその様子を見ていた新米たちが「あれはどんな稀覯書なんだ」とざわつき、日曜大工本であるとは誰も想像できなかったのは言うまでもない。


「ちょうどいま休暇を頂いているので、さっそく今日から取り組みます」

「そう。ちょうどいい折だったね」


 庵の切れ長の瞳が、弓形に微笑んだ。

 青が同期のありがたみを噛み締めているところへ――


「毒術師、シユウ殿はいらっしゃいますか」


 声が、青を呼ぶ。

 以前もここで同期会をしていた時に、同じ事があった。式鳥の到着を、蟲之区の屋内にまで知らせてくれる係員の声だ。


 医院から、朱鷺の面会時間を知らせる便りかもしれない。


「すみません、僕はこれで。手帖、本当にありがとうございます!」

「おう、金槌で指潰すなよ~」


 最後に庵の冗談に笑い合って、青は円形書庫側から区を移動しようとする係官を呼び止めるために足を速めた。


「相変わらず、忙しい奴だな」

 遠ざかる青の背中を見送りながら、庵も場所を移動しようと荷物をまとめ始める。


 そこへ、


「失礼、少し良いだろうか」

 新たに近づく人影が、庵に声をかけた。



 蟲之区にいた青に届いた式鳥からの知らせは、長室への召喚に応じる旨を要請するものだった。


「…西側で何かあったのか…?」

 休暇返上を覚悟で七重塔内部を移動して、上階へと昇る。


「毒術師、獅子の位シユウ、参じました」

「入りなさい」

 室内からの声と共に、観音開きの重たい扉が開かれる。


「――あ」

 長室内は、薄暗かった。


 長を中心に四人の人影が、整然と起立して並んでいる。技能職位管理官たちだ。


「これをやるのも何回目かな。何のために呼ばれたのか、もう気づいたかと思うけれど。ああ、いつものように、ここでは覆面を脱いでも構わないよ」

「……」


 青は発声を忘れて小さく口を開ける。

 技能職位管理官の一人が、両手で三宝を抱えて待機していた。


 三宝の上には白絹が掛けられている。

 そちらを気にしつつ、青は額当てと覆面を外した。


「だから今回は、少し趣向を変えよう。いつもは結論から先に示すのだが、少し長い前置きを聞いてくれ」

「――え」


 入室してから二音しか発していない、呆気にとられた様子の青。

 長はそれを咎める事もなく、むしろ満足げな様子だ。


「周知の事実ではあるが。総合職位も技能職位も、評価の重要な判断材料の一つが、日々の任務報告書だ」

「?? ……はい」


 一体何の話であろうかと、青は数度、瞬きをする。


 長いわく。

 本人が書く報告書はもちろんだが、他人の指名や評価による報告書は、特に評価にあたり重要視される場面が多いという。


「君の任務履歴は七割近くが指名によるものだ。これは非常に高い割合で、技能師の中では上位に入る。猪牙上士、一色上士、峡谷上士をはじめ、名だたる高位者の任務報告書で君の名を目にしてきた。どれも評価が高い」


 この他、技能師の場合は本来職務である技能面の評価軸もある。

 毒術師の場合は、毒の精製や生成技術、新技術や術の開発、目録登録数等だ。


「君の名で新登録された六花は今やあらゆる任務現場において遺骸処理に使用されているし、既存薬の改良版も君の名前でいくつか更新されている。そして君の最新作、一蓮――先の要塞落としの任務において、後追いで調査隊が派遣された事を覚えているかな」

「はい…」


 蒼狼側の軍備規模を計るための調査に、チョウトクが送られたと聞いている。

 実際には猪牙とキョウが、その一隊に含まれていたが、長はそこに触れる事は無かった。


「彼らにはもう一つ、役割があった。もっとも、本人たちはその役割をしらされていない。公平性をきすために」


 まさか、と思いついた可能性を呑み込んで、青は長の言葉を待つ。


「君の仕事ぶりを見極める事だ。いわば彼らは、試験監督でもあった」

「試験…」


 と、長は三宝を持った管理官に、目配せをする。


「前述した評価基準と今回の「試験」をもって総合的に判断したその結果が、こちらだ」


 白長衣と仮面の管理官が徐に列から歩を進め、長の傍らに立った。

 そして恭しい動作で、白絹がかかった三宝を長の前に差し出す。

 滑らかな衣擦れの音がして、長い指が上掛けの絹を取り去った。


 そこに、銀板に彫られた龍が、姿を現わす。


「毒術師、獅子の位、シユウ」

 長の面持ちから、いつもの微笑が消え落ちた。

 厳粛な空気が薄暗い室内を支配する。


「本日をもって、龍の位に任ずる」


「……」

 この時の青の状態を表現するならば、頭が「真っ白」ではなく「真っ黒」になった、が最も適していた。


 藍鬼と出逢い、藍鬼が持つ龍の紋章を間近に見て学び育った日々から今までの記憶が、雪崩となって混ざりあい、真っ黒になって膨れ上がる。

 頭の中が圧迫されたような感覚に眩暈を起こしそうになっていた。


 狼、虎、獅子の時と同様に、物言わぬ白い仮面が白い長衣の裾を引きずって一歩前に踏み出る。

 両手で三宝を掲げ、龍の銀板を青の前に差し出した。


「あ…」

 青の目は、銀板に走る傷をとらえる。


 これまで昇格時に授与された銀板はどれも真新しいもので、傷一つなかったはずだ。

 だが、目の前の龍の紋章には、年季を感じる汚れも目立つ。


「この銀板は…まさか」

 以前これを、青は何度も目にした事があった。


「藍鬼一師が使っていたものだ」

 長が答える。


「…師匠の…!」

 厳粛な室内に、青の驚嘆した声が響く。

 自分の声量に驚いて、青は自らの口を塞いだ。


「…っ……」

 改めて三宝上の銀板へ右手を伸ばすが、指先が震える。

 取り損ね、三宝上でカチリと左右二枚の銀板がぶつかる音がした。


「どれ」

 机から離れて、長は青の前に歩み寄る。

 三宝に乗った龍の銀板を手に取り、


「一師、手を」

「…いっ、…はい」


 慣れない敬称に戸惑いながら差し出した青の手、長が自ら獅子を取り外し、龍の銀板を取り付けた。

 こんな事は、これまでに無かった。


 まず右手の装着を終えて、次に左手を差し出す。

 左手に銀板を装着した瞬間――


「っう…!」


 左腕に痛みが奔った。

 袖の中で、焼き鏝(ごて)が押されたような激痛。

 たまらず青は左腕を抱き込んで体を丸めた。


「どうした」

 長は、左腕を抑えて上半身を丸める青の肩を支えて起こし、左腕の袖を捲った。


 上腕から二の腕にかけて藍鬼が施した刻印が、赤く浮き出ている。


「な、何で…」

 懸命に呼吸を繰り返して痛みをやり過ごそうとしながら、青も自らの腕を見やる。


 薄らと腕の皮膚に沈着していたはずの紋様が、まるで「鍵」が発動したあの時のように、ミミズ腫れとなっていた。


「これか。藍鬼が「鍵」だと言っていた印刻術は」

 長はしげしげと青の赤くなった左腕を眺め、呟く。


「印刻は闇術の呪法の一種だ。術者の生気を触媒にして対象に刻み込む。藍鬼の銀板に染みついた血液に反応を示したのかもしれない」

「……闇術……?」


 こめかみに浮かんだ汗が、顎を伝って流れ落ちた。

 痛みが引くとともに、蚯蚓腫れの赤みも治まり始める。痛みによる吐き気も消えていた。

 この痛みを味わうのは三度目だが、やはり慣れるものではない。


「思わぬ元持ち主からの洗礼だったね」

 青の様子が落ち着いたと見計らい、長は静かに身を引いた。


 三宝を掲げる管理官は、辛抱強くその場で待機している。以前のように小突かれる事はなかった。

 絹の上に、まだ龍の石印が残っている。


「判は残念ながら新品だけども」


 当時、藍鬼が殉職した任務から帰還したハクロが「何とかこれだけは」と、藍鬼の甲当ては辛うじて軍に返還された。

 龍の石印の方は、任務の混乱のさなかにあり、持ち帰る事はできなかったという。


「頂戴します」

 青は懐から引っ張り出した小袋から、獅子の石印を取り出す。

 それを三宝に置いて返還し、龍の石印を受け取った。


「あの時の血判と同じだ…」

 青はしばし、龍が彫られた印面を感慨深く見つめる。


 藍鬼が龍の印で血を拭い、青のために血判通行書を発行してくれた日が、思い出された。


「シユウ一師」

「――はい」

 呼ばれて、青は顔を上げる。


「君はいくつになる」

「次に春を迎えれば、二十二になります」

「若いね。凪之国史上、最年少の龍だ……」


 長の面持ちから、再び微笑が落ちる。

 深淵を思わせる瞳が、青を真っ直ぐに見据えた。


「肝に銘じて欲しい。今の君はまだ、藍鬼および歴代の毒術の龍に並んだと思うことなかれ、と」


「……」

 青の闇色の瞳が、揺れる。


 言われるまでもない事だ。

 青にとって師匠たちは、生涯をかけて追いかけ、敬慕し敬畏する存在であり続ける。


「もちろんです」

 射貫くような長の視線へ、青は大きく、深く、頷きを返した。


「君を龍に任ずるには、若すぎる、早すぎるという反対意見も当然、あった」


 だが、と一度、長は息をきる。


「君は一段も二段も高いところへ引き上げた方が伸びる。それを教えてくれたのは、君の師たちだ」


 その素質を最初に見抜いたのは藍鬼で、成人でも困難と言われる複数の一級資格取得を目標に掲げさせた。


 ハクロは己の高位者たる特権を最大限に活かし、学生の身分だった青に、様々な現場経験を積ませた。


 そして朱鷺は、新米の狼であった青を数々の一級任務に指名し引っ張り回した。


 性質の違うそれぞれの師が、それぞれに課した試練を、青は期待以上の成果をもって乗り越えて見せてきたのだ。


「私も今や、君の師たちの気持ちが理解できる」


 青の虎への昇格、獅子への昇格、いずれも「時期尚早」と否定派は存在していたが、最後に鶴の一声を発して押し通してきた。それが一度も、裏切られた事はない。


 そして今後も、そうであってほしいと願う。

 いずれ、藍鬼を越える日が来れば、その時は――


「引き続き、励んでくれ」

 青を見つめる長の瞳には、追憶の靄が揺蕩っていた。

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