第二十二話 温泉付きのやどやど

 鉱山を出ると、ラーグさんと見張りの人が出迎えてくれた。


「やあ、おかえりぃ。なんかすごい振動があったけど大丈夫……うわぁ、何それ! どうしたのぉ!?」


 赤い体液にまみれた王子とアイカさんを見て、ラーグさんが驚いている。


「フッ……名誉の負傷……いや、不衛生といったところかな」

「……」

「えーっと、色々ありましたが、中の化け物はなんとかしましたので」

「えぇ!? 本当ぉ!?」

「ぼ、僕、ちょっと見て来るよぉ!」

「僕は親方に報告してくるぅ!」


 ラーグさんは鉱山の中へ。見張りの人は親方の元へ一目散に駆けていく。

 残された俺たちを、鉱山の無機質な冷たい風が撫でて行く。


「……どうしますか?」

「ちょっと待とうか。二人には申し訳ないけども」

「フッ、それはもう言いっこなしさ。なんならこのまま旅を続けても構わないよ」

「……さすがにそれは嫌です」

「はは……」


「ぉぉぉぉぉ……」


 山の上の方からだんだんと聞き覚えのある声が近づいて来る。


「おぉいあんたらァ!! あいつをなんとかしてくれたって本当かァ!?」


 親方が酒瓶を片手に勢いよくこちらに駆け寄ってくる。どうやらまた飲んでいたな。


「ええ、本当ですよ。今、ラーグさんが確認に行ってます」

「一体どうやったんだ!? あんなクソでかい化け物をよぉ!?」

「えっと……食べちゃった、というか……」

「食べちゃったァ!?」


 そりゃそんなリアクションになるよな。俺も未だにちょっと信じられないし。


「あ、親方ぁ!」


 鉱山からラーグさんが出てきた。確認が終わったようだ。


「おう、ラーグ! どうだったァ!?」

「大変です! 本当にあの化け物がいなくなっててぇ……あと、巨大な鉄鉱石があって一人じゃ運べませんでしたぁ!」

「なんだってぇ!? そんなもん、今すぐ運び出すしかねえじゃねえかァ!!」


 親方が大きく息を吸い込み、山の上に向かって大声で叫ぶ。


「野郎どもォ!! 仕事だァ!! 今すぐ鉱山の最奥まで来いィ!!」


 山に親方の声がこだましてしばらく後、斜面の家屋のドアが次々と開き、ヘルメットをかぶったドリウ族の人たちが飛び出してきたかと思うと、すごい勢いで鉱山の中に吸い込まれて行く。二十……いや、三十人はいただろうか。


「みんな働きたくてうずうずしてたんだね」

「そうみたいだな」

「あらあらぁ、全くあの人達ったら、恩人をほったらかしにして、本当しょうがないんだからぁ」

 

 鉱山の入口を眺めていると、背後から女性の声がし、振り返るとそこには割烹着を着たドリウ族の女性が立っていた。


「こんにちはみなさん、アタシはリュウコ。この村で温泉付きの宿を経営しておりますのよ。そんな姿になるまで頑張っていただいて、ありがとうございます。ツイクサを代表してお礼を申し上げますわ」


 リュウコと名乗る女性は両手を前で組み、深々と丁寧にお辞儀をする。

 

「いえいえ、そんな。この村には温泉があるんですか?」

「ええ、ええ。わざわざ遠方からお越し下さるお客様もいらっしゃいますのよ」

「へえ」

「よろしければ今夜はウチにお泊り下さいまし。お食事も出させていただきますので。もちろんお代は結構でございます」

「えっ、しかし……」

「麗一君。ここはお言葉に甘えようではないか」

「私も王子に賛同します」

 

 王子とアイカさんがズイッと前に躍り出る。一刻も早く汚れを落としたいらしい。


「ええっと、それじゃ、よろしくお願いします」

「あぁ、よかった。それではご案内いたします。こちらへ……」


 リュウコさんに案内され、「愛庵」という看板の出ている宿へと入って行く。

 中は親方の家と違い(失礼か)つるはしを逆さにしたようなデザインの照明がところどころに吊るされており、洞窟の暗くジメジメとした印象を全く感じさせない雰囲気になっている。

 男女別々の部屋に案内されると、すぐに温泉に入る運びになった。そしてなんと、着ているものまで洗ってもらえるらしい。俺と王子はリュウコさんに服や鎧を預けると、腰にタオルを巻いて温泉へと乗り込んで行った。



♢ ♢ ♢ ♢



「はぁぁ……」


 洞窟内の温泉部屋に、くぐもったおじさんのため息が反響する。

 岩を削り出して造られた部屋はかなり広く、天井にはいつくか穴が開いており、多分あれが通気口になっているのだろう。

 先に体を洗い終えた俺が湯船につかり、王子はまだ、念入りに長めの髪を洗い続けている。


「フッ、どうだい麗一君。湯加減のほどは」

「いやぁ……最高だねえ」


 まさか異世界で温泉に入れるとは思わなかったな。湯加減も雰囲気も申し分なしだ。極楽極楽……。


「それにしても王子、すごい体をしているね」


 王子の体はバキバキに引き締まっていて、まるで格闘家のようだ。さすがにあの重そうな剣を軽々と振り回しているだけある。


「フッ、日々鍛錬に勤しんでいるからね。麗一君も、なかなか引き締まった体をしているのではないかな」

「うーん、そうかな」

「……」


 会話が途切れ、王子がわしゃわしゃと頭を洗う音が響く。


「時に麗一君。キミは、チャト君の事をどう思っているんだい?」

「え? ……チャト?」


 唐突に投げかけられた意外な質問に、思わず聞き返してしまう。


「……どう思っている、とは?」

「なぁに、シンプルな話さ。好きなのか、そうでないのか、だよ」

「す、好き……って」

「どうなんだい?」

「いや、別にそういう感情はない……かな」

「そうかい? チャト君の方は君に気があるように見えるのだがね」

「えっ」

「君を見ているとき、恋する乙女の波動を出しているよ」

「は、波動……」


 うーむ、俺としてはそんな波動を感じたことは一度もないのだが。いや、でも宿屋での一件のアレはもしかして……。そんなまさか。


「もし、麗一君とチャト君の気持ちが一致しているのなら僕が恋のキューピッドに……」

「……おいおい、勘弁