第三十三話 おのおののおの

 兵士が走り去ってから平原を歩き続けること一時間程。俺たちは城塞に到着した。


 そこには石材を組み合わせて作られた、見るからに頑強な建物がそびえ立っていた。

 建物の角には七、八メートルの高さの見張り台があり、そこでは背中に翼の生えた兵士がこちらの様子をうかがっている。


「すごいな。まるで要塞だ」

「かつてここは、魔軍の侵攻を食い止める拠点だったからね。まあ、今でもその役割は変わっていないのだが」


「お、王子!?」


 城塞の壁の所々に開いている小さな窓の一つから、低く野太い声がしたかと思うと、分厚く重そうな鉄の扉が開き、一人の兵士が飛び出してきた。

 ドスドスと地面を鳴らしながらこちらに近づいてくるその人物は、身長が二メートル近くあり、重鎧から丸太のように太い腕が突き出している。びっしりと生えたヒゲは、まるで熊のようだ。全体的ないかつい雰囲気とは裏腹に、つぶらな瞳が妙にかわいらしい。


「何やってんだい王子、こんな所で! それにアイカ、レキス嬢までいるじゃねえか!?」


 鼓膜に響く大きな声でまくしたててくる。


「やあ、久しぶりだねヒマーグ」

「おう、久しぶりだな! じゃなくて、こんな所で何やってんだって聞いてんだよ! それにそっちの二人は……お? お嬢さん、あんたトキヤ族かい?」


 そうだ、トキヤ族は王国では裏切り者扱いされていたのだった。

 ここしばらくはそんなこともなかったので、すっかり忘れかけていたぞ。


「え、えーっと……」

「彼女は僕たちの大切な仲間さ。丁重に扱ってくれたまへよ」


 たじろぐチャトをすかさず王子がフォローする。


「そっちのおっさんもかい?」


 無遠慮にこちらを指さし、あっけらかんと言ってのける。


「ああ、僕の師匠さ」


 師匠……。


「師匠って、剣術かなにかのか? そんなにすごいお人には見えねえが……。まあいいや、俺はヒマーグ・テクノマ。ここの守りを任されてる者だ。よろしくな!」

「田寺谷麗一です。よろしく」

「よ、よろしくお願いします。チャト……です」

「レキス・キイラケースです」

「知ってるっつうの」

「リンスプ・ジオ・ラグナムアだ」

「だから知ってるって」

「……アイカ・キッソン」


 アイカさんが、みんなのノリに合わせてためらいがちに自己紹介をすると、ヒマーグさんが目を丸くする。


「……アイカ。おまえ、こういう悪ふざけに乗っかるようなヤツだったっけか?」


 ヒマーグさん視線から逃れるように目をそらし、そのままアイカさんは動かなくなってしまった。心の底から『言うんじゃなかった』と思っているに違いない。


「……ところでおじさん、状況の説明をお願いしたいのですが」


 いつも人を呼ぶときは~氏、と呼ぶレキスが、ヒマーグさんをおじさんと呼んでいる。

 そこにはなんとなく親しみが込められているような気がした。


「実はさっき、報告に向かう兵と会ってね」

「ああ、レーデンか。そうなんだよ、昨夜から急に魔王領がザワつきはじめてな。ここ二年ほどは、一度もこんなことはなかったんだが……」

「どうするつもりだ? 王国から増援を呼ぶにしても、数日はかかるぞ」

「なんとか食い止めてやるさ。ここにいる連中は皆命を捨てる覚悟は出来てるからな」

 

 ヒマーグさんが後ろを向き、魔王領の方向を睨みつける。背中には、かなりの重量がありそうな戦斧を背負っている。


「じきにここは戦場になる。王子たちは引き返して王国軍と合流したほうがいいぜ」

「君たちがここで戦ったところで、魔軍の数が五百なら結果は見えているだろう」

「だなぁ。ま、大暴れしてできるだけ道連れにしてやるさ」


 斧の柄を握りながら、ガハハと豪快に笑い飛ばす。


「無駄死にはやめましょう」

「おいおいレキス嬢、無駄とはちょっとひどいんじゃねえか? お国の為に死ぬのは、大変名誉なことなんだぜ」

「父上も僕も、そのようなことは望んでいないよ。命は捨てるのではなく、自分自身も含め、守るために使って欲しいのだがね」

「そんなこと言ったってよぉ。じゃあどうしろってんだい?」

「ここは引くんだ。王国軍と合流してから対処すればいい」

「ここを素通りさせるってか? それじゃ俺たちはいったいなんのために……」


 王子とヒマーグさんが話し合っている最中、俺は一人覚悟を決めていた。

 ダジャレ魔法なら、うまくやればこの局面を打開できるかもしれない。

 正直なところ、一人で五百の魔物を相手にするなんて恐ろしくて仕方がないのだが、そんな事を言っている時間もなさそうだ。


「あの、ちょっといいかい?」

「どうしたんだい、師匠」

「魔物を引き止める仕事、俺にやらせてくれないか?」

 

