ep.20 朱鷺
せせらぎを辿って丘陵の線沿いに進むと、山麓に人里の気配が現れた。
「本当に見つかった。すごいね先生」
「運が良かったんだよ」
隣を歩くあさぎは無邪気に喜んでいるが、人里を見つけられるかは青にとっても賭けだった。
「村の人を探そう」
朽ちかけた道標を抜けて村の入口と思わしき、土を均した人道に踏み入る。とにかく人に遭遇する事ができれば現在位置の把握もでき、都へ帰還する手立てが見つかるだろう。幼い子どもを連れている事で、一晩くらいであれば夜露を凌がせてくれるかもしれないという期待もあった。
村の入口へ数歩踏み入ったところで、青は辺りを見渡した。
ずいぶんと貧しい村のようだ。
門も石垣もなく、道標や石碑は手入れがされておらず風雨に晒されるがまま。人道と言っても草を除き土を踏み固めただけの、整備されているとは言えない様子だ。
「手持ちの薬を宿賃代わりにできるかな…」
道具入れを探る。狼印の痛み止め、解毒薬など、いくつかの常備薬が残っていた。
人道を進んでいくと、家屋や納屋と思われる人工的な建物が見え始める。
見渡したところ十数件ほどの小さい集落は、青が村の入口で抱いた印象と違わず、目に見えて廃れた貧村だ。家屋数件が打ち捨てられた廃屋と化しており、壁や屋根のどこかしらが崩れてしまっている。いくつかマシな状態の家屋の側には畑が設けられているものの、土が痩せているのか、実りは乏しいようだ。
「すみません!誰かいませんか?」
村落の奥に向かって、青は声を上げた。
返答はなく、代わりに小動物が逃げて行ったのか草叢が微かに揺れるだけ。
「ごめんくださーい。あ、先生、ご飯たべた跡があるよ」
「あ、こら」
背後にいたはずのあさぎが、家屋の戸を開けて中を覗いていた。
「廃村ってわけじゃないのかな」
畑の土も耕された跡がある。人道はそのまま山道に続いていた。皆で山で作業をしているのかもしれない。
「山道を上がってみるか」
と青が先を行こうとした時、
「きゃ!」
背後であさぎの声。振り返ると、
「先生!」
男に羽交い絞めにされたあさぎの姿があった。その後ろにも数人の男と女。
「!?」
前後左右に気配が現れる。青とあさぎを中心に、数人が取り囲んでいた。いずれも農夫の作業着といった風体の身なりの男女。羽交い絞めにされたあさぎの頬に、苦無が当てられていた。
「か、勝手に入ってきて申し訳ありません、僕たち迷子になってしまって…」
まずは村落へ勝手に押し入った事を詫びて、話し合いが通じる相手であるかどうかを見計る。
「桃花の家紋、お前、日野家の娘だろ」
あさぎを羽交い絞めにしている男と、苦無を突きつけるのは、それぞれ三十代と思われる男。いずれも筋骨が隆々としている。青が陣守村で見かけた若い農夫たちと筋肉の付き方が違った。
「お嬢ちゃんは私らと来てもらおうか。良い金になりそうだ」
女の手拭いの頬かむりから覗く眼光は、鋭い。
居並ぶ他の面々は皆同様の風情で、素性が過疎村の農夫ではないであろう事は明らかだ。
「悪いけど、そっちのボクちゃんには死んでもらうよ」
「っ!」
宣言するや否や、斜め後ろから刃が振り降ろされる。青は咄嗟に腰から抜いた苦無で弾いて飛びのいた。
「先生!せんせーー!」
男たちに拘束されたまま、あさぎが村の出口方面へ引きずられていく。
「その子を離せ!」
追いかけようとすれば、別の男が立ちふさがった。
「っ…!」
辛うじて突き出された刃先をかわすも、肩口を掠って痺れるような痛みが走る。医療士の制服には肩当てや胸当てが装着されていない。戦闘員服のような防御仕様ではないのだ。
「壁!」
咄嗟に炎の壁を発現させ、続けざまに襲い掛かろうとした男女の足を止める。だが、
「邪魔くせぇ!」
「!」
