15 水増し

 さて、子どもを宿屋止まり木――ランさんの部屋まで連れてきて。……困った。

 後のことを何も考えて居なかったのだ。とりあえずは常識的な対応を考えると自己紹介だろう。


「私はリーテス・イーナスといいます。あなたは?」

「……エプル」

「ありがとうございます、エプルさん。そこの人はリャオ・ランさんといいます」


 子どもはどうしていいかわからない、というように未だに縮こまっている。

 うん、とにかく。今は細かい話を更に後回し。まず目についたものから片付けていかないと。


「では、エプルさん。お風呂に入りましょう」

「えっ」


 止まり木は冒険者を相手にする宿屋だ。血みどろで帰ってくる冒険者だっているのだから多少汚れた子どもが風呂場に入っても文句は言われない。たぶん。そのはず。

 見たところ、エプルさんは10歳に達してはいないのではないだろうか。小さく、やせ細っている。ご飯を食べさせたいのだが、まずは汚れを落とした方がいい。

 汚い冒険者だって食堂に入れないのだから彼女も断られそうだ。


「失礼ながらエプルさんは女の子、ですよね」

「うん」

「では私と入りましょう」


 驚くなかれ。この止まり木であるが、なんと温泉が湧いているのである。

 女将さんのお父様が源泉を掘り当てたのだそうだ。温泉は宿屋に泊まる冒険者が主に利用しているが、止まり木から少し離れた別館に建てられており偶に一般客も来ているらしい。

 私は魔道具で温めた水を放出しているだけのシャワーで終わらせることが多かったのだが、温泉の快適さに最近は長湯になりがちだった。

 とまぁそんな事情は置いておいて。


「風呂から出たらここに集合?」

「いえ、食堂にしましょう。今日はたくさん動きましたから。エプルさんもお腹が空いているでしょうし」

「わかった」


 バスタオルを籠に詰めて部屋を出る。手を差し出すとエプルさんがぎゅっと握ってくれたので別館まで進む。

 混乱しているのだろうな、と思いながらもかけられる言葉を私は持たなかった。打ち解けるような話をするのはあまり得意じゃないのだ。

 それにランさんだって元からあまり話す方じゃないし。


 

 では、また。そう言って女湯と男湯に分かれる。

 人間を洗ったことはないが何とかなるだろう。全体的に薄汚れているエプルさんを見て覚悟を決める。

 それに売店でシャンプーもちょっといいのを買ってきた。絡まった長い髪だってマシになればいい。


「ここで服を脱いでください」


 脱衣所で私も服を脱ぐ。メイド服もゴミ屋敷の清掃をしていたので汚れているのだ。エプルさんの服共々念入りに浄化魔法をかけた。

 浄化魔法を使えば簡単な汚れや雑菌の類は落とせるのだが、そろそろ洗濯をしよう。

 気分の問題で洗濯をした方が気持ちがいい。近くの貸洗濯機店を探しておこう。


「あら、エプルさんは獣人だったんですね。猫獣人でしょうか」

「狼だよ」

「失礼しました」


 やせぎすのお尻には人間にないもの、尻尾が垂れていた。尻尾を通す穴の無い服を着ていたから気付かなかった。それに髪もボサボサで耳も隠れてしまっていたから。

 あとは狼獣人と猫獣人の違いはあまりわからないのだが、本人たちにとっては重要なのだ。それは“どっちも同じでしょ”などと言ってしまうと侮辱罪に問われるほどに。


「あ……」

「どうしました?」

「すごく痛そう」


 視線、相変わらずエプルさんの目は隠れてみえないのだが、その先を追って納得する。私の身体はそれなりに古傷だらけだ。

 治癒魔法ですぐに治せないような状況もあったから、傷が残ってしまったのだ。普段は露出の少ないメイド服を着ているので分かり辛いが、無数にある古傷が気になったのだろう。

 冒険者は身体が資本の仕事だったから仕方がない。

 

「昔冒険者をしていたので。今は全く痛みません」

「よかった」


 すぐに閉じるような傷口は治せる。だが肉そのものが潰れているだとか損失しているといった大きな傷は、私の治癒魔法では治せないのだ。


「あなたは優しい人なのですね」

「そうなのかな」


 脱衣所を出た先には室内温泉だ。女将さんの野望はいつか露天風呂の建設らしい。が、室内だって雨天問わず入れるのだからいいじゃないか。

 今日は私たち以外に入浴客は居ないようだ。

 冒険者は男性が中心だから、男湯は比較的人が多いそうだが女湯は常にガラガラである。


「今からあなたを洗います。目を閉じていてください」

「えっと」

「洗剤が入ると痛いですよ」


 椅子にエプルさんを座らせると、まずはぬるま湯で髪を濡らしていく。しっかりと目を閉じているのを確認してシャワーを頭部に押し当てた。

 汚れはこの予洗いをしっかりとやっておくとたいてい落ちる。残った汚れを髪洗剤シャンプーで落とすのだ。

 きっと綺麗な赤毛なのにもったいない。とはいえ長すぎるので切った方がよさそうだ。丸い獣耳にお湯が入らないように洗う。


「熱くはありませんか?」

「大丈夫」


 次はシャンプーを手に取り泡立てるのだが、もうこれは直接かけた方が良さそうだ。

 直接頭部にかけると揉み込みながら洗う。獣人の耳は人と違う位置にあるので入らないように気を付ける。

 最初は泡立たなかったが幾度かくりかえしているとようやく泡が立ってきた。


 あ、これちょっとシャンプーかけすぎたな。想像以上にもこもこと湧き立つ泡を誤魔化すように洗い流していく。

 ともかくこれで汚れは落ちただろう。


「身体は自分で洗ってください。私は今から自分の頭を洗いますので」


 スポンジをエプルさんが受け取る。私もお腹が空いた。

 さっさと洗って夕飯にしてしまおう。たぶんエプルさんも慣れていないだろうし、浸かるのはまた今度だ。


 お高いシャンプーはボトルの底に少しだけ。

 ボトルにお湯を入れるとシャカシャカと混ぜて自分の頭にふりかけた。

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