 そう言うと、ヒマーグさんが口をあんぐりと開けてこちらを見る。


「……何言ってんだい、あんた」


 まあ、当然のリアクションだと思う。この中で一番弱そうなおじさんがしゃしゃり出て、魔軍の中に突っ込もうというのだから。


「ダジャレ魔法、ですか」

「ああ」

「ダジャレ? ますますなに言ってんのかわからんぜ」

「実は……」


 俺はヒマーグさんにダジャレ魔法について説明した。


「はー、そんな不思議なスキルがあるんか。でもよぉ、そんなんで無数の魔物を食い止められるのか?」

「みんなを巻き込む危険があったから、今まで強力そうな攻撃ダジャレは控えてたけど、一人なら多分……」

「おいおい、本当かよ。じゃあちょっとその、ダジャレ魔法とやらを見せてみてくれねえか? それで納得が行くようなら、あんたに任せるよ」


 みんな気軽に言ってくれるよなあ。今回は食事を出しても誤魔化せないだろうし……なにかいいネタはないだろうか。と考えていると、ヒマーグさんの背負っている斧に目が行く。

 うん、これが使えるかな。


「斧にのく」


「……なに言ってんだい?」


 あれ……ダメだったかな。


「むっ」

「ひぃ……」

「これは……」

「怖っ」


 みんな、ヒマーグさんの斧を見て後ずさりしている。


「なんだぁ? 俺の斧に……どわっ! なんじゃこりゃあ!」


 斧を見るなり慌てて地面に投げ捨てる。ゴスンと音を立てて刃が地面に突き立った。


「こ、こええ……。なんだこりゃ、こえぇええ!!」


 ヒマーグさんが巨体を揺らしながらすごい勢いで走り去り、城塞の中に逃げ込んでしまった。

 後ろでは、アイカさんと王子は戦闘態勢に入り、チャトはレキスを抱きしめながら震えている。


「すまないみんな、触れるのを忘れていた……」


 三分後、効果が切れると同時にみんなの警戒が解かれ、ヒマーグさんがトボトボとした足取りで戻ってきた。


「……みっともない姿を見せちまったなぁ」

「いえ……。あれがダジャレ魔法の効果なので」

「いやぁ大したもんだ。やれやれ……命を捨てる覚悟が出来てるなんで言っておきながらあのザマとはよ……」


 ヒマーグさんが肩を落として落ち込んでいる。逃げてしまった事がよほどショックだったらしい。


「でもま、さっきの感じなら期待が持てるな。……本当にあんたに任せちまってもいいのかい?」

「ええ、できるだけやってみようと思います」

「ダメだよ、れーいち。……危ないよ」


 チャトが心配そうに俺の腕をつかむ。


「大丈夫、危険を感じたら逃げるさ。みんなは付近の村に危険が迫っている事を伝えに行ってくれ」


 俺がそう言うと、みんなが顔を見合わせる。


「……わかりました。私は山の方に行ってきます」

「僕は南へ行こうか。馬を借りてもかまわないかい?」

「ああ、二頭つないであるからどっちも好きなように使ってくれ」

「では、私はここより北へ行こう」

「そ、それじゃあたしはチャンマルに行ってくるね。近いけど」


 その時、はるか上空から一人の兵士が翼を羽ばたかせながら俺たちの前に降り立った。


「魔軍が動き出した。こちらに向かって前進している」

「とうとう来たか……」

「それじゃみんな、また後で。あそこが入口かな?」

「ああ、あれがこっちの世界と魔王領をつなぐトンネルだ」


 切り立った崖の下に、大きな穴がぽっかりと口を開けている。車なら四台は並んで走れそうな広さがありそうだ。


「俺たちはここで待機してる。それでいいんだな」

「ええ。俺の声が届く範囲にいると巻き込まれるだろうから、くれぐれも気を付けて下さい」

「わかった」

「れーいち……」

「大丈夫。それじゃ行動開始だ」


 みんな一斉に目的地に向けて走り出す。特にチャトがやる気に満ちているようで、風のように駆けて行った。


「……みんな、あんたを信頼してるんだな。振り返りもせず行っちまった」

「ありがたいことです。さて、俺も行かないと」

「本当に一人で行くのか?」

