3
幻乃が直澄に追いつくころには、ほとんどすべてが終わっていた。道中には物言わぬ死体が点在しており、一際開けた場所――以前、幻乃が直澄と手合わせをするのに使った場所では、ちょうど直澄が、三人の刺客を相手取って立ち回っているところであった。
だが、それも間もなく終わりを迎える。首を斬られた一人が地に伏せ、残る二人のうち一人もまた、血を流しすぎたのか、刀を落としてぴくりとも動かなくなった。
「『人斬り狐』はどこにいる……!」
最後に立っていた一人は、満身創痍の体で気丈にも構えながら、唸るようにそう言った。
「隠しても無駄だ。この地にあの悪名高い人斬りが匿われていることは、突き止めているのだぞ!」
「ほう? では、その悪党に、何の用事があるのか言ってみろ。事と次第によっては、居場所を教えてやらんでもない」
冥土の土産にな、と悪どい顔で呟く直澄は、控えめに言っても魔王か悪鬼のようだった。直澄の挑発を受け、血まみれの男は激昂したように怒鳴り出す。
「知れたこと! あの人斬りのせいで、ひと月前、我々は……ぁ?」
「――ああ、すまない。もう斬ってしまった」
チン、と刀を鞘に収める音がした。気づけば刺客の男と直澄の位置は入れ替わっており、「え?」と呆然としたような声を最後に、男は自らの血でできた血溜まりの中へと崩れ落ちていく。
いつ斬られたのかさえ気づかなかったのだろう。ぽかんと間抜けに開かれたままの目と口が、憐れみを誘った。
一撃で命を刈り取る神速の剣線。幻乃でさえ、目で追うのがやっとだった。木の幹に背を預けながら、幻乃は賞賛のため息をつく。
「……片付けたのか」
どうでもよさそうに声を掛けられて、はっと幻乃は正気に帰る。勢いをつけて木から背を離し、幻乃は直澄の元へと近づいていく。
「俺の方に逃げてきたふたりは斬りました。周囲に人の気配はありません」
「知っている。ずいぶんと無駄口を叩かせていたようだな」
「ああ……、失礼しました」
山本との短いやり取りを思い出し、幻乃はわずかに笑みを曇らせた。それに気づいたのか、直澄は頬に飛んだ返り血を手の甲で拭いながら、幻乃の顔を覗き込むように背を丸める。
「浮かぬ顔をしているな。あれほど斬りたがっていたくせに」
「人を殺人鬼みたいに言わないでください。俺が斬り合いたいのは強い相手です。欲求不満というやつですよ。直澄さんが真剣では相手をしてくださらないのがいけないんです」
茶化して煙に巻こうとしたのに、直澄は仏頂面のまま、幻乃から目を離そうとはしなかった。
「何を話した?」
「直澄さんが心配するようなことは、何も。人気者は羨ましいですね。たくさんの方から熱烈な思いを寄せられていらっしゃるようだ」
「俺に限ったことでもあるまい。討幕を先導する藩の者は皆、多かれ少なかれ恨まれている」
「そうでしょうね」
地面に落ちた三体の死体を眺めながら、幻乃は道中で見かけた死体の様子を思い出す。服装も年代も様々で、忍も武士も、町人らしき者も混ざっていた。山本の言ったとおり、今夜襲ってきた刺客は、三条家に恨みを持つ者たちの寄り集まりだったのだろう。
あるいは、新時代を受け入れられない者たちの集まりと言うべきか。
(俺は、どうなんだろう)
今は良くても、この先は?
