ep.16 若狼(2)

 一年後。ふたたび、春。


 十六歳になった青は、薄暗い長室にいた。

 長および四人の技能職位管理官が並ぶ前に、対峙するように立つ。


 前回と異なるのは、管理官には椅子が用意されておらず、長も青が入室時から起立していることだ。


「大月青を毒術師・狼の位に任ずる」


 長の声を受けて、技能職位管理官の一人、物言わぬ白い仮面が白い長衣の裾を引きずって一歩前に踏み出た。


 両手で三宝を掲げていて、盆に敷いた白い絹布の上に、光る銀板。狼の紋章が彫られた甲当てだ。


「それを身につける時の君は「大月青」ではなくなる」

 長は執務机に置かれた書類を手に取る。


「務め名(つとめな)は『シユウ』か。由来を聞いても?」

 務め名とは、法軍人が用いる偽名全般を指す。


 その場限りの任務で即席の偽名を用いる事もあれば、技能職のように特定の職務にあたる時に用いる場合と様々だが、いずれも届出制となっている。


「蕺(しゅう)を「しゆう」と三文字読みにしたものです」

「蕺?」

「ドクダミです」

 青の答えに「ほう」と長の呟きが聞こえた。


 ドクダミは薬術や毒術において最初に習う薬草だ。家庭でも広く一般的に、効能様々な薬の原料として用いられる。初めての調合がドクダミを使った血行促進茶や、解毒薬である技能師も多い。


「興味深いね。毒術師の務め名が、無毒の薬草とは」

 長の言う通り、ドクダミは「毒矯め」「毒止め」とも呼ばれ、むしろ解毒に使われる。


「素性を騙るにもちょうどいいですし、初心を忘れずという自戒も込めて。個人的には、気に入っています」

 偽名本来の役割を鑑みて、務め名をあえて自らと反対の意味を含ませる者も少なくない。


「いずれも大切なことだ」

 長の目配せを受けて、三宝を持った管理官が青の前へ歩み寄る。


 眼前に掲げられた狼へ、青は手を伸ばした。想像よりも重さは感じない。名工の手によるものか、狼の紋章以外も意匠を凝らした彫りが見られ、表面も切り口も一切の粗さを感じない。


 しばし指で手触りを楽しんでから、青は銀板が隠れるように甲当てを畳んだ。顔を隠していない状態でこれを身につける事はできないのだ。

 空の三宝を持った管理官が元の位置へ戻る。


「毒術師、狼の位、シユウ」

 長の改まった声。

 青は背を正した。

 それが下士・大月青とは別の、新しい職位。


「初任務の命は追って知らせを送る」


 甲までの上位資格保持者が任務にあたる場合、必ず同職の技能師配下でなければならないが、狼以上から単独で任務を請け負う独り立ちとなる。また昇格に関して、技能師に試験は存在しない。


 創作物や、任務での成果・仕事ぶりのみが評価対象となる。


 これまでの道のりは藍鬼やハクロの導きがあってこそのものだが、下士と同様に、狼から先の師道は完全に己の実力次第となるのだ。


「そうそう」

 面持ちを固くする新米毒術師へ、長は微笑みを手向けた。


「初任務までに、顔を隠す手段を決めておくように」



 狼任命早々に、青は悩んでいた。

 これは新米技能師の誰もが通る道である。


「仮面は無理だな……」

 七重塔から勤務地の医院へ向かう道すがらも、青の頭の中は「仮面か覆面か頭巾か」がぐるぐると巡っていた。


 二人の師匠はいずれも仮面を着用していた。青が常々、内心で「よくあんなものをつけて身動きが取れるな」と思っていたのは内緒だ。


 幼い頃に藍鬼を真似して子ども用のお面をつけて練習を試みたが、柱や物にぶつかるは、蹴躓いて転ぶはで散々だった。


「覆面は視力が確保できるけど、鼻や口が塞がれるのは困るし……」

 薬草や毒物を嗅ぎ分ける嗅覚は、毒術師にとって重要だ。

 口を隠されては吹き矢も使えない。


「ホタル二師みたいな頭巾は……」

 嗅覚と口は自由になるが、ほぼ目許が隠れてしまう。


「え……難しいな。みんなどうやって決めてるんだろう」

 これまで受けてきたどんな試験問題よりも、青を悩ませている。


「うーん」

 悩んでいるうちに勤務先の医院に到着してしまった。


 敷地をまたぐ前に立ち止まり、青は頭を振った。

 ここからは医療士・大月青として務めを果たさねばならない。

 白い医療士の制服に身を包んだ青は、気持ち新たに医院玄関へ続く石畳へ足を踏み出した。


「大月君、ちょうどいいところに! 頼みがある!」

「いっ」


 総合受付の奥で診察記録の整理を始めたところで、上長である三葉医師に肩を掴まれた。そのまま腕を引かれて三葉の勤務室へ連れていかれる。周囲の医療士たちは気の毒そうな眼差しで青を見送った。


「臨時保健士ですか?」

 部屋に連れ込まれるや否や、三葉から「保健士」と刺繍された腕章を渡される。


「初等学校の保健士が身ごもってね」

 専任の保健士が見つからず、医院の医療士で交代しながら席を埋める事になったとのこと。

 そこで最初に白羽の矢が立ったのが、青だった。


「勤務表はこれから作って交代制にするから、ひとまず一週間、通ってくれないかな」

「もちろんです、承知しました」

 嫌な顔を見せる事なく即答した青に、三葉の面持ちが安堵に緩んだ。

「助かる~! 恩に着るわ」


 青が医院内で重宝される理由の一つがこれだ。

 頼まれた仕事を断らない。

「気の毒に」と青へ同情を寄せる同僚も多い。

 だが今回の依頼についてはむしろ、母校への凱旋という点で、青にとって喜ばしいものだった。


 そこで青は、懐かしい面々と再会する事になる。

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