ごう、と剛風が横に薙いで炎の壁ごと青の体をなぎ倒した。男の一人が風術を使ったのだ。地に叩きつけられた青を目掛け、別の女が鉈を振り下ろす。辛うじて避けながら立ち上がりかけたところへ、
「ぐっ!」
後ろから背を蹴られた。続けざまに脇腹、腹と蹴られる。息が止まりそうになり、視界が点滅。ここで気を失う訳にはいかない。
「青の名に命ず!」
咄嗟に取り出した式符が発動、蒼い狼が姿を現し男の足首に噛みついた。
「畜生が!」
「げほっ」
男が式狼を引きはがそうと苦闘する隙に、青は立ち上がって距離をとる。その間も、あさぎは村の出口方面へと引きずられていく。男の脚に噛み付いていた式は上から刀を突き刺され消失した。
「この人たちは…法軍人か…??」
青は懸命に呼吸を整える。冷静になれ、と己に言い聞かせた。
奴らが持っている武器、術、戦い方は、間違いなく法軍人のそれ。
相手は複数。
中に中士もしくはそれ以上の者がいるとすれば、術や体術において青に勝ち目などない。
勝てるとすれば―
「離せってばーー!!」
男に引きずられながら、あさぎが声を上げた。手や足を我武者羅に動かして男の腕から逃れようとしている。
「こいつ!大人しくし…っでぇえ!!」
あさぎが男の腕に嚙みつく。力が緩んだ隙に腕からすり抜けた直後、
「クソガキ!」
「きゃっ!」
刃があさぎの腕を薙いだ。ぱっと血の花が宙に散る。
「やめろ!!」
青は叫んだ。
そこからは衝動だった。青の指が腰の革帯の針差しに仕込んだ長針を引き抜く。片手に一本ずつ、両手に握りこんで腕を交差させ、振りぬいた。
「ぎゃぁああああ!!」
「ぐああ!!」
針はそれぞれ、二人の男女の顔面と首に突き立った。直後、白煙と共に肉が焦げる臭いと音、そして断末魔。悪漢たちはその場に崩れ倒れ、泡を吹いて痙攣する。
奴らを仕留めたのは、獣や妖獣用の猛毒を塗布した針。
初めて人間相手に使う事に、躊躇いは微塵も無かった。
「な、何だ…!?」
残ったのは七人。異臭を放つ白煙を上げ動かなくなった仲間の遺体を前に瞬時たじろぐも、暴漢たちの決断は早かった。
「クソガキが!」
それぞれが刃を手に、距離を詰めるべく扇状に青へ襲い掛かる。青の手は再び針差しへ伸びた。そこへ、
「先生!」
あさぎが立ちふさがる。
「あさ…!」
「風神…」
血に塗れた左腕を前方に突き出し、
「龍ノ巣!」
唱えの直後、あさぎと青を中心に凄まじい暴風が渦を巻いた。
「ぐあっ!」
「うお!」
暴漢たちの体が次々と風に弾かれる。誰かが苦し紛れに投げた苦無も、風の膜に絡め取られてどこぞへと弾け飛ぶ。
「あさぎちゃん…?」
青がようやく目を開けると、目の前にはあさぎの桃色の背中。
「いつの間にこんな…」
青が知るあさぎは、裏山で風術に何度も失敗していた姿だけだった。
あさぎが突き出した左手を強く握ると同時に、風壁が消失。間髪入れずに、握った拳を頭上に掲げ、
「鎌鼬!」
唱えと共に前方へ振り抜くと、風は巨大な爪となって草と地を裂いた。
「クソ!」
暴漢達は散り散りに風の刃の襲来から逃れる。行き場を失った風の爪は家屋一つを粉々にしてようやく鎮まった。
「あいつらやっつける…!」
再びあさぎの腕が上がる。
「待て!」
あさぎの細い手首を、青の手が掴んだ。
「血を使っちゃダメだ!」
あさぎの左二の腕から上腕にかけて、男に斬りつけられた傷が走っていた。流れ出る血が指先から滴り続けている。
血触媒。
風はあさぎの血を糧にその力を荒ぶらせていたのだ。
「でもあいつら!」
「僕が何とかする」
あさぎの体を強引に自らの背後へ引き、青は針を片手に握り込んだ。
敵の数は残り七人。手持ちの毒針の数は辛うじて足りる。一本たりとも外さなければ、だ。
初手は不意打ちだった。だが二度目は?こちらの切り札を見た以上、奴らも本気になるだろう。
