ep.30 覚悟(3)【第二部完結】
毒術師・虎の位シユウに暗殺任務が命じられて、半月後。
七重塔 長執務室にて。
「こちら、任務報告書が届いております」
長の元に、任務管理官の文官が報告書を携えて現れた。
「どれ」
表紙は任務依頼書の写しで、任務の件名、概要が記載されている。二枚目からが、任務遂行者による報告書となっていた。
「……」
文官が見守る前で、長は無言で頁を一定の速度で捲っていく。
天井が高く広い室内に、紙が擦れる音だけが響いた。
「ふむ」
独り言混じりの溜め息。書類を捲る指が止まったのを見計らい、
「いかが致しましょう。シユウ練師本人からは、報酬等の一切を辞退するとの記載ですが」
「君は、どう思った?」
書類から顔を上げ、長が正面の文官へ視線を合わせる。
「どう……と申しますと」
迂闊な発言を忌避する文官へ、
「君の個人的な考えでいい」
と付け加える。
「個人的な意見としては、経緯は兎も角として結果的に目的は達成されたのですから、規定通りの報酬を受領する権利はあるかと考えます。そこに至るまでの稼働もありますので」
文官の言葉通り、結果は任務依頼元が望む形で幕を閉じた。
標的の男は元より酒に溺れ、周囲に暴力を振るっていた様子が多く目撃されていた。
特に近々においては眠れずに夜中も奇声を上げたり、日中もうわ言を呟き、目の色も淀んで尋常ならざる顔つきであったと、近隣の人間からも噂されている。
証言によれば。
ある夜中に屋敷の奥から狂った獣のような金切声が聞こえたかと思うと、女中や家人らの叫び声が続いたと言う。
音が止んで鎮まったところで、洒に駐屯している法軍の御巡り(みまわり)役が駆けつけると、屋敷の庭で、血まみれで事切れている屋敷の主人―標的の男―が発見された。
自ら首を搔っ切っての自害であり、屋敷内を探ってみると奥の部屋では妻子ら家人が刺殺されていたという。
生き残った女中や使用人たちからの聞き取りによれば、夜中に主人が突如、気が狂って暴れだし、刀を抜いて次々と家人を殺して回っていたとのこと。
何かをしきりに叫んでいたが、彼らも気が動転していて、何を叫んでいたのかは聞き取れなかったようだ。
前々からの予兆もあって、この事件は巷では「さもありなん」「男の自業自得」とする風潮が広まっていた。
「家名や血筋を御旗に担ぎ上げられ、器量に見合わぬ重責に潰されて自滅……といった筋書かな」
長は報告書を閉じると、表紙に判を押す。
「これで狸どもは大人しくなるだろう。シユウ練師には、報酬に十分な色をつけてやってくれ」
「――は、色を……?」
「「病死」に見せかける。何も体の病だけではない、という事も言えるね」
「……!」
文官の口元が「あ」の形に開き、小さく息を飲む音がした。
「承知しました。そのように」
長から書類を受け取って恭しく一礼し、執務室を後にする。
一人になった空間の中央で、長の涼やかな目許が細められた。
「あの子は君が期待した以上かもしれない。それに…」
その目が、壁に飾られた万邦地図を描いた綴錦の壁掛けを向き、ある一点を見つめる。
「「アレ」の片鱗をあらわしはじめたみたいだよ」
誰にともなく呟かれた声は、高く白い天井へと昇っていった。
それから約一刻後。
凪の南の森にて。
任務報告書を提出し終えたシユウ――青が、小屋へ戻っていた。
「ただいま」
半月ぶりに開けた小屋の戸は、前回よりも更にガタついて、全開するのに力を要した。
冬になる前に付け替えをしなければ、凍り付いて開かなくなってしまいそうだ。
「庵さんに教えてもらおうかな」
職人を呼ぶ訳にはいかないので、自分で修繕するしかない。
藍鬼もここで大工仕事をしたのだろうか、等と考えながら、青は土間から居間へ上がった。同時に覆面と額当てを外して壁の物掛けへ引っかける。
