13
くるり、くるりと面を回す。
物言わず狐の面を手の内で弄ぶ藩主は、よほど奇妙に見えるのだろう。蝋燭の光を頼りに書を読み上げながらも、家臣たちは気遣わしげに視線を向けてくる。あるいは、立て続けに起きた事件のせいで、憤怒を腹のうちに抱えているとでも思われているのかもしれない。
そんな攻撃的な顔は、民にも臣にも見せたことはないというのに。
――外向けの顔とおひとりでいるときの顔が違いすぎると、疲れませんか。
嘲りが多分に込められた声音を思い出し、直澄はそっと口角をつり上げる。
疲れやしない。これが本来あるべき直澄の人生なのだから。
望まれる反応を考えて返してやれば、面白いくらいに他人はこちらに好意を抱く。
迷える者に行くべき道を示してやれば、それだけで臣下たちは聡明な主人だと信頼を寄せてくる。
疲れるとしたら、それは他者に感情を振り回されるからだ。興味を持てない他人相手に、感情が動くはずもない。ただ頭で考えて、然るべき時に最適な言動を取ればそれでいい。簡単なことだ。
昔は違ったような気もするけれど、いつからか斬り合いの興奮以外ではめっきり心が動かなくなって、気づいたときにはこうなっていた。
直澄の心を乱すのは、今も昔もただひとり。
忌々しくて慕わしい、あの戦狂いの狐だけだ。
「お屋形さま、あの……」
「うん?」
「半蔵さまの亡骸は、ご遺族のもとにお届けしました。報告にあった
「そうか。ありがとう。……すまないな、連日こんな夜中まで働かせて」
「い、いえ! とんでもございませぬ。昨日の襲撃といい、今日の
「そうだな。皆の献身には、感謝している」
くるり、くるり。
人当たりのいい藩主を演じながら、淀みなく舌を動かして、臣下を労る言葉を掛ける。敬愛の視線は、しかし仮面を弄ぶうちに、困惑の色を帯びて直澄の手の上へと向かっていった。
「あの、お屋形さま。先ほどから気になっていたのですが、その面は……?」
ぴたりと手を止める。
それは、直澄の部屋の奥深くにしまわれていたはずの面だった。昨夜までは傷ひとつ付いていなかったというのに、直澄の手の中のそれには、これ見よがしな亀裂が刻まれている。
「半蔵の遺体の横に置かれていた」
狐の面に視線を落としながら、直澄は黄昏時に作られた家臣の死体を思い出す。
一太刀で首を飛ばされていた、あの死体。
下手人が誰かなど、切り口を見ればひと目で分かった。斬られた苦痛さえ、感じなかったのではないだろうか。それくらい美しく、容赦のない切り方だった。あの見事な切り口を思い出すだけで、ぞくぞくと体の芯から興奮が湧き上がってくる。
死体の傍らには、生首が丁寧に置かれていた。死者へのせめてもの敬意からか、人目を避けるようにご丁寧に布地を被せられて。
何人殺そうが罪悪感など覚えぬ異常者のくせして、おかしなところで他人に敬意を払う。あれはそういう、わけの分からない男だった。
「半蔵さまの遺体の横に……? どういう意図があるのでしょう。斬った首の代わりだとでも言うつもりなのでしょうか。こちらを挑発しているのやもしれませんな」
「挑発というよりは――」
狐の面をくるりとひっくり返し、面の内側を、戯れに己の顔へと押し当てる。面に入れられた亀裂は、嫌味なくらいにきっちりと、直澄の左目の傷跡と同じ位置に刻まれていた。
「――宣戦布告さ」
歓喜に歪みそうになる唇を仮面で隠して、直澄は背を丸める。笑い声は殺せても、震える肩までは隠せなかったらしい。心配そうに家臣がこちらを伺う気配がした。
「お屋形さま……。泣いておられるのですか? なんとお優しいことでしょう。お屋形さまのような人格者にお仕えできたこと、半蔵さまも誇りに思っていらっしゃると思いますよ。ともに戦えなかったことは悔やまれるでしょうが……」
無言のまま、直澄はゆるりと頭を振った。
皆が信じる藩主など、本当はどこにも存在しない。仮面を被っているときが本当なのか、それとも仮面などない素の顔が真実なのか、もう直澄自身にすら分からない。けれど、家臣たちが敬愛する『お屋形さま』が夢幻であることだけは違いなかった。
騙されている者たちを気の毒だとは思うけれど、罪悪感は覚えない。見たいものだけを見せてやる方が、彼らだって幸せだろう。長く息を吐いて、歪み切った表情をもとに戻す。狐の面を下ろしながら、直澄は思慮深く呟いた。
「……同盟藩に書状を出すとしようか。小浜藩の動きによっては、争いの規模が大きくなる。世が争いに乱れるのは悲しいことだが、できる限り早急に終わらせねばな」
「はっ。仰せの通りに」
足早に部屋を出ていく家臣を見送って、直澄は狐の面を丁寧に棚に戻した。ずきりと痛む左目をそっと押さえて、恋慕う相手を想うように天を仰ぐ。
「ああ、本当に……度し難い」
そんなにも直澄と斬り合いたかったのだろうか。無関係な者たちに死と災いを振り撒いて、何も言わずに争いの場を整えに向かうほど。
そうまで焦がれられているとは思わなかった。
幻乃が何を思って出て行ったのかと考えるだけで、胸が高鳴る。
愛しい狐が招いてくれるというのなら、応えるまで。
傍らで過ごした日々を思うと名残惜しい気もしたけれど、未練には気付かぬふりをした。
――もうすぐだ、幻乃。
心の中で語りかけ、直澄はひとり凶悪に微笑んだ。
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