ep.29 ある日(2)
「よし。急げ」
キョウとよぎりの背中が見えなくなるまで見送ってから、青はそそくさと踵を返した。
出口と反対側の更衣室へ飛び込むと、濡らした手ぬぐいで手早く体を拭いて、医療士の制服ではない、黒を基調とした軍支給の軽装に着替える。
「さっきの子があさぎちゃんのお兄ちゃんか…キョウさんが指南役につくなんて、やっぱり噂通り優秀な子なんだな」
紹介されたよぎりを思い出しながら、鞄に稽古着や医療士の制服を畳んで押し込んだ。
「よぎり君も特殊体質なのか気になるけど、さすがに初対面でそんなこと訊けないし」
無遠慮に質問ができた昔の自分が懐かしい。そんな事を考えながら、青は裏口から訓練施設の外に出る。
人気の有無を確認し、覆面と額当てで顔を隠し、狼の手甲を装着して「シユウ」に身を変えた。
中身の詰まった鞄を背に蟲之区に到着すると、
「シユウ君、こっち!」
「遅ーい」
工房の作業台の一つから、二人の男女が手を振って青を出迎える。毒術師シユウにとっての同期、武具工の庵と、幻術師の要。
目許を幻術で隠すという、画期的な額当てを発明した二人だ。同期の三匹の狼は、こうして定期的に集合する場を設けていた。
「ご注文の、作ってきました。あと、最近作れるようになった新しいものも幾つか」
到着するなり青は、作業台の上へ鞄から取り出した薬瓶を次々と並べていく。
「助かる、ありがたい~!」
幻術師の要が諸手を上げた。痺れ毒や睡眠薬等の毒薬を幻術に取り入れる事で、要の幻術の有効性や威力を増幅させる事に一役買っているという。
これは青にとってもむしろありがたい話であり、任務の現場での薬の効能や実用性、幻術への適応性を要に報告してもらえる事で知見を収集できるのだ。
「庵さんの分はこちらに」
「ありがとな、ちょうど前回分は使い切ったところでさ」
武器を製造、改造する機会の多い庵にも、近距離武器の刃先や、遠隔・手投げ武器に仕込む毒を提供している。
対人用から対妖用の毒性が高いものまで。即効性が高いものから、時間差で作用する遅効性のものまで。
二人の同期に制作物を提供する事が、朱鷺から与えられた課題の一つである「製薬実績の種類を増やす」の結果にも繋がっていた。
それは要や庵にとっても同様で。
要からは幻術符を提供してもらえたり、庵には主に針等の投擲武器の改良開発の相談に乗ってもらえるなど、相互協力し合いながら切磋琢磨の関係性が成り立っていた。
「で、今日の本題だ」
今日は特に、ある重要な命題について議論するために集まったのである。
それは――
「俺が見た範囲にはなるが、統計をとってみたところ」
庵が作業台に紙を広げた。そこには表が書いてあり、項目ごとに数字が書いてある。
横行には仮面、頭巾、覆面独自、覆面支給。
縦列には麒麟、龍、獅子、虎、狼と職位。
表の題名には「職位と装備品の関連性」。
「これによると、高位であるほど仮面率が上がり、下位であるほど支給装備である事が分かる」
「僕の周囲も、仮面を着用するのは獅子以上の方がほとんどですし、高位の方々は外套の刺繍とか裏地とか、工夫されていますね」
高位であればあるほど、独自性が出てくる傾向であるという事が判明した。
「そりゃそうよね。私たちがそれをやっても、ぺーぺーの癖にナマイキだって思われるでしょ」
本日の議題。
それは、今後の彼らの「装備品の改善について」である。
機能面はもちろんの事、若者の関心の一つといえば「見た目」も大いに関係してくる。
現状の三人は三人とも揃って、頭からつま先まで法軍支給の基本装備で、辛うじて要が首巻と髪の留め紐に色を加えている程度だ。
「狼の内はこのカッコで良いと思うんだけど、虎に上がったらどうする?」
「私は絶対、任務用の外套にきれいな織物の裏地をつけたいなと思ってる」
「女子に多いよな、それ。花柄とかさ」
「確かによく見かけますね」
青の脳裏に浮かぶのは、朱鷺の外套だ。黒地の表面に反して、裏布は鮮やかな朱鷺の羽色、そして花の刺繍も散らしてあったのを覚えている。
「俺はあまり任務に出ないからどうするかな…シユウは?」
庵に話を振られて青は「えーと」と視線を泳がせた。見た目に気を使うことや、オシャレなど、考えたことも無かった。
「僕は…変えるなら目立ちにくいところから…手甲とか。針を使う時にここに引っかかる事があって。投擲武器が使いやすい手甲ってあったらいいのにって思っているんですが」
青が軍支給の手甲を装着した手で針を握ると、庵が顔を寄せて手元を凝視してくる。
「なるほどな…ここがもうちょっと短ければいいのか」
そこへ要も顔を寄せた。
「確かに軍支給の手甲って、刀以外の物を持ったり投げたりする事があまり考えられていないのよね」
青が真ん中で左右から挟まれる。
三人が集まると、いつもこの形になるのだ。
「私の場合なんかも、符の滑りが悪くて破けたりするもの。でも手甲がないと紙で指を切る事があるから着けないわけにはいかないし」
「職によって素材と型を変えるってのはアリだよな」
洒落た装いの話をしていたはずが、こうしてまた三人は時間の経過を忘れて発明談義に熱中するのであった。
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