第三十五話 ふるえるうでをふるえ

「……終わっ、た?」


 黒いヒゲに覆われた大きな口をこれでもかと言うくらい大きく開き、ヒマーグさんがつぶらな瞳を丸くしている。


「はい。恐らくもう、大丈夫だと思います」

「ほ、本当か? ダルガ?」


 ヒマーグさんの右隣にいる、鷹のような目と翼を持つ兵士に確認する。この人はダルガ・ルカナという名前らしい。


「……上空から見ていたが、恐らく事実だ。すさまじい魔法の数々が魔軍に襲い掛かるのをこの目で確認した」

「マジかよ……」


 信じられない、といった表情で俺とチャトの顔を交互に見る。


「にゅふふ、これがれーいちのダジャレ魔法だよ」


 えっへんと胸を張るチャトの尻尾の先は、俺が握り続けていたため手の形にへこんでいる。


「いやぁ、大したもんだぜ実際……。あ、そうだ。レキス嬢がもう帰ってきてるぜ」

「え……早いですね。一番大変な所に行ったはずなのに」

「俺もそう思ったんだがなぁ。ま、中にいるから顔見せてやんな」

「わかりました」


 建物のトビラを開け、中に入ると四角い木のテーブルの前でレキスが本を読んでいた。


「おかえりなさい。どうやら終わったようですね」


 パタンと本を閉じると、椅子から下りこちらに向かって歩いてくる。

 

「随分早かったな」

「ええ、行ってませんので」

「えっ……ど、どういうこと?」

「だじや氏ならなんとかするだろうと思っていたので。それに、チャトさんの急ぎ方からしてチャンマルに行った後戦いに参加するつもりだろうと思っていました」

「にゃはは……」


 表情を変えることなく、平然と答えるレキスにチャトが苦笑いを浮かべる。


「も、もしダメだったらどうするつもりだったんだい?」

「ダメではなかったでしょう?」

「ま、まあ、そうだが」


 そういえばこういう子だったっけな……。


「……チャトさん」

「え、な、なに?」


 レキスがじっとチャトの頭の上を見つめている。


「レベルがえらいことになってますね」

「え?」

「どのくらいのレベルになってるんだ?」

「……とても言えません」

「な、なになに!? 怖いよ!? 教えてよ!」

「……」

「レキちゃーん!」


 今回の戦いは、本当にチャトに助けられた。

 魔法の影響を受けずに近づいてくる魔物をいち早く察知し、弓とパンチで撃退してくれなかったら今頃俺の命はなかったかもしれない。色々と考えが甘かったことを思い知らされた。


「チャト。君が来てくれて本当に助かったよ。ありがとう」

「えっ……。で、でしょー? れーいちはあたしがいないとダメなんだからーもう」


 言いながら、俺の肩をぺしぺしと叩いてくる。


「はは、そうかもしれないな」

「……」

「どうした? レキス」

「……いえ。それより、誰か戻ってきたようです」

「あ、本当だ」


 馬の足音でも聞こえたのだろうか。俺には全くわからない。


「出迎えましょうか」

「うん、そうだね。行こう行こう」


 外に出て待っていると、アイカさんが馬に乗って戻ってきた。

 事の顛末を説明すると、さすがのアイカさんも表情を変え驚いていた。

 すぐに戻ってきたレキスとピリピリした空気になったが、少し遅れて戻ってきた王子がなだめてくれてその場はなんとかおさまった。

 その日は城塞に泊めてもらうこととなり、『素敵な』、『ハムカツがなくてく』、『鍋に豚汁を(投じる)』などの肉や揚げ物料理をふるまった。揚げ物はスーパーの商品だが、豚汁は母親が昔よく作ってくれたおふくろの味だった。

 

 そしてその夜……。


「ふぅ……」


 俺は見張り台の上で夜風に身を晒していた。

 目下には月明かりに照らされた青白い平原と山々が広がっている。下ではまだ飲んでいるのか、兵士たちの騒ぐ声が遠く聞こえる。


「……」


 今頃になって手の震えが止まらない。それは恐怖からなのか、多くの命を奪ってしまった自責の念からなのかはわからない。あるいは両方か。こんなことは四十年生きてきて初めての経験だった。


「……れーいち?」

「えっ」


 背後の階段からチャトが上がってきた。震えを悟られぬよう、とっさに見張り台の手すりに両手を置く。


「や、やあ。どうしたんだい?」

「なんか眠れなくて……」


 俺の隣に来て、同じように手すりに両肘をつく。風に乗って、石鹸の香りが運ばれてくる。


「今日もすごかったね。なんかあたし、れーいちに対してずっとすごいすごいばかり言ってる気がするけど」

「君もすごかったじゃないか。影に潜って地中から近づいてきた魔物が出てきた瞬間に、拳で叩き潰した時は思わず尻尾を離しそうになったよ」

「にゃはは、やめてよもう」


 二人で月を見上げる。


「綺麗だねえ」

「ああ」

「……ねえ」

「ん?」

「あたし……今日変なところなかった?」

「変なところ? ……いや、特には」


 戦いが終わった直後の出来事が頭をよぎったが、今は言わないほうがいいだろうな。


「そう……」


 手すりに置いた腕に、顔をうずめる。


「あたしね……時々記憶が飛ぶの。チャンマルの村でのあの出来事から」

「記憶が?」

「うん。ほんの数秒とかなんだけど……その数秒の出来事をおぼえてないことがあるの」

「……」

「あたし、どうかしちゃったのかな」

「前も言った通り、疲れが溜まっているんだよ。……そうだな、明日は一日休もうか。連日動き続けてたから、たまには骨休めしないとな」

「ううん。せっかくここまで来たんだし、一気に行っちゃおうよ」

「うーん……」


 チャトがこちらに向き直る。


「……ついに、魔王城に行くんだね」

「……そうだな。とうとうここまで来たんだ」

「……」


 チャトがうつ向いたまま黙り込む。よく見ると、かすかに肩が震えている。


「あたし、怖い。こんな状態で行ったら、またみんなに迷惑かけちゃうんじゃないかって……」

「君がいて、迷惑だったことなんて一度もないよ。今までも、これから先もずっとだ」

「……れーいち」


 チャトの体を軽く抱きしめる。優しく背中を撫でると、安心したように体を預けてきた。


「……れーいち、震えてる?」

「ああ。今頃になって自分のしたことが恐ろしくなってしまってね」

「にゃはは、それじゃ……一緒だね」

「そうだな。いから振動しんどうよおさまれーなんて」


 ささやくようにそう言うと、チャトの震えが止まったのが伝わってくる。


「……ありがと」

「三分後にまた始まらないといいけど」

「ふふ、それじゃれーいちの震えはあたしが止めてあげる」

「え?」


 胸の中のチャトが顔を上げ、じっと俺を見つめながら微笑む。

 こ、この流れは……もしかして?


「こちょこちょー」

「うははは!」

 

 両わきを思い切りくすぐられる。


「こ、こら、チャト。やめなさい」

「れーいちの震えが止まるまで、くすぐるのをやめない!」

「だーはははは!」 


 月に見守られながら、震えがおさまるまで、俺はチャトにくすぐられ続けた。



♢ ♢ ♢ ♢



 翌朝。俺たちは支度を終えてトンネルの前に立っていた。ヒマーグさんと数名の兵士が見送りにきてくれた。


「なあ、本当に王国から増援を呼ばなくていいのか?」

「ああ。ゾロゾロと連れて行くと犠牲者が増える可能性があるからねえ。こういったことは少数精鋭のほうがいいのさ」

「だったら俺も連れて行ってくれよ。きっとお役に立てるぜ」

「私たちが戻らなかった場合、王の護衛を任せられるのはお前しかいない」

「おいおい、縁起でもねえこと言うなってぇ」


 王子もアイカさんも、これまでに比べて表情が硬い気がする。

 それはチャトも同様で、恐らく俺もそうなのだろう。……レキスだけは相変わらず何を考えているのかわからないが。


「それじゃあ、行こうか」

「ア、アイカ。王子を頼んだぜ」

「……ああ」

「それでは、お世話になりました」

「絶対に無事に帰ってこいよ。俺ぁあんたのことを伝説として語り継ぐつもりなんだからよ」

「はは……」


 ブンブンと重そうな斧を頭上で振りまわすヒマーグさんに背を向け、俺たちはトンネルへと入っていった。



♢ ♢ ♢ ♢



 トンネルを出て、荒野を真っすぐ進み魔王城を目指す。やがて、昨日の戦いの爪痕が見えてきた。


「すさまじいものだねえ、これは」


 王子の言う通り、周囲には地割れやクレーターが出来ていたり、地面が盛り上がってデコボコになっている。


「そういえば、倒した魔物はどうなったんだい?」

「れーいちが綺麗にしたんだよ」

「ほう……一体どんなネタを……。いや、待ってくれ。僕が当ててみせよう」


 王子がアゴに手を当てて考え込む。


「んー。『まものがいなくなりますもの』……どうだい?」

「残念。正解は『戦場を洗浄』だよ」

「なるほど、そうきたか。さすがだ師匠」


 どうやら師匠呼びはすっかり定着してしまったらしい。

 

「まったく恐ろしい力だな。一人で五百近い魔物を葬り去るとは」

「やったのは俺とチャト、それとレキスのアイデアさ」

「フッ、君たちがその気になれば、世界を滅ぼせそうだね」

「やってみましょうか」

「や、やらないよ。ね、れーいち」

「はは……」


 昨日の今日ので、張り詰めていた気持ちが他愛のない話で随分とリラックスできた気がする。仲間の存在とはありがたいものだな。

 そして、ようやくここまできた。あとは魔王を倒せば、俺は……。俺は、本当に帰れるんだろうか。それに、帰ったらもうみんなと会えなくなるんだよな。俺は本当に帰りたいのだろうか。いや、何を考えているんだ。お前には色々な責任があるだろう。帰れないならともかく、帰らないという選択肢はないはずだ。……とはいえ、俺が姿を消してもう一週間。クビになってたらどうしよう。


「れーいち?」

「ん、ああ。どうしたんだい」

「大丈夫? なんか難しい顔してるけど」

「うん……いよいよだな、って思ってね」

「そうだね……」


 チャトと共に、遠くの魔王城を見据える。


「れーいちは、魔王を倒したらやっぱり……」

「……」

「……ごめん、なんでもない。そのためにここまで頑張ってきたんだもんね」

「そう……だな」


 そうだ、俺は魔王を倒し、元の世界に帰る。それだけだ。

 それ以上考えることをやめ、俺は仲間と共に魔王城へと歩みを進めた。

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