ep.20 朱鷺(2)

「ぐあっ!」

「うお!」

 暴漢たちの体が次々と風に弾かれる。

 誰かが苦し紛れに投げた苦無も、風の膜に絡め取られてどこぞへと弾け飛ぶ。


「あさぎちゃん……?」

 青がようやく目を開けると、目の前にはあさぎの桃色の背中。


「いつの間にこんな……」

 青が知るあさぎは、裏山で風術に何度も失敗していた姿だけだった。


 あさぎが突き出した左手を強く握ると同時に、風壁が消失。間髪入れずに、握った拳を頭上に掲げ、

「鎌鼬!」

 唱えと共に前方へ振り抜くと、風は巨大な爪となって草と地を裂いた。


「クソ!」

 暴漢達は、散り散りになって風の刃の襲来から逃れる。

 行き場を失った風の爪は家屋一つを粉々にしてようやく鎮まった。


「あいつらやっつける……!」

 再びあさぎの腕が上がる。


「待て!」

 あさぎの細い手首を、青の手が掴んだ。

「血を使っちゃダメだ!」

 あさぎの左二の腕から上腕にかけて、男に斬りつけられた傷が走っていた。流れ出る血が指先から滴り続けている。


 血触媒。

 風はあさぎの血を糧にその力を荒ぶらせていたのだ。


「でもあいつら!」

「僕が何とかする」

 あさぎの体を強引に自らの背後へ引き、青は針を片手に握り込んだ。

 敵の数は残り七人。手持ちの毒針の数は辛うじて足りる。


 一本たりとも外さなければ、だ。


 初手は不意打ちだった。

 だが二度目は? 

 こちらの切り札を見た以上、奴らも本気になるだろう。


 青は対峙する賊ら一人一人を見据えながら、手持ちの針、武器、式符の数を計算して、どう戦うかを考える。


 奴らを足止めし、あさぎを逃がすには。

 どうすれば。


 ぽつり


「……?」

 青の思考を邪魔するように、一雫の水が頬を打った。


 二つ、三つ、と続く。


「天気雨か?」

 誰かが呟いて空を見上げる、そんな僅かな間に、断続的だった雫は細雨へと代わり、あっという間に辺りは白糸の紗に包まれたように雨に烟った。


「え」

「あれ??」


 雨音に混ざり青とあさぎの間の抜けた声が漏れる。

 何が起きたのか。


 空を見上げた姿勢のまま、一人、また一人と、音もなく暴漢たちが倒れていった。


 苦悶の声や悲鳴を一切上げることなく。

 まるで紙人形が、指先でほんの少し押されて倒れるかのように。


「せ、先生、何かした?」

 背中からあさぎの焦った声。


「いや……?」

 青は首を横に振る。


 瞬き三回分ほどの間に、気がつけば残った七人の悪漢たちは残らず土の上に引っくり返っていた。

 雨はいつの間にか止んでいる。

 というより、消えていた。


「見てくる!」

 青の背後から飛び出そうとしたあさぎを、


「あ、あ、あ、あの、ま、ま、待って」

 頭上からの声が、止めた。


「え?」

「???」


 見上げると、青とあさぎの真上に伸びる高枝に、新たな人影。

 黒く長い嘴を持つ鳥の面が、黒い外套で首から下の全身を覆い隠している。

 まるで木の上に留まる巨大な梟か蝙蝠のようだ。


「先生、何、あれ! 妖魔!?」

 あさぎが青の背中に隠れてしまう。


「よ、妖魔……、妖魔だなんて……ひど、ひどい……あ……でも強そう……って、こと……? 違う、か……」

 頭上の鳥面が、枝の上で独り言を呟いて震えている。


「あの、どちら様ですか?」

「い、いま、降りる、から」


 青に応えるように人影は枝を蹴る。

 黒い外套がひらりと宙に舞う。

 裏布の淡い桃色が翻り、音もなく着地した。


 と思いきや「あいたた」とふらつく。


「そこ、そこから……動……動かない、で」

 か細く高く、何やら不安定な女の声。


 背丈はあさぎより少し高い程度。

 成人の女にしては小柄な部類だ。


 振り返った仮面は色褪せかけた紅塗りに、黒く長い嘴の突起。

 朱鷺を模した仮面のようだ。


「ゼッッッタイに触らないで、ちょっと……待ってて……」


 朱鷺の仮面は青たちに背を向けると、地に転がる男たちの方へ歩き出す。

 外套の背中に凪の紋章が刺繍されていた。


「あれね、強い毒……だから」

「え」


 通り雨を見上げた面持ちのまま時間が止まった暴漢らの顔を、朱鷺の仮面が一つ一つ、見回っていく。

 一回ごとに「うん」と頷きながら。

 その動きがまるで、エサを探して水田を歩く水鳥のようでもあった。


「あの……」

 唐突に現れた「奇妙なイキモノ」のような存在に、青もあさぎもどう対処して良いのか分からなくなる。


「あの、ご、ごめん、ね……」

「え?」

 朱鷺の仮面の声がか細すぎてよく聞こえず、青は身を乗り出して耳を傾けた。


「助ける、の、遅く、遅くなってしまって……」

 女は転がる死体の前にしゃがみ込む。


「この人たち、尻尾を出すまで……その……手が、出せなくて」

「いえ、そんな。助けて頂いて、あ!」


 弾かれるように青は振り向きあさぎの前に腰を屈め、男に切り付けられた左腕をとった。

 案の定、二の腕から前腕にかけて走っていたはずの大きな裂傷が、青の人差し指ほどの長さにまで治癒していた。

 念のために解呪も施したが、毒や呪い反応は出ない。


「よく我慢したね……助けてくれてありがとう」

 青からの労いに目を丸くしたあさぎは、一呼吸をおいて目を細める。


「へへ。大丈夫だよ!」

「治るのが早くたって、斬られた時は痛かったでしょ」


 いつものあっけらかんとした面持ちへ、青は首を横に振った。こうしている間にも、あさぎの左腕は完治に近づいている。


「脚だって、僕が呑気に寝てた時に、独りでどうしようって痛くて怖かったと思う」

「で、でも私、ダイジョー……」

「『大丈夫』って、無理に言わなくてもいいんだ」

「……」


 夢見の悪いまどろみから覚めたようなあさぎの面差しへ、青は笑みと共に頷いた。


 そんな二人の「微笑ましい」やりとりを、朱鷺面の背中が耳をそばだてて聞いている。


 死体の検分を行う手を動かしつつ、

「あー……あの娘……、そっかぁ……なるほど……」

 と面の内側でか細い独りごとを零した。


「日野家……噂の正体……なるほど……」

 あさぎの家系、日野家は武門の名家の一つ。

 歴代何人もの上士や特士を輩出している。

 そんな名門について、ここ近年、ある噂がまことしやかに囁かれていた。


――日野家には忌み子がいる

――日野家の奥方は忌み子の呪いにかかって酷い死に方をした

――皮膚が爛れ、手足が千切れ、目も見えず、口も聞けず、化け物の姿に変えられて


「本当……本当、馬鹿みたい……」

 首を軽く振って朱鷺面は、泡を吹いて死んでいる死体に突き立った針を、引き抜いた。摘まんだ針を陽光に当てながら、指先で転がす。


「塗ってある薬は……逆飛泉(さかひせん)……と、あれ……この針って……まさか……?……何で、医療士の子が……これ、を……」

 丸めた背中越しに、朱鷺面の目が青を見やった。

 こちらの様子を訝し気に眺めつつも大人しく待っているあたり、まだ幼く拙い印象が拭えない。


「あら」

 死体の近くに、硝子瓶が転がっているのが目に入る。


 混乱のさなかに誰かが落としたものだろう。拾い上げてみると一般的によく使われている小瓶で、極小の丸薬が瓶の半分ほどを埋めている。

 貼られている紙には狼の箔押しと、署名「シユウ」。


「……シ、ユウ……」

 そっと小瓶を外套の中にしまい込んで、朱鷺面の女は立ち上がった。


「あ……ぐらぐら……する……」

 立ち上がった勢いで目眩がして、またその場で二歩、三歩とふらつく。



 死体の検分を終えた朱鷺面の女が、青とあさぎの方へ踵を返す。

 立ち上がった時にふらついたようで、足取りが少し覚束ないのは気のせいか。


「あの人、本当に何なんだろう……」

 あの存在をどう出迎えたら良いのか分からず、青はあさぎを背中に庇った。


 背中に凪の紋章を背負い仮面を装着しているという事は、女は技能師――毒を用いた事から毒術師であろう。


 だが黒い外套で首から下を覆い隠して面をつけているいで立ちが、これまで見たどの技能師よりも面妖に見える。振る舞いも含めて、総じて「そういう生き物」であるようだ。


「もう……安心……大丈夫……みんな……死んでる……から。君が殺した分、も」

 仮面の中から、か細く間延びした口調に似合わない言葉が並べられた。


「あの、あなたは」

「……君は?」

「あ」

 慌てて青は背をただす。


「失礼しました、大月青下士、医療士です。初等学校の保健士も兼任しています。こちらの子は日野あさぎ、初等学校の生徒です」


 青の模範回答へ、朱鷺面は「ご丁寧にどうも」と傾げ気味に頷き返した。


「私、は……朱鷺(トキ)。毒術師」

 外套の隙間から手甲を装着した手が差し出される。

「え」

 青の目に映ったのは、龍の紋章。


 麒麟が不在である現状において実質上、凪における毒術師の最高位だ。


「……お前がぁ? ……って、……おも、思った……でしょ……」

 朱鷺の声と仮面が小刻みに震える。


「め、滅相もないです!」

 図星だが、青は全力で否定する。


「いいの……みんなそう……私、こんなだから……」

 朱鷺の面は俯き、背を丸める。

 背丈に見合っていない外套に顔が半分埋もれてしまうと、まるで萎んだホオズキだ。


「お姉さん、大丈夫?」

 あさぎがホオズキの背中を撫でて慰め始める。


「……」

 枯れたホオズキを前に、青は冷たい汗が背中に流れるのを感じていた。


 そしてこれが、青にとっての師――藍鬼、ハクロに続く、三人目の師との出会いだった。

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