鞄を部屋の隅に置いて、外套を着用したまま棚の前に腰を下ろした。
道具入れを外して傍らに置き、外套はそのままに、棚の一画に立てかけてある藍鬼の仮面を見上げる。
「師匠」
開け放した戸口から差す西日を受けて、藍鬼の仮面が眩しそうに目を細めているようにも見えた。
「……僕は、毒術を選んだ事を後悔していない」
西日を浴びる仮面は物言わず、青の声を聞いている。
チィ
「?」
空気を通すために開け放した戸口から、式鳥が舞い込んだ。
「任務管理局からだ」
青は立ち上がり土間へ降りて、水瓶の上に止まった式鳥の元へ歩み寄る。足に結わえられた書状を解くと、鳥は再び戸口から外へ羽ばたき去った。
開いた書状はやはり、任務管理局からのもの。
任務遂行結果を全面的にシユウの成果と評価し、報酬額が加算される旨が記載されていた。
「……評価、秀……」
任務の成果は秀、優、良、可、不可で評価が分かれ、報酬加算額が変わってくる。
今回の任務におけるシユウの評価は最高点の「秀」。
「不可にしてくれれば良かったのに……」
知らせに目を通し、青は無感慨な面持ちで書状を握りつぶす。
初めての任務、二度目の任務の時は、あれほど成果が良好である事を喜んでいたはずが、これほど心が動かなくなる事があるのだろうか。
「長の目は誤魔化せない、か」
青が偵察のため潜入した時点で標的の男はすでに、酒に溺れて精神的に病んでいた。近隣にも知れ渡っているほどに、奇行が目立ち始めていた。
男の自滅は時間の問題で、青は軽く背中を押しただけに過ぎない。
男が口にする水を汲む井戸に、精神薄弱化を進行させる薬を混入し、更に決め手となったのは、要から提供されていた、幻覚を見せる幻術符。
男が妻子や家人を手に掛けるかは賭けでもあった。
少しでも男に、妻子に対する愛情が残っていれば、幻術を破るかもしれない。
そんな希望を心の片隅に抱いていた。
だが、男は自らの弱さに克つことができなかったのだ。
「そんなもんなのかな……」
額を撫でていく風に、顔を上げた。
西日は次第に濃さを増し、紅色の光が森の木々の間から差し込み影を伸ばし始めている。
秋を迎えようとする風が優しくそよぎ、夜を迎えようとする森の鳥たちの声が遠ざかっていった。
チィ
再び、式鳥の声。
「え?」
見上げると、若草色の小鳥が頭上から舞い降りて、青の肩に停まった。
「つゆりちゃんの式だ」
黄色く短い嘴が可愛らしい、メジロに似た式鳥だ。足に括られた手紙を解くが、式鳥は飛び立つ事無く、青の肩にとどまった。
「どうした?」
通常の式鳥は、手紙が解かれると同時に飛び立っていくものだ。
つゆりの式鳥も、いつもならば青の頭上に飛び移ってから、頭上で二回転、三回転ほど旋回してから飛び去って行く。
「読めって事かな?」
送った相手が手紙を読み終わるまで見守るように訓練したのだろうか。
「分かったよ」
式鳥に促されるように、青は手紙を開いた。内容は、何てことはなく「いつもの」誘いの連絡だ。
今回は、
『もうすぐトウジュの誕生日だから、三人で集まってお祝いをしよう!』
という誘い。
チィ チィ
鳥は丸い頭を青の頬にすりよせて数度さえずると、いつもの通り青の頭に飛び移って、それから頭上で旋回してから都の方向へ飛び去った。
「可愛いなぁ。どうやって教えたんだろ」
式鳥には珍しい挙動に目を丸くしていると、
ぽたり
土間の砂地の上に、液体が一粒、二粒と落ちた。
「あれ……?」
指先で顔面に触れると、しとどに濡れている。
拭えど、拭えども、頬を伝う水滴は流れを止めない。
「何……」
夜へと変わりつつある黄昏に包まれた森の中、青は理由の分からない涙を流して、呆然と立ち尽くした。
凪の夏が、もうすぐ終わろうとしている。
毒使い 第二部 完
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