最終話 ダジャレおじさん、帰還する
――抱き合う麗一とチャトを、中庭の入口から王子たちが見ている。
そんな中、レキスがぼそっとつぶやいた。
「伝えるべきでしょうか」
「ふむ……アイカはどう思う?」
「……私にはなんとも」
三人互いに顔を見合わせ、再びチャトと麗一の方に目をやる。
麗一は透けていた。チャトも透けていた。
「どうやら、触れているものも帰還に巻き込んでしまうようだねえ」
「あのままだと、チャトさんもだじや氏の世界に連れていかれてしまいますね」
「……どうしますか。止めるなら早くしなければ」
「うーむ……チャト君にとって、どちらが幸せか、だね。例えば、アイカが麗一君の立場で、僕がチャト君の立場だとしたら、僕は迷わず連れていかれることを選ぶよ」
「全く。こんな時にまであなたという人は……」
「それでは、見守りましょうか」
「レキス。本当は君も行きたいのではないかな?」
王子の問いかけに、レキスの長い耳がピクリと動く。
「……わかりますか」
「別の世界なんて、君にとってはすべてが興味の対象だろうからね。もし、この城での立場なんかを考えているのだったら、そんなことは気にしなくていいから、行きたまえ」
「それでは、遠慮なく」
レキスが小走りで麗一とチャトの元に駆けて行く。が、途中で足を止め振り返る。
「キッソン氏、色々とご迷惑をおかけしました。どうか王子とお幸せに」
「……やかましい。あまり二人に迷惑をかけるんじゃないぞ。……元気でな」
「……」
王子に視線を移し、じっと見つめる。
「どうした? 急がないと二人とも消えてしまうよ」
俯いた後、少しだけ寂しそうな表情でつぶやく。
「……バイバイ、お兄ちゃん」
そして、振り返ることなく麗一たちの元へと走り去っていった。
「ああ、元気で。……レキちゃん」
そうつぶやいた王子の目には、光るものがあった。
「王子。……泣いているのですか?」
「フッ、これは心の涎さ」
「……それを言うなら汗では」
「フッ。僕としたことが、
「くっ、いきなりなにを……」
アイカが肩を震わす。
「ありがとう麗一君。いや、師匠。君から学んだダジャレで、きっとアイカのハートを射止めてみせるよ。はーっとね」
「……強引すぎませんか」
「フッ……まだまだ修行が足りないようだ」
♢ ♢ ♢ ♢
――チャトの体温と、鼓動を感じる。俺の心臓の鼓動と溶け合って、二人が一人になったような感覚。腰の辺りを誰かが触れているような気がするが、そんなことはどうでもいい。今は少しでも長くこの時間が続けばいい……そう思った。
「やだぁ、こんな所で抱き合ってるー」
「彼女の方はコスプレか?」
「ウサギの格好してるのは子供?」
若い男女の話し声が聞こえる。その声がだんだん遠ざかっていく。……若い男女?
唐突に現実に戻されたような感覚に陥った俺は、静かに目を開けた。
「う……こ、ここは」
見覚えのある道。電柱。道に置かれたカバン。
間違いない、ここは俺が招き猫を見つけた帰り道だ。
「れーいち……」
「た、大変だチャト! 目……目を開けてみてくれ」
「……どうしたの」
名残惜しそうに体を離し、チャトが目を開ける。
「ん……? んん!? えーっ!? ど、どこ、ここ!?」
前後左右をあわただしく見回す。
「ここは……俺がいた世界だ」
「えっ……れーいちの? ど、どうして?」
「説明しましょうか」
「レキス!?」
「レキちゃん!?」
俺の背後からレキスがひょっこりと顔を出す。
「……さすが夫婦ですね。息がぴったりです」
「そっ、そんな夫婦だなんて……あたしたちまだそんなんじゃ……」
チャトが手を前に組んでもじもじしている。とても可愛らしいが今はそんなことを気にしている場合ではない。
「ど、どういうことだ?」
「だじや氏に触れていたことで、異世界への転移に巻き込まれてしまったようです」
「なっ……なんだって……?」
それじゃあもうチャトとレキスはあちらの世界に戻れないのか?
なんということだ……せっかくビータさんも元に戻ったのに。ヤトーラさんになんて言えばいいんだ。もう言葉を伝えることもできないのだが。
「……ところで、なぜレキスまでいるんだい?」
「面白そうだったので、ついてきちゃいました」
「おっ……面白そうって……」
「どうせ故郷の村は魔王に滅ぼされてもうありませんし、私も孤児院育ちで家族はいませんので、特に問題はありません。あ、ラトビ族はみんな逃げて別の集落で暮らしてますのでご安心を」
謎に包まれていたレキスの出自がこんなところで明らかに……。
「だじや氏、ところであれはなんですか?」
レキスが電柱を指さす。
「ああ、あれは電柱と言って、電気を運ぶ電線を支える柱のようなもの、かな」
「では、あれは?」
「あれはカーブミラーと言って……あ、そうだ。ちょっと試したいことがあるんだけど」
「ダジャレ魔法ですね。どうぞ」
「……ありがとう。鏡が
カーブミラーの前に立ち、見上げるとそこには十字路にたたずむ三人の姿が映っている。
「二人とも、あの鏡が見えるかい?」
「うん、面白いねあれ。いぇい」
チャトが鏡に向かってダブルピースをしている。
「どうやら、ダジャレ魔法のスキルも消滅して、普通のおじさんに戻ったようですね」
「はは、そうだな」
嬉しいような寂しいような……。でもこれで、思う存分にダジャレが言えるぞ。
「なんだあれ」
「なんかのイベントの帰りじゃね?」
ブレザーを着た高校生と思しき二人組の男子が、自転車で俺たちの横を駆け抜けていく。
「だじや氏。なんですかあの乗り物は」
「あれは……いや、待った。ここにいると目立つな。ひとまず俺の家に行こう。と言うか、そこしか行く場所はないのだが」
「えっ、れーいちの家!? いくいく!」
「すいませんねえ。若い二人の邪魔をするようで」
「……一番若い君が何を言っているんだい。道中あまり目立たないように頼むよ。職質されたら厄介だからね」
「職質?」
「……後で説明しよう。とにかく、目立つ行動は控えてくれ」
カバンを拾い上げ、中身を確認する。驚くことに、買ったビールが冷えたままだった。
「……あれから、こちらの世界では時間が経ってない、のか?」
「よかったですね」
「ああ。これで明日の朝、店を開けられる……ってそんなことを言っている場合じゃないな。行こう」
「にゅふふ、楽しみー」
「君たちが楽しめるようなものはないと思うよ……」
レキスはともかくとして、チャトはこちらの世界に来たことを後悔していないのだろうか。
「なあ、チャト……」
「ん? なに?」
「……いや、なんでもない」
真っすぐに俺を見つめるチャトの瞳に、後悔の色は見られない。
「愛する人と一緒にいることが、何よりも幸せだと王子が言ってましたよ」
何かを察したレキスが、チャトには聞こえない程度の大きさの声で話しかけてくる。
「……そうなのかな」
「それよりも、だじや氏は明日からのことを考えたほうが良いのでは」
「うっ」
そうだ……戸籍とか、二人の見た目とか、俺の収入で養えるのかとか、あのアパートで三人暮らすのは狭すぎるとか、考えなければならないことが山ほどある。……戸籍ってどうすればいいんだ? チャトもレキスも俺よりずっと長生きするだろうし……うーん。
「どしたの? 難しい顔して」
チャトがのぞき込むようにして俺の顔を見る。
「うん……色々と考えないといけないことがあってね」
「にゃはは。あれこれ考えたって、なるようにしかならないよ」
「そうかな……」
「明日のことは明日考えよう。ね?」
「うーん。しかしなあ……」
「んもー。とうっ!」
「うおっとと」
思案に暮れていると、唐突にチャトが背中に飛び乗ってくる。
よろけながら、なんとか体勢を立て直す。
「あ、危ないぞ」
「うーん、らくちんらくちん」
「大きな荷物を背負い込んでしまいましたね」
「レキちゃんひどい……あたし、荷物じゃないもん。ね、れーいち」
「はは……」
三人で夜道を、家に向かって歩く。
問題は山ほどあるが、確実に想像できる事がある。
「ねえ、レキちゃん。三本の糸があって、その三本目の糸みたいに思ってるってどういうことかな?」
「だじや氏に言われたのですか」
「うん」
「……一本目の糸を【糸A】としたら、三本目は……」
「……あーっ、そういうことかぁ! スッキリした!」
これまでよりずっと面白く――。
「告白くらい普通にしたらどうです。このダジャレおじさんめ」
これまでよりずっと、人生が
―おわり―
ダジャレおじさん、異世界へ行く 柿名栗 @kakinaguri
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