第2話
ソウイチを見ていると、僕は心の底から懐かしい感情が噴き出してくる。
男——ソウイチは僕の頬を両手で覆った。
「ユウイチはよく頑張ってきたと思うよ。僕から見ても」
「……お前は、誰だ」
「誰でもいいじゃないか」
「お前は、誰だ!!」
すると抱きしめられた。男の身体はひどく温かかった。ふっと、甘い香りが漂う。
何も、反論さえもできない。
「お前が悪いんじゃない」
「……」
「お前はよくやってる」
「……」
言って欲しかった言葉を、僕と同じ顔の男は言った。
「人生を前向きに生きよう。今までと同じように、努力しよう」
「……無理だ」
言葉が染み渡り、僕はぽつりと漏らしてしまった。
ソウイチは僕を撫で始めた。
「無理なんだ。じゃあ、僕がかわってあげよう」
どういうこと、と思った時、アサイーティーが出された。ソウイチはアサイーティーを僕についでくれた。
僕は素直にそのハーブティーを飲んだ。
頭がぼんやりとする。恐ろしいほどぼんやりとして、僕はソファに倒れこんだ。
ロビーの隣の広間で、●●の解体ショーをやる、という声が聞こえた。
気づけば、僕は大きな板の上に乗せられていた。
誰か、板前のような人が、言った。
「ヒレと頭を切り出していきます」
え、と僕はぼんやりした頭で考える。どういうことだ。どういうことなんだ。
ノコギリが、いや、チェーンソーが、僕の右足に当たった。ごぎごぎ、という骨の削られる音がして、右足が、吹き飛んだ。
血がどばりと溢れる。
「やめろ!!」
その悲鳴など聞こえなかったように、板前のような人は、僕の左足も切り落とした。
「あああああああああああ!!」
痛覚は、ない。だが、恐怖は、ある。
ヴィンヴィンヴィン……。
チェーンソーが不愉快な音を立てた。
板前と客が会話している。
「●●、大変元気ですねえ。新鮮ですから」
「やめてくれ! 僕が何をしたって言うんだ」
板前が大笑いした。
「何をしたって言うんだ、ですって。いっぱい悪いことしたからここに連れてこられたか、まあ、神様か仏様の気まぐれか」
ぎいいいん、とチェーンソーが僕の左腕を切り落とす。
助けてくれ、誰か、と右腕を伸ばすが、その右腕も切り落とされた。
血が吹き飛び、僕は悲鳴をあげた。血が大量に出たのが怖かった。
「本当なら頭から先に落としちゃうんですけどね、新鮮だから……」
今度は信じられないほど大きな包丁で、腹をざくりと捌かれた。ごぶりと、血を吐いたのはわかる。
大腸が、僕の大腸がぽろりと見える。
「ああ、血抜きしないとまずいよな」
そうして、僕は首に大きなナイフを振り下ろされた。尻を切り込まれ、大きなバスタブのなかに入れられた。
その瞬間、ばあっと、今まで幸福だった出来事が脳裏に蘇った。
母に褒めてもらったこと。
父に褒められたこと。
クラスで一番を取ったこと。
先生に褒められたこと。
ボランティアで、周りの人に褒められたこと。
大学で、友達に「すごいね」と言われたこと。
大学のサークルの女の子に、セックスの腕前を褒められたこと。
恋人の沙都子に、「祐一は優しいね」と褒められたこと。
上司に、褒められたこと。
部下に、褒められたこと。
最後に、あ、と僕は思い出した。実家の仏壇に、小さな臍の緒がある。
その臍の緒の上に書かれていた名前は、
僕の生まれるはずだった双子の兄。生まれた直後に死んだ。僕だけ助かった。
でも、その臍の緒をこっそり捨ててしまった。
母が、父が、半狂乱になって臍の緒を探していて、不思議な気分になった。僕は、僕一人だけでいいのに。母も父も、世界も、僕を肯定するためだけに存在するのに。
どうして他人の居場所など作らねばならない。
そして、肉の塊は、血抜き処理のあと、頭を切り落とされた。
背中側の右半分を切り出され、その下、腹部を切り出され、反転、左半分を解体された。いくつかのブロックに切り落とされ、客に振る舞われた。
その翌日、ホテルのある一室で、少壮の穏やかそうな男が、「この服は俺に似合わないなあ」と言いながら、アルマーニのスーツやブルガリのジュエリーや何やらを困ったように見つめた。
アロハシャツに着替え直すと、スマホで上司に連絡した。
「はい。とってもいい場所ですよ。あと数日したらちゃんと戻りますって! すみません。ちょっといろいろと行き詰まってて、しょげちゃって。佐伯にもよろしく伝えてください。留守にして申し訳ないって。彼女がいるから僕は仕事やれてるようなもんなんで」
スマホを切ると、また別の人間に連絡した。
「元木〜、また飲み行かね? 俺、仕事で行き詰まって、カノジョにも振られて、あはは、身の丈に合わずフランス料理なんて食いに行くからダメだったんだわ。で、お前の仕事……ケアマネジャーってすげえ仕事だよな。尊敬するわ」
さらに別の人間に、今度はメッセージアプリで連絡した。
「ごめん、沙都子。俺、どうかしてた。ここに来て気分が解放されてみると、俺って本当に未熟だったんだなって思えてくる。反省するから、……許してほしい」
全ての人間から、こう言われていた。「なんだか変わったね」、と。
そのホテルのバルコニーから見える海は見事なエメラルドブルーだった。
南のリゾート地で、僕が変わった話 はりか @coharu-0423
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