一人一人を見据えながら、手持ちの針、武器、式符の数を計算して、どう戦うかを考える。
奴らを足止めし、あさぎを逃がすには。
どうすれば。
ぽつり。
「…?」
青の思考を邪魔するように、一雫の水が頬を打った。
二つ、三つ、と続く。
「天気雨か?」
誰かが呟いて空を見上げる、そんな僅かな間に、断続的だった雫は細雨へと代わり、あっという間に辺りは白糸の紗に包まれたように雨に烟った。
「え」
「あれ??」
雨音に混ざり青とあさぎの間の抜けた声が漏れる。
何が起きたのか。
空を見上げた姿勢のまま、一人、また一人と、音もなく暴漢たちが倒れていった。
苦悶の声や悲鳴を一切上げることなく。まるで紙人形が、指先でほんの少し押されて倒れるかのように。
「せ、先生、何かした?」
「いや…?」
背中からあさぎの焦った声。青は首を横に振る。瞬き三回分ほどの間に、気がつけば残った七人の悪漢たちは残らず土の上に引っくり返っていた。
雨はいつの間にか止んでいる。というより、消えていた。
「見てくる!」
「あ、あ、あ、あの、ま、ま、待って」
青の背後から飛び出そうとしたあさぎを、頭上からの新たな声が止めた。
「え?」
「???」
見上げると、青とあさぎの真上に伸びる高枝に、新たな人影。
黒く長い嘴を持つ鳥の面が、黒い外套で首から下の全身を覆い隠している。まるで木の上に留まる巨大な梟か蝙蝠のようだ。
「先生、何、あれ!妖魔!?」
あさぎが青の背中に隠れてしまう。
「よ、妖魔…、妖魔だなんて…ひど、ひどい…あ…でも強そう…って、こと…?違う、か…」
頭上の鳥面が、枝の上で独り言を呟いて震えている。
「あの、どちら様ですか?」
「い、いま、降りる、から」
青に応えるように人影は枝を蹴る。黒い外套がひらりと宙に舞う。裏布の淡い桃色が翻り、音もなく着地した。と思いきや「あいたた」とふらつく。
「そこ、そこから…動く…動かない、で」
か細く高く、何やら不安定な女の声。背丈はあさぎより少し高い程度。成人の女にしては小柄な部類だ。
振り返った仮面は色褪せかけた紅塗りに、黒く長い嘴の突起。
朱鷺を模した仮面のようだ。
「ゼッッッタイ…触らないで、ちょっと…待ってて…」
朱鷺の仮面は青たちに背を向けると、地に転がる男たちの方へ歩き出す。外套の背中に凪の紋章が刺繍されていた。
「あれね、毒…だから」
「え」
通り雨を見上げた面持ちのまま時間が止まった暴漢らの顔を、朱鷺の仮面が一つ一つ、見回っていく。一回ごとに「うん」と頷きながら。その動きがまるで、エサを探して水田を歩く水鳥のようでもあった。
「あの…」
唐突に現れた「奇妙なイキモノ」のような存在に、青もあさぎもどう対処して良いのか分からなくなる。
「あの、ご、ごめん、ね…」
「え?」
朱鷺の仮面の声がか細すぎてよく聞こえず、青は身を乗り出して耳を傾けた。
「助ける、の、遅く、遅くなってしまって…」
女は転がる死体の前にしゃがみ込む。
「この人たち、尻尾を出すまで…その…手が、出せなくて」
「いえ、そんな。助けて頂いて、あ!」
弾かれるように青は振り向きあさぎの前に腰を屈め、男に切り付けられた左腕をとった。
案の定、二の腕から前腕にかけて走っていたはずの大きな裂傷が、青の人差し指ほどの長さにまで治癒していた。念のために解呪も施したが、毒や呪い反応は出ない。
「よく我慢したね…助けてくれてありがとう」
青からの労いに目を丸くしたあさぎは、一呼吸をおいて目を細める。
「へへ。大丈夫だよ!」
「治るのが早くたって、斬られた時は痛かったでしょ」
いつものあっけらかんとした面持ちへ、青は首を横に振った。こうしている間にも、あさぎの左腕は完治に近づいている。
「脚だって、僕が呑気に寝てた時に、独りでどうしようって痛くて怖かったと思う」
