第三十二話 ひへいしたへいし
用意してもらった宿の、チャトの部屋に俺はいた。
行灯の明かりに照らされた土壁に寄りかかり、布団の上でヒザを抱えて座っているチャトに、あぐらをかいた俺が向き合っている。
「……一体何があったんだい?」
「わかんないの。気が付いたらあそこに立ってて……」
落ち込んだ様子で、抱えたヒザに顔をうずめる。
「あたし、おかしくなっちゃったのかな……。全然覚えてないの」
「きっと、旅の疲れが出たんだろう。一晩ゆっくり休めばまた元気になるさ」
「……ごめんね、迷惑かけちゃって。みんなにも謝らないと……」
「そんな事は気にしなくていい。とにかく、君が無事でよかったよ」
「……ありがと」
顔をうずめたまま、力なく答える。
「今日はもう早めに寝た方がいい。そろそろ俺は自室に戻るから。それじゃおやすみ、チャト」
「……待って」
「ん?」
「……行かないで。あたし、怖いの。またさっきみたいなことになるんじゃないかって」
「うーん……もう大丈夫だと思うけど」
「お願い……今夜は一緒にいて」
「……」
こんなに不安そうな顔をしたチャトは初めて見る。得体の知れない恐怖に押しつぶされそうな、そんな表情だ。
「わかった……今日はここで寝るよ。布団を持ってくるから待っててくれ」
「うん。ごめんね」
「謝らなくていいさ。実は、俺もちょっと一人じゃ寂しいかなと思ってたところでね」
「ふふ、そうなの?」
チャトが少し安堵したように微笑む。まあ、この雰囲気ならなにかが起こることもあるまい。
俺は自室に戻ると、折りたたんだ布団を抱えて部屋を出た……ところで、白い甚平のパジャマを着たレキスと遭遇した。
「……何してるんですか」
「あ、えーっと……」
これからチャトの部屋に布団を持ち込んで一緒に寝ます。……とは言いづらい。
誤魔化しちゃうか? いや、でも嘘は良くないか。などと、頭の中で考えていると……。
「手伝おうか?」
チャトが部屋からひょこっと顔を出した。
「あ」
「あ、レキちゃん。……さっきはごめんね」
「いえ……それはよいのですが。……ああ、そういうことですか」
レキスが一人納得する。顔が赤くなっているので、どう誤解されたのかが丸わかりである。
「それではお邪魔虫は退散します。おやすみなさい」
「ま、待ってくれ。これは……」
「そうだ。レキちゃんも一緒に寝ようよ」
「……はい?」
♢ ♢ ♢ ♢
左の布団にレキス。右の布団にチャト。そして真ん中の布団に俺が横になっていた。なぜ俺が真ん中なのだろう。
「二人ともごめんね、わがまま言って……」
「三人で野営をした時のことを思い出しますね」
「そうだな」
平静を装いそうだな、などと言ったものの俺も一応男である。こんな状況で落ち着いて寝られるわけがない。
こんな時はダジャレを考えて落ち着かねば。寝具にまつわるダジャレ……布団が
「……ねえ、久々にマッサージしてあげよっか」
唐突にチャトが言いだす。
「えっ。い、いや、いいよ。君も疲れてるだろう」
「手伝います」
レキスが布団からむくりと身を起こす。
「お、おいおい」
「ほら、うつ伏せになって」
「う、うーむ……」
半ば強引にうつ伏せにさせられると、尻の上にチャトがまたがり、腰を押し始める。
うーむ、相変わらず絶妙な塩梅だ。レキスはというと………。
「こちょこちょー」
「うわっはは!」
俺の足の裏をくすぐってきた。
「お、おい、やめてくれ!」
「もう、だめだよレキちゃん。れーいち、疲れてるんだから。こちょこちょー」
「だーっはっは!」
今度はチャトがワキをくすぐってきた。
「お、おい、よせ、二人とも……どははは!」
チャトが上に乗っているため、思うように身動きが取れない。かといって跳ねのけるわけにもいかず、なすがままにくすぐられ続ける。
「ひーっ、ひーっ……い、息が……」
もしかしたらこのまま死ぬんじゃないかと思った時、ガラッと木の引き戸が開き、アイカさんが現れた。
「なにをしている。やかましいぞ」
二人ががピタリと動きを止め、アイカさんの方を見る。
アイカさんがジロリ、と俺を睨みつけたあと、一言。
「……不埒な」
ピシャリと戸を閉め、荒い足音を立ててアイカさんは去っていった。
こうして、チャンマルの村の夜は過ぎていったのである……。
♢ ♢ ♢ ♢