――貴様も遠からず辿る道だ。時代に流されることしかできぬ、戦狂いの若造よ。
――きっとお前は平和な時代では生きていけない。
考えまいと思うほど、投げかけられた言葉が胸のうちでぐるぐると渦巻く。
幻乃は毎日をただ生きることしか考えてこなかった。新時代とはそもそも何なのかすら、興味を持ってこなかった。賛成も反対もない。荒れた今の情勢がいつか落ち着くとして、どんな時代が待っているのかすら分からない。幻乃には、斬り合い以外にやりたいことも、刀以外に本気で興味を抱けるものも、何もないのだ。
「……直澄さんは、なぜ維新を進めようと思ったのですか?」
刺客たちの刀を拾い集めながら、幻乃はなんとなしに直澄へと問い掛けた。
「俺が進めたわけではない」
「ご謙遜を。三条家といえば、開国を押し進め、維新の風潮を生み出した立役者ではありませぬか」
話をねだるように言葉を足せば、直澄は億劫そうな様子ではあったものの、やがてゆっくりと口を開いた。
「黒船を知っているか」
顔を上げた幻乃は、首を傾げながらも「ええ、もちろん」と頷く。
「十五年くらい前に来た、外国の船でしょう? 新しい技術を色々と運びこんできたと聞いていますよ。思えば維新をと叫ばれるようになったのも、あのときからでしたね」
「そうだ。俺はこの国の中でさえ、端から端まで歩いて見て回ったこともない。だが、世界から見れば、百以上ある藩すべてを合わせても、東の果ての小さな島国でしかないのだという。世界は途方もないほど広い。……ところがどうだ? 運び込まれた技術は革新的で、髪も目も肌の色さえ違う者たちが、いつ押し寄せてくるかも分からぬというのに、我々は延々と内輪の頂点を巡って揉めている。井の中の蛙そのものだ」
「はあ……」
自分で尋ねた話ではあったけれど、
俊一も、こういう回りくどい話し方をする時があった。藩主というものは皆こういうものなのだろうか。亡き主人を思い出しながら気のない相槌を打てば、直澄は呆れたように眉間の皺を深めた。
「……要は、外国は我々よりも圧倒的に進んだ技術と考え方を持っていて、この国は今すぐ行動しなければ、容易に他国に吞み込まれないということを、多くの者が実感したのだ」
「直澄さんもそう思ったから、改革側に
幻乃の問いかけに、直澄は小さく頷く。
「時代の流れは止められない。ならばせめて、流される側よりは、流れを作る側に立つことを選んだまで」
「なるほど……」
言っている意味は理解できる。けれど直澄の答えは、幻乃の抱えるわだかまりを晴らしてはくれなかった。
直澄は上に立つ者としてきちんと先を見据えている。どれほど近しく、似た者同士だと感じられても、結局のところ直澄は幻乃とは違うのだと、分かりきっていた事実を改めて実感しただけだ。
拾い集めた刀に視線を落とし、幻乃は直澄に気付かれぬ程度にため息をついた。――つもりだった。
「――あの死体どもは、お前に何を吹き込んだ?」
直澄は、おどろおどろしい声でそう一言呟いたかと思えば、ぐい、と強く幻乃の腕を掴んだ。慌てて顔を上げるが、月を背負った直澄の顔は、逆光で表情がよく見えない。
「え? ……っ、わ」
こちらの都合などお構いなしに、直澄はどこぞへと幻乃を引っ張っていく。直澄は彼我の体格差を忘れているらしく、進む速度に一切の容赦というものがなかった。足がもつれて、幻乃はうっかり近くの死体に躓きかける。
「直澄さん? あの死体、処理をしないとまずいのでは――」
「お前が気を回すことではない」
「そうですが……、あの、痛いんですが! いきなりどうしたんです?」
馬鹿力め、と内心舌打ちをする。こうもしっかり掴まれてしまうと、振りほどこうにも振りほどけない。幻乃にできることといえば、何やら不機嫌を丸出しにしている直澄に引きずられるがまま、小走りについていくことだけだった。
見慣れた寝室の襖を開くや否や、直澄は幻乃を部屋の中へと突き飛ばす。
「……っ! 今日の直澄さんは、ずいぶんと乱暴者ですね? どう――」
「抱かせろ」
文句を遮って告げられた言葉に、思考が停止する。
張り付けたままの笑みが崩れなかったことを自分で褒めてやりたいくらいには、驚いた。
「……聞き間違えでしょうか。今『抱かせろ』と仰いましたか?」
「そう言った」
静かな声音で告げるとともに、直澄は後ろ手に襖をぴしゃりと閉じる。月明かりが差し込む薄暗い部屋の中で、直澄の瞳だけがぎらぎらと輝いて見えた。
「あ、はは……、お戯れを。人を斬って、昂ってしまわれましたか? 悪いことは言いません。馴染みの娼館に行かれた方が――」
「女では務まらない」
「そうでしたね。でしたら陰間茶屋! 陰間茶屋に参りましょう? いつも行ってらっしゃるでしょう? 俺も、お供しますから。俺のような素人で間に合わせるより、よほど良い思いができますよ」
早口に言い募っている間にも、直澄は容赦なく幻乃を押し倒してくる。やすやすと両腕を布団に縫い付けられながら、幻乃は心の中で嘆いた。
――なぜ、今日に限って。
二か月もの間そばで暮らしたが、直澄に劣情を向けられた覚えは一度としてなかった。ただでさえ久々に斬り合いを楽しめるかと思えば肩透かしを食らい、胸にはもやもやとしたわだかまりが残るだけに終わったというのに、あんまりではなかろうか。厄日に違いない。
単純な腕力でも体格でも敵わぬ男に伸し掛かられている状況ほど、不愉快で落ち着かないことはない。手際よく着物をはだけられ、ほとんどむき出しにされた上半身が、冷や汗のせいで妙にすうすうとした。
「もう黙れ、幻乃。……お前は、
うめくように何事かを囁いた直澄は、そっと幻乃の袴に手を伸ばす。
その瞬間、わずかに直澄の視線が逸らされた一瞬の隙を狙って、幻乃は全力で拘束を振りほどいた。
「黙るのは、あなたの方だ!」
腕を押さえていた直澄の手から逃れた勢いそのままに、幻乃は直澄の肘をひっつかみ、関節をきめて折ろうとした。舌打ちをして身を反らした直澄を、幻乃はそのまま体当たりをするように突き飛ばす。
遠くへ投げられた刀を取りに行く暇はない。腿に仕込んだクナイを取り出し、体ごと幻乃は刺突を繰り出した。喉を狙った攻撃は、しかし瞬時に反応した直澄の腕をわずかに切り裂くだけで防がれる。
「あは……! さすが、お強い。ですが、甘い」
刃には毒を仕込んであった。腕が痺れるのか、直澄は拳を握って眉根を寄せる。
殺気のこもった目で睨まれるとたまらない。先ほどまで冷や汗をかいていたことも忘れて、幻乃はぶるりと高揚に身を震わせた。
そうだ。刺客との斬り合いで幻乃が求めていたものは、この感覚だった。
武器を取り上げらなかったことをいいことに、幻乃は二撃、三撃と絶え間なく直澄に襲い掛かる。顔を歪めた直澄は、刀をほんのわずかに鞘から抜くことで、幻乃の攻撃を受け止め続けた。
狭い室内で、どったんばったんと取っ組み合うように幻乃と直澄は暴れ回る。半裸で大の大人が二人、本気か遊びかも分からないまま武器を振り回しているのだから、はたから見たらわけが分からないだろう。
顔を顰めていた直澄は、しだいに口元を凶悪な笑みの形に歪めていく。つられるように幻乃も、作り物ではない心からの笑みを浮かべてクナイを振り上げた。
力比べでは不利な体格でも、狭い場所で立ち回るには、幻乃の体は小回りがきく。ましてや痺れ毒で動きの鈍った直澄相手ならば、なおのこと。今までは斬り合いを望んでいたからあえてやらなかっただけで、手段さえ選ばなければ、ただの剣士でしかない直澄ひとりどうこうする程度、幻乃にとってはわけもないことだ。
抱きつくように直澄に襲いかかった幻乃は、背に回した手で直澄の着物を引っ張り、直澄の体勢を崩しにかかる。
「……っ、ちっ!」
「寝技はお苦手ですか?」
重心を傾けた直澄の体を、幻乃は自らの全身を使って押さえ込む。取っ組み合いが始まったときとは真逆の構図が、出来上がっていた。
馬乗りになった勢いそのままに、幻乃はクナイを勢いよく振り下ろす。だん、と鋭い音を立てて、直澄の顔の真横にクナイが突き刺さる。
「俺の勝ち、ですね」
荒い息の音が重なり響く。興奮で目が潤むのが、自分で分かった。幻乃に乗られている状況が屈辱的なのか、目を爛々と輝かせてこちらを睨む直澄の表情がたまらない。
「……殺さないのか。今なら喉をひと突きすれば、それで終わるぞ」
気づけば幻乃は、生唾を飲み下していた。
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