ep.28 新たな課題(3)

 小娘の狂言騒動つきの素材採取旅を終え、都へ帰還した朱鷺は、シユウと別れてからある場所へ直行した。


 七つに分かれた都の区画の一つ「白月区」の片隅、乳白色の石垣を抜けて、簡素な祠のような木造建築へ足を踏み入れる。


 朱鷺の気配を察知して、石造りの玄関へ案内人の女が姿を現す。白を基調とした医療従事者の制服だ。鼻から下を白布に覆われている。


「朱鷺一師、どうぞ。任務からご帰還されたばかりですか?」


 黒い外套の表面に付着した砂埃に気づき、丁寧に刷毛で払い落とし始めた。


 朱鷺が人前で外套を脱衣できない事情を、把握しているのだ。


「ちょうど、特師もいらしたところです」


 医療士に案内され、いつもの長い廊下を進む。


 渡り廊下の先が小さな東屋のような別館になっていて、木の引き戸を開けるとそこは五角形の空間で、五面の障子窓の西側から薄く日が差し込んでいた。


 まるで幽世かのような、現世の空気が感じられない穏やかな空間。その中央に、人影がいた。


 高位の医療士が身につける白い長衣を纏い、妖鳥の仮面を身につけた男。


「ハクロ特師…少し…ご無沙汰してました」

 朱鷺の挨拶を背中に受けて、


「ようやく来てくれましたな、朱鷺一師」

 妖鳥の仮面の男―薬術師の麒麟、ハクロは振り向いた。


「定期的にいらして下さいとお願いしておりますのに。心配していましたぞ」


 その肩書と外貌に似合わぬ気さくさで「高位技能師には珍しい善人」と称されているのは朱鷺も知っている。


「さあ、どうぞこちらへ」


 ハクロは部屋の中央に置かれた椅子を勧めた。その脇には診察用の寝台と、反対側には小さな棚付きの机。机上には書類が広げられている。


 この施設は軍属の病院。


 ただし、技能師はじめ職務や立場上、素性を表に出す事ができない士官のためのもの。歴代の薬術の龍以上の高位者が、施設長を務めている。


 十年前の事件以降ハクロは朱鷺の健康状態を気にかけてくれていて、麒麟となった今も特別に自ら検診に応じてくれるのだ。


「それにしても、どういう風の吹き回しで?最近は何度と文を送ってもいらして下さらなかったのに」


 若干のお説教を含んだハクロの言葉に、朱鷺は「それについては失礼を…」と肩を縮めた。


「少しでも長生き…しなきゃなって思い始めまして…」


 朱鷺は外套を外して簡単にたたみ、寝台に置いた。朱鷺が外套の下を晒すのは、唯一、ハクロだけだ。


 外套の下は軍支給の戦闘用軽装服。女性や若年向けにしつらえた寸法でも、布地が余っている。


「…それはよき心がけですな。食事は摂れていますか?」


 服の上から状態を観察した後、ハクロは朱鷺の腕をとって袖を捲った。


「あまり…」


 男の手で掴める細い二の腕から手首にかけて、肌の色が斑に変色している。内出血のような紫であったり、火傷痕のような赤黒であったり。


「液体しか受け付けない時には、山羊乳は栄養価が高いですぞ」


 失礼を、とハクロは衣服を開き、朱鷺の身体を確認していく。


 腕と同様に大部分の肌は変色し、部分的にまるで爬虫類の表皮のように痂が硬化したり、一方で治癒しきれず爛れて未だに出血が続く箇所もある。


「…前回よりも治癒が進んでいる箇所が多い。体調が良さそうですな」


 ほう、と妖鳥の仮面の向こうから、安堵の吐息が聞こえた。診療録へ書き込みを終え、妖鳥の面が朱鷺を向いた。


「言われてみれば…そう、ですね…」


 衣服を整えながら、朱鷺は頷く。確かに以前よりも、息切れが少なくなっているように思う。


「何か良きことでも、ありましたか」


「良きこと…」

 ふと、朱鷺の身支度の手が止まった。


 以前よりも体を動かす事が、声を出す事が、億劫でなくなっている。


 特に、シユウを相手に何かを伝えようとする時は。


「良き弟子に出会えたから…ですかね…」


 朱鷺の応えにハクロは「ほう」と妖鳥面の嘴を揺らして頷いた。


「それは確かに、良きことですな」

「…はい」


 障子窓から差す麗らかな陽光の中、二人の鳥は、向かい合って静かに笑いあった。

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