「で、でも私、ダイジョー、」
「『大丈夫』って、無理に言わなくてもいいんだ」
「……」
夢見の悪いまどろみから覚めたようなあさぎの面差しへ、青は笑みと共に頷いた。
そんな二人の「微笑ましい」やりとりを、朱鷺面の背中が耳をそばだてて聞いている。
死体の検分を行う手を動かしつつ、
「あー…あの娘…、そっかぁ…なるほど…」
と面の内側でか細い独りごとを零した。
「日野家…噂の正体……なるほど…」
あさぎの家系、日野家は武門の名家の一つ。歴代何人もの上士や特士を輩出している。
そんな名門について、ここ近年、ある噂がまことしやかに囁かれていた。
―日野家には忌み子がいる
―日野家の奥方は忌み子の呪いにかかって酷い死に方をした
―皮膚が爛れ、手足が千切れ、目も見えず、口も聞けず、化け物の姿に変えられて
「本当…本当、馬鹿みたい…」
首を軽く振って朱鷺面は、泡を吹いて死んでいる死体に突き立った針を、引き抜いた。摘まんだ針を陽光に当てながら、指先で転がす。
「塗ってある薬は…逆飛泉(さかひせん)…と、あれ…この針って…まさか…?……何で、医療士の子が…これ、を…」
丸めた背中越しに、朱鷺面の目が青を見やった。こちらの様子を訝し気に眺めつつも大人しく待っているあたり、まだ幼く拙い印象が拭えない。
「あら」
死体の近くに硝子瓶が転がっているのが目に入る。混乱のさなかに誰かが落としたものだろう。拾い上げてみると一般的によく使われている小瓶で、極小の丸薬が瓶の半分ほどを埋めている。
貼られている紙には狼の箔押しと、署名「シユウ」。
「……」
そっと小瓶を外套の中にしまい込んで、朱鷺面の女は立ち上がった。
「あ…ぐらぐら…する…」
立ち上がった勢いで目眩がして、またその場で二歩、三歩とふらつく。
死体の検分を終えた朱鷺面の女が、青とあさぎの方へ踵を返す。
立ち上がった時にふらついたようで、足取りが少し覚束ないのは気のせいか。
「あの人、本当に何なんだろう…」
あの存在をどう出迎えたら良いのか分からず、青はあさぎを背中に庇った。
背中に凪の紋章を背負い仮面を装着しているという事は、女は技能師―毒を用いた事から毒術師であろう。
だが黒い外套で首から下を覆い隠して面をつけているいで立ちが、これまで見たどの技能師よりも面妖に見える。振る舞いも含めて、総じて「そういう生き物」であるようだ。
「もう…安心…大丈夫…みんな……死んでる…から。君が殺した分、も」
仮面の中から、か細く間延びした口調に似合わない言葉が並べられた。
「あの、あなたは」
「……君は?」
「あ」
慌てて青は背をただす。
「失礼しました、大月青下士、医療士です。初等学校の保健士も兼任しています。こちらの子は日野あさぎ、初等学校の生徒です」
青の模範回答へ、朱鷺面は「ご丁寧にどうも」と傾げ気味に頷き返した。
「私、は…朱鷺(トキ)。毒術師」
外套の隙間から手甲を装着した手が差し出される。
「え」
青の目に映ったのは、龍の紋章。
麒麟が不在である現状において実質上、凪における毒術師の最高位だ。
「…お前が?…って、…おも、思った……でしょ…」
朱鷺の声と仮面が小刻みに震える。
「め、滅相もないです!」
図星だが、青は全力で否定する。
「いいの…みんなそう……私、こんなだから…」
朱鷺の面は俯き、背を丸める。背丈に見合っていない外套に顔が半分埋もれてしまうと、まるで萎んだホオズキだ。
「お姉さん、大丈夫?」
あさぎがホオズキの背中を撫でて慰め始める。
「……」
枯れたホオズキを前に、青は冷たい汗が背中に流れるのを感じていた。
そしてこれが、青にとっての師―藍鬼、ハクロに続く、三人目の師との出会いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます