第三十六話 こぶしでこぶします

 旅の終点――魔王城。


 城に入ろうとする者を拒むような、それでいて迎え入れようとするようも見える巨大な赤い扉を見上げていた。


「これが魔王城か……」


 漆黒の空に溶け込むような黒い城壁。不気味に光る窓は、今にも何かが飛び出してきそうな雰囲気を醸し出している。


「いかにも悪の拠点といった感じだな」

「ここに魔王がいるんだね……」

「さっさとぶちのめして帰りましょう」

「そう簡単にいけばいいけどねえ」


 みんなでわーわー言っていると、アイカさんが扉の方に視線を移す。


「……早速お出迎えのようだ」


 扉が地鳴りのような音を立てて、ゆっくりと開いていく。開いた隙間から、人影が現れた。


「えっ……? おとう……さん?」

「なんだって?」


 扉から出てきたその人は、黒い髪を後ろに縛り、チャトと同じような耳と尻尾がついており、高い身長に逞しい体つきをしている。手には自分の身長と同じくらいの長さの黒く禍々しい見た目の棍棒を携えている。


「お父さん!!」

「ま、待つんだ!」


 駆け寄ろうとするチャトの手を掴もうとしたが間に合わず、ついつい尻尾のほうを強く握ってしまう。


「んっ……あふぅ……ん。れ、れーいち……なにするのぉ……」

「す、すまない」


 あわてて手を離すと、チャトが困惑した顔でこちらを見る。


「……あまり不用意に近づかないほうがいい」


 その目は赤く濁り、一目で普通ではないことがわかる。

 もしかしたら、自分の娘のこともわからないのではないかと思うほどに、異様な雰囲気を纏い静かにこちらを見ていた。


「で、でも……」


 チャトが再び変わり果てた父親に目を向ける。すると、父親の方もチャトに視線を移した。


「……チャト、か」


 見た目とは裏腹に、凛とした若々しい声で娘の名を呼ぶ。


「お父さん!」


 近づくことなく、チャトが父の名を呼ぶ。


「……こんな所で何をしている」

「それはこっちのセリフだよ! お父さんこそ、こんな所で何やってるの!? あたしたち、魔王を倒しに来たんだよ!」

「……魔王を?」


 父親が眉をひそめる。棍棒を握る手に力が入るのが伝わってくる。


「ねえ、一緒に行こう? それで、魔王を倒してみんなで帰ろうよ。お母さんも……村のみんなも待ってるよ」

「……」


 表情を変えずに、ドンッと棍棒の先を地面に叩きつける。


「魔王を倒すというならば……魔軍四天王の一人として、ここを通すわけにはいかんな」

「お、お父さん? ……なにを言ってるの?」


 棍棒を頭上で激しく回転させた後、両手で握りしめ、こちらに突き出すような構えを取りながら睨みつけてくる。


「……ここを通りたければ、俺を倒して行け」

「お父……さん」


 チャトの呼びかけもむなしく、父親は戦闘態勢に入ってしまった。どうやら引く気は全くなさそうだ。


「やるしかないようだね」

「そんな……いやだよ。やめてよ、お父さん」

「手加減できる相手ではなさそうだが……できるだけのことはする」

 

 そう言い、アイカさんが剣の柄に手をかける。その時、父親の視線が王子へと移る。


「……そこにいるのは王子か?」

「おや。覚えていてくれたとは光栄だねえ」

「……あの時と比べて、随分とたくましくなったようだな」

「フッ、そうかな」


 あの時、というのは勇者と手合わせをした時のことかな。確か前にそんな話をしていた気がする。


「どうだ? 一つ手合わせをしてみんか」

「ほう、それは楽しそうな申し出だね。あの時は向かい合っただけで実力差を感じたものだが……。それでは、一つ胸をお借りするとしようか」

「……王子、危険です」

「フッ、勇者パーティーの一人から勝負を申し込まれるなんて光栄なことじゃないか。アイカ、この剣を頼むよ」


 王子が背負っていた大剣をアイカさんに差し出すと、渋々、といった様子でその剣を受け取る。


「お、王子……」

「チャト君……大丈夫だ。君の父上の命を奪うようなことはしないよ」


 キラリと白い歯を見せて王子が笑う。

 

「もっとも、僕の命が奪われるかもしれないがね。ハッハッハ」


 誰も笑う者はいなかった。


「それじゃ、行ってくるよ」


 王子がゆっくりとビータさんに歩み寄り、向かい合う。そして、小剣を鞘から抜き、構える。


「行くぞ」

「来たまへ」


 王子とビータさんの戦いが始まった。



♢ ♢ ♢ ♢



 剣と棍棒を激しく打ち付け合う音が周囲に響く。

 水の流れるような体の動きから繰り出される棍棒が、蛇のようにうねり王子に襲い掛かる。

 王子はその棍棒を小剣で弾き、最小限の動きで身をかわしている。

 防戦一方と言うよりは、何かを狙っているように見える。


「どうした。攻撃してこないのか?」

「……チャト君の悲しむ顔は見たくないものでね」

「なるほどな。それで俺ではなく武器を狙っているのか」

「おっと、バレてしまったか」

「……嘗められたものだ」


 ビータさんの攻撃がますます激しくなる。二人の戦いを食い入るように見ていると、レキスが小声で話しかけて来た。


「チュール氏は正気を失っているようですね」

「ああ、そうみたいだな」

「何とかできませんか?」

「何とかって……あ」


 そうか、ダジャレ魔法なら……。とはいえ、正気を取り戻すようなものはあるだろうか。しょうき……しょうき……。


「……」


 ダジャレを考えていると、両手を合わせ、祈るようにして戦いを見守っているチャトが目に入った。

 

「……チャト、は……娘。そうか、これならいけるかもしれないぞ」

「出ましたね。だじや氏のいけるかも」

「チャト! ちょっといいかい?」

「な、なに?」


 俺はチャトとレキスに作戦を伝える。


「なるほど」

「ほ、本当にそれでお父さんが?」

「やってみなければわからないが……それに、君の身も危険に晒さなければならない」

「あたし、やる! それにこのままだと王子が……」


 二人の戦いに目をやると、かなり王子の旗色が悪い。

 急所を的確に狙って来るビータさんに対し、王子は武器を落とすことだけを狙っているのだから当然だろう。


「わかった、それじゃあ早速いくよ。勝負は三分間だ。いいね」

「うん」

「頑張ってください」

「ありがと、レキちゃん」

「それじゃ……ごにょごにょ……」


 俺がチャトにダジャレ魔法を唱えたその時だった。ひと際大きな金属音が聞こえたかと思うと、王子の小剣が宙を舞い、地面にガランと音をたて、落ちる。


「……勝負あったな」

「……ああ、そのようだ。僕の負け、だね」


 左手で右手首を掴みながら、王子がつぶやく。


「今すぐ帰れ。そうすれば命までは取らん」

「ここまで来てはい、そうですかと言う訳にもいかなくてねえ」

「……馬鹿め。もう少し自分の立場を考えろ」


 ビータさんが棍棒を振り上げる。


「後は任せるよ。チャト君」

「なに?」


 チャトがビータさんの横に立っている。王子との会話に気を取られて気づかなかったようだ。


「チャト、お前……」

「ごめんね、お父さん。……正気に……」


 チャトが腰を落とし、拳を構える。


「戻ってぇーーーーーーーーっ!!」


 叫びながら拳を思い切り突き出す。チャトの拳は鈍い打撃音と共にビータさんの横っ腹に深々と突き刺さった。


「ぬぐぉっ!!」


 ビータさんは横向きのまま吹っ飛ばされ、扉の前の壁面に勢いよく叩きつけられた。そのままずるずると崩れ落ち、ヒザをつく。


「王子! 大丈夫!?」

「フッ、ナイスパンチだ。チャト君」

「ごめんね、ごめんねぇ……」


 チャトが感極まり、泣きながら王子を抱きしめる。


「おいおい、落ち着きたまへ。僕はアイカ一筋だというのに、困ってしまうよ。ハハハ」

「うう~……」


 抱き合う二人を見て、なぜか胸の奥にチクリとするものを感じた。アイカさんも、何やら複雑な表情で二人を見ている。


「うっ……ぐ……」


 苦しそうに呻きながら、ビータさんが顔を上げる。

 赤く濁っていた目は輝きを取り戻し、チャトと同じグリーンの澄んだ瞳で娘を見ている。髪の色も黒からオレンジ色へと変色している。

 ちなみに今回使ったダジャレは『娘の拳で正気にもdaughter(戻った)』である。


「……チャト」


 どこか険のあった声も元に戻り、優しい父親の声で娘に呼び掛ける。


「……お父さん?」

「これは一体……? それに、王子まで」


 王子から体を離すと、一歩一歩確かめるように父親に近づいていく。


「お父さん……お父さんっ……!!」

「おっと」


 飛びついてきた娘を、やさしく抱きとめる。


「うっ、ううう……ううーーっ」

「おお……よしよし」


 泣きじゃくるチャトの頭を、ビータさんはいつまでも優しく撫で続けていた。

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