第4話 プロテインが見せる夢

 あれから毎晩、激しい衝突音で起こされるようになった。


 ダンベルがフローリングに落下する音だ。

 俺はその度に起きて、確認する。


 寝室と玄関の間。

 いつも同じ位置に落ちている。


 いや、少しずつ動いているようだった。

 朝確認するとダンベルの凹みは筋となって、どんどん寝室に近づいているのだ。


 そしてまた、ダンベルの音がした後は決まって同じ夢を見る。

 俺が寝室で筋トレをしている夢だ。


 だが、なぜか毎回メニューが違う。

 最初の夜はベンチプレスだったが、次の日はデッドリフト、次の日はダンベルカール。


 気のせいか、夢の中の俺は少しずつバルクアップしていくような気がした。


 そうして一週間が過ぎようとしたある夜。


 ピンポーン。

 家のチャイムが鳴った。


 それだけで俺はびくっと震える。

 神経が張り詰めていて、急な音に対して異様な反応を示すようになってしまった。


 俺は恐る恐るドアスコープを覗く。


 ドアの向こうにマッチョがいたら。

 そんな恐怖の妄想を抱いてしまうのだ。


 だが、そこには見慣れた作業服を着た男が立っていた。

 ホッとしてドアを開ける。


「お届け物で~す」

「はい」


 俺は荷物を受取ろうと手を伸ばす。


 がくん。


 直後、腕と肩が落ちた。


「重っ!」

 腰をやってしまいそうな重さだった。


「ありがとうございま~す」

 配達員の男は軽く言って、ドアは閉まった。


 何か頼んだっけ。

 そう思いながら廊下まで運び、ガムテープを剥がす。


 ダンボールの中には、でかい袋が入っていた。


 真ん中に派手な色使いでプロテインと書いてある。

 脇には5Kgとも書いてあった。


 どうりで重いはずだ。

 5Kgの米と同じようなものだ。


「くそがー!」

 思わず叫んだ。


 俺は絶対にプロテインなんて買わない。

 しかも、5Kgだと!


 急いでスマホを確認する。

 いつも使っているサイトの購入履歴をクリックした。


 スマホを持つ手はひとりでに震えた。

 そこには確かに、プロテイン5Kgの購入履歴があったのだ。


「そんな……馬鹿な」


 俺は膝から崩れ落ちる。


 いくらダンベルの音で起こされ、筋トレの悪夢を見ようとも、無意識にプロテイン5Kgを買っているなんて。

 寝不足だけでは説明がつかない状況だ。


 白昼夢、いや夢遊病ということか。

 俺の睡眠は筋肉に侵され、俺の意思とは違った行動を取らせる。


 そんな恐ろしい未来が見えた。

 一刻も早くダンベルの謎を解く必要がある。


 俺は握りしめたスマホで地図アプリを開く。

 このアパートの場所を指定して、時間を遡る。


 俺には直感があった。

 幽霊の出るアパートには、大抵いわくがあるものだ。


 それこそ戦時中、その場所で秘密の実験が行われたとか、戦国時代には合戦があった場所とか。

 だが、俺が見たのは軍服姿の男でも、鎧武者でもない。


 ダンベルだ。


「やっぱり!」

 俺は叫んだ。


 このアパートが建てられる五年前、ここには別の建物があった。

 俺でも知っている、某有名トレーニングジムだ。


 そして、俺はこのジムのことを知っている。

 いつだったかワイドショーでやっていた。


 そのジムに通うと、みるみるうちに筋肉がつくと有名なジムだった。

 だが、経営者はマッチョで経営にはとんと知識がなく、いつも赤字経営だった。


 それこそポケットマネーを出してトレーニングジムを借りるような放漫経営だったのだ。

 そんなジムが長続きするはずもない。


 マッチョに優しい、優秀なジムは潰れることになった。


 俺は今でも覚えている。

 日焼けして真っ黒になったマッチョたちが、ブーメランパンツ一丁で往来を埋め尽くし、全員が号泣している姿を。


 あれは一つの新しい地獄を表した絵面だった。


 阿鼻地獄だの等活地獄だのという名がついた地獄があったはずだ。

 あれは、新しい筋肉地獄という名の地獄だろう。


 となると話は、こうだ。

 その時のマッチョたちの悲しみと憎しみが、あの金色のバーベルを生み出した。


 俺があの朝、バーベルに触れてしまったことで、マッチョたちの怨念にも触れてしまったのだ。

 もちろん、前の被害者は隣にいたガタイの良い男だろう。


 アイツは引っ越す前、物音がしないかと俺に聞いた。

 それは、あのダンベルが落ちる音のことだったのだ。


「くそが!」

 アイツは俺にマッチョの怨念たる金色のバーベルをなすりつけ、逃げた。


 可能ならヤツを見つけ出し、目の前でベンチプレスをしてやりたいぐらいだ。

 だが、名前も知らない男を見つけ出すことは不可能だろう。


 それに俺は今夜フローリングに落下するだろう、金色のバーベルをどうにかしなくてはいけないのだ。

 いや、幽霊の正体見たり、枯れ尾花である。


 あれがマッチョたちの怨念と知ってしまえば、もはや恐れることはない。

 具体的な対処法などない。


 だが、相手がわかっていればどうにかなるものだ。

 俺はそんな風に考えていた。


 明らかに油断があったのだ。

 だから、俺は恐怖を呼び寄せてしまった。


 ドスン。


 今夜は早かった。

 うつらうつらとして寝る前に、ダンベルが落ちた。


 マッチョどもが。

 俺は心のなかでそう毒づいて、目を閉じる。


 ヤツらは早まった。

 俺がヤツらの正体を知ったことで焦ったのだ。


 ざまあみろ。

 そう言ってなじる。


 どこにも根拠はないが、ヤツらが焦っていると結論した俺の心は平静を取り戻していた。

 それに、ダンベルは一度落ちてしまえば、もう二度と落ちることはない。


 気にしなければ、どうということはないのだ。


 どうしてこんな簡単なことに気付けなかったのだろう。

 いや、これもダンベルの正体を知ったからということか。


 いつになく静かな夜だった。

 それは、俺の心身にも言えることだった。


 それがいけなかったのだ。

 俺はマッチョを、いやマッチョたちを甘く見ていた。


「・レ・ルヨ」

「キ・テ・・」


「ナ・・バル・」

「・イス・・ク」


 遠くから声が聞こえた。

 とてもかすかな声だった。


 暑い。

 この暑さは異常だった。


 クーラーをつけない真夏の夜よりひどい。

 これはサウナと同じような暑さだ。


 徐々に声も近づいてくる。


「キレてるよ! キレてるよ!」

「ナイス、バルク!」


 半分寝ていた俺の頭に、その言葉の意味がはっきりと理解できた。


 バッ。


 俺は布団をはね飛ばす勢いで、起き上がる。


「いいよ! いいよ! まだまだイケるよ!」

「もう一回! 最後の一回が、筋肉の栄養だ!」


 俺は言葉を失った。

 ベッドの周りには、マッチョたちがひしめき合っていた。


 皆、真っ黒に日焼けしていてブーメランパンツ一丁。

 こんなに、ぎゅうぎゅう詰めで互いがぶつかるはずなのに、なぜか皆それぞれに筋トレをしている。


 ベンチプレスにデッドリフト、ダンベルカール。

 夢の中の俺がやっていたようなメニューをこなしている。


 なぜか俺はマッチョたちの顔が気になった。

 そう、予感があったのだ。


 いつも夢の中で見ていたのは、筋トレをしている俺自身だった。


 うっ、うわああああぁぁぁぁぁぁ。

 声にならない声が頭の中で響いた。


 短く刈り上げた頭の俺が、何人もいた。

 全員がマッチョ、全員が真っ黒。


 俺の周りでは肩も触れそうな距離で、俺が筋トレをしているのである。

 俺たちは皆ほぼ裸といえる格好で汗をにじませ、「ぜやっ」という掛け声の元、その汗を飛ばす。


 布団にはいくつもの点々としたにじみができ、湿度はどんどん上がっていく。


 やめろ!

 俺は声に出したつもりだった。


 しかし、口が動かない。

 俺たちの、いやヤツらの筋肉を止めることができない。


 それでも、俺は口をパクパクとさせる。

 なんとかしてコイツらを止めなければ。


 そう思ったときだった。


 ふいに右耳に熱を感じた。

 すぐ近くに巨大な熱源がある。


 そう悟った時だった。


「ナイス、バルク」

 俺の耳元で、俺がささやいた。


 そこで俺は意識を失った。

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