「ええ。でも、もし失敗したと感じたらすぐに逃げてください」

「わかったよ。俺も一緒に戦いたいところだが、ここはあんたを信じて待ってるぜ。ただ、あんたが失敗したら次は俺たちがここを守る。そこは譲れねえぜ」

「……わかりました。それでは我々は運命共同体ということで」

「おう!」


 俺はヒマーグさんたちに親指を立てると、トンネルに向けて一人歩き出した。



♢ ♢ ♢ ♢



 所々から水が染み出す岩壁に囲まれた、薄暗いトンネルの中を足音を響かせながら進む。

 足元の土からは骨のようなものが所々から顔を出しており、かつてここで激しい戦いがあったことを想像させる。

 

「ふぅ……」


 みんながいなくなって、急に寂しい気持ちになる。

 独りには慣れているつもりだったが、本当は寂しがりやなのかな。俺。


 十分ほど歩き続け、トンネルを抜けると、そこは今まで見てきた世界とは全く違う風景が広がっていた。

 空は灰色に染まり、茶色く荒廃した大地がどこまでも続いている。はるか遠くにかすんで見える漆黒の城は魔王の住処だろうか。


「……怖いな」


 死ぬ覚悟もある程度してきたつもりなのだが、本当に死ぬかもしれないと思うと、今すぐこの場を逃げ出したくなる。

 いつ死んでも別にかまわない、などと常に心のどこかで思いながら生きてきた俺が、こんな気持ちになることに驚く。しかし、今俺が逃げたらヒマーグさん達は……。


「……行くか」


 すくみかけた重い足を踏み出し、なんとか前に進もうとした時だった。背後から誰かの走る音が近づいてくる。


「れーいちー!」


 それはチャトだった。苦しそうな、でも嬉しそうな表情でこちらに駆け寄ってくる。


「はぁ、ふぅ、間に合っ、はぁ……」

「チャ、チャト!? どうして」


 地面に両手と膝をつき、苦しそうに背中を上下させている。


「ちょっと……待って、ね、はぁ、ひぃ」

「……疲労回復の魔法をしよう」

「ん!?」

  

 がばっと起き上がり、ガッツポーズを取る。


「すごい、元気いっぱい!」

「元気いっぱいになったところで聞かせてもらおうか。……どうして来たんだい?」

「うっ……」


 真剣な表情でチャトと向き合う。彼女がここに来たことを嬉しく思う気持ちと、悲しい気持ちが混在していた。


「……だって。れーいち、もう帰ってこないような気がして……」

「そんなことはないさ。さあ、今すぐ戻るんだ」

「やだ。一緒に行く」

「チャト」


 腕を組み、ムスっとした表情でそっぽを向く。

 なにを言っても聞かないぞ、という強固な意志を感じさせる。


「なあ、チャト……この先は本当に危険なんだ。死ぬかもしれない。君には死んでほしくないんだ。わかってくれ」

「あたしもれーいちに死んでほしくないもん」

「俺はホラ、ダジャレ魔法があるから」

「……うまく出なかったらどうするの?」

「え?」

「ぶっつけ本番みたいな能力だから、失敗するかもしれないよ?」

「う……」


 なかなか痛いところを突いてくるな。確かにその可能性もあるだろう。


「そんな時、フォローする仲間がいた方がいいでしょ? ね?」

「うーん……」

「ね? ね?」


 ふざけているような、真剣なような、必死な顔で詰め寄ってくる。


「……わかった。一緒に行こう」

「やったね!」

「ただ、約束してくれ。俺の身になにかあったら、すぐに逃げること。いいね?」

「わかった、担いで逃げる」

「いや、それだと追いつかれてしまうよ……」

「れーいちはあたしが動けなくなったら置いて逃げるの?」

「まさか」

「そーいうこと。あたしたち、もう運命共同体なんだから。生きるのも死ぬのも一緒だよ」

「……君には負けたよ」

「にゃはは。さあ、行こう!」

「ああ」


 俺たちは互いの拳を合わせると、肩を並べて魔王城へ向かって歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る