翌朝、俺たちはミリドさんを先頭に村の入口へと向かっていた。
「ゆうべはお楽しみでしたねえ」
「……」
多分俺たちのことを言っているのだろう。チャトとレキスはピンときていないようだが。
「騒がしくしてしまい、申し訳ない……」
「いえいえ、お若い証拠ですよ。ふっふっふ」
「あの、ドリミさん」
「ミリドですが、なんでしょ?」
「俺の姿に変身するのを、やめていただきたいのだが……」
「おや、なぜです?」
俺の姿に変身したまま首をかしげて見せる。
「どうにも落ち着かないもので」
「えー、けっこうお気に入りなんですけどねぇ、麗一さんのボディ」
こんなおじさんの体のどこに気に入る要素があるのだろう。
「じゃあ他の人にしようかなー」
言いながら、チャトを見る。
「あ、あたしはちょっと……」
レキスを見る。
「……あなたはいい実験材料になりそうですね」
王子を見る。
「フッ、僕なら別にかまわないよ」
アイカさんを見る。
「……やめろ」
「というわけで、結局麗一さんになっちゃうんですよねぇ」
俺の意見は無視かい。というか王子は受け入れてたぞ。
「あーあ、もう着いちゃった」
村の入り口でミリドさんがため息まじりに大げさに肩を落とす。
「面白そうだから、本当はあたしもあんたたちの旅にくっついて行きたかったんだけどね。立場に縛られてるからそうもいかないのよ。残念」
「あなたが長老でよかったです」
「んー? どういう意味かなー、レキスちゃーん?」
「ミリドさん、色々とお世話になりました」
「うんうん、あたしも楽しかったよ。久々にアイカにも会えたしね」
「……いい加減元の姿に戻ったらどうだ」
「えー。んもー、しょうがないなぁ。よっと」
ようやくミリドさんが変身を解き、元の姿に戻る。
「まあ、魔王なんて倒せないと思うけど、せいぜい頑張んなさいな」
「……ありがとうございます」
「それじゃねー」
こうして俺たちはチャンマルの村を出た。後ろを振り返ると、ミリドさんが手を振っていた。俺の姿で。
♢ ♢ ♢ ♢
山に囲まれた平原を歩いていると、アイカさんが話しかけてきた。
「すまんな、麗一。ミリドの件で……」
「ああ、変身のことかな」
「お前がこの世界の者でないことを警戒し、あのような行動を取ったのだと思う」
「……なるほど。村に妙なやつを入れないためだね」
「ああ。あれでもミリドは色々と背負っている物があってな。どうか大目に見てやってほしい」
「別に気にしてないよ。それじゃ、さっきの変身も?」
「あれはただの悪ふざけだ」
「あ……そう」
「話はそれだけだ」
そう言うと、アイカさんは王子の隣に戻っていった。
やっぱり幼馴染だけあって、ミリドさんのことをよくわかっているみたいだ。
「次は、いよいよ魔王領です」
「そうか、ついに来たんだな」
この世界に来て一週間くらいだろうか。ずっと旅をしていたような、昨日までスーパーで仕事をしていたような、不思議な感覚だが、とうとうここまで来たか。
「魔王領ってどんな場所なんだい?」
「魔王領は……」
その時だった。少し離れた所を馬に乗った兵士が駆けて行くのが見えた。こちらに気づくと、馬をこちらに向け、走り寄ってくる。
「どうどう! お、王子!? それにアイカ様にレキス博士!! なぜ、このようなところに!?」
あわてて兵士が下馬し、王子の前に跪く。
「やあ。慌てている様子だが、どうしたんだい?」
「はっ、魔軍に動きがありました。魔王領に続々と魔物が集結しているとの報告が入り、本国に至急報告に行くところでございます。その数およそ四百、いや、五百近くかと」
「なんだって……?」
「魔軍が侵攻してきたら、ここら一帯は危険地域となります。早くこの場から離れてください。それでは私は一刻も早く王に報告せねばならぬ故、これにて失礼いたします」
一礼し、馬にまたがると兵士はあわただしく走り去っていった。
「この先に、魔王領を監視するための城塞がある。あの兵士はそこから来たのだろう」
「なぜ急に魔物たちが……?」
「とにかく行ってみましょう。状況によっては、近隣の村にも注意を呼び掛ける必要があります」
「そうだな、行こう。ここからそう遠くはないからね」
「わかった。急ごう」
俺たちは急ぎ足で城塞へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます