ep.35 翡翠の扉(3)

 猪牙隊長や別動隊らとは式鳥で任務進捗を共有しながら、峡谷班は次の任務地へ向かっていた。

 翡翠の高官を通して長から提供された翡翠国内地図を手に、手探りで小さな村落を探す旅だ。


「見えてきましたね」

「檜前准士の言った通りだ」


 人の営みを嗅ぎつける檜前の嗅覚は、土地勘のない場所での探索において大きな助けとなっている。


 辿り着いたのは、蛇行する河川の上流を目指した先の山間、ひっそりと隠れた村落。険しい地形を生かした棚田や段々畑が壮観な風景を作り出している。


 人口が多い下流の村々と異なり元より自警を担う男連中の数が少なく、それでも地形の恩恵による外敵や妖獣の少なさから弊害は無かったが、近年の妖獣増加の異変により自警役たちが負傷するなど消耗が激しい。


 翡翠政府が国全体の防衛、自衛機構の整備を進めるまでの時間稼ぎのため、今回は凪一隊に周辺地域の妖獣一掃の依頼が下ったのだ。


「よう来て下さった、さあどうぞ」

 村に到着した三人を出迎えたのは、村の長役である初老の男。

 農作業でよく日焼けした健康的な風貌をしている。


「おーい、妖退治をして下さる方々がいらしてくれたぞ!」


 村長の呼びかけに、田畑に出ていた老若男女が集まってきた。顔ぶれを眺めるとなるほど、平均年齢が高く、自警の担い手不足が窺える。


 見慣れぬ他国軍の装いに、誰もが物珍し気にキョウ、檜前、青の三人を村長の背後から遠慮がちに眺めてきた。


「わあ、お兄ちゃんたち強いの!?」

「かっけぇ!」


 子どもたちはというと、キョウや檜前の長い足に抱きついたり、十歳前後の少年たちは、キョウらの腰や背中に差した武器に興味津々だ。


「何でお顔を隠してるの?」

 そして意外な事に、年齢を片手で数えられるほどの幼い子らは、青の外貌を恐れる事なく寄り集まってくる。


「えーっと、ぶつけてケガしちゃったんだ。だから隠してるんだよ」


 子どもらの目線に合わせて膝をつき、青は優しい嘘で応えた。保健士で子どもに接した経験が、今もこうして活きている。


「イタイイタイなの?」

 若草色の手拭いで頬かむりしている女児が、青に小さな手を伸ばした。

「痛いのがなくなる、おまじないしてあげようか?」


「おまじない? じゃあ、お願いしてもいいかな」

「うん!」と元気に頷いて、女児の小さな手が、額当てに覆われた青の額に触れた。


「イタイイタイの蟲さん、イタイイタイの蟲さん。お兄ちゃんから出ーていけ」


 単調な旋律を口ずさみながら、女児は体を小さく左右に揺らす。童歌を微笑ましく聞いていた青だが、


「出て行かぬと、きりん様に喰わせるぞ〜」


 思わず「え」と驚きを声に漏らした。


「きりん様って?」

 気を取り直して、おまじないをかけてくれた女児へ、優しく問いかける。


「きりん様はね、神獣様だよ。頭に角が生えてるの」

 女児が語る「きりん様」の特徴は、かつて目にした資料に描かれていた姿と一致していた。


「きりん様は、怪我を治してくれる神獣なの?」

 青の問いに、女児は大きく「うん!」と頷いた。


「病気も治してくれるし、かしこくて、強いの。きりん様は一番えらい神獣様なんだ」

「そうなんだ。見てみたいなあ」


 麒麟が神獣の頂点。

 五大国における技能職位とも扱いが同じだ。


「私も見てみたいな〜。でもきりん様は、千年に一度しか生まれないんだよ」

「千年に一度?」

「うん!千年前に生まれたきりん様は、鬼に喰われて死んじゃったんだって。だから、次に生まれるきりん様を守るために、神獣を護る戦士様たちは鬼退治をするの」

「鬼退治をする戦士様か。かっこいいね」


 利発な女児が語る御伽話へ青が相槌を返していると、そこへ女が慌てた様子で女児の元に駆け寄る。


「も、申し訳ありません、子どもが無礼を…」

 話し足りないと愚図る女児を抱き上げると、深々と頭を下げて離れて行ってしまった。


「おう、シズネさん」

 女を村長が呼び止める。


「コウさんを呼んできてくれるかい? 妖退治を引き受けてくださる方々がいらしたと」

「あ……わ、分かりました」

 女は困惑した視線を青たち三人と、村長へ交互に二巡させてから、田畑の向こうに並ぶ民家の方へ小走りに去っていった。


「ずいぶんと警戒されていましたね」

 走り去る女の背中を見送りながら、キョウが苦笑で肩を竦める。


 子どもを軍人に近づけたくないと思う親は少なくない。キョウでさえ遠征先で、幼い子を持つ親にぞんざいな対応をされた経験は幾度もあった。


「確かに…この姿であれば尚更ですよね」

 覆面の鼻部分をつまんで、青も苦笑で返した。


「これは失礼を」と村長が戻ってくる。

「シズネの夫はこの村の自警役の頭なのです。べらぼうに強い男なのですが、このところ妖が増えたせいで怪我しちまいまして」


 妖の出現場所や条件等の情報は、そのコウという男が詳しいとのことだ。


「お怪我をされているなら、我々から伺いますが」

 キョウの申し出に「いやいや」と恐縮する村長の視線が、ふと村の奥へ向く。

「お、コウさんコウさん、こっちだ!」


 集まる村人たちの列が割れて、畦道を通り近づいてくる男の姿をキョウら三人からも確認できた。


 コウさん、と呼ばれた男は他の村民と同様の農作業服を身につけている。

 年は四十前後ほど。だがその恵体から、一眼で「戦う者」の体の造りをしていると判かった。


 わずかに左足を引きずる歩みで、村の自警頭の男、コウは、村長の傍に並んでキョウら凪の三人に対面した。


「村のために妖退治をして下さるとのこと、感謝する。オレは村の自警頭をしている。長と同じように、コウと呼んでほしい」


 丁寧な言葉と共に、深々と一礼。

 挙動の一つ一つに締まりがあり、規律正しさを思わせる。


「では早速、妖の出現場所や被害状況を聞かせてください」


 キョウはその場で地図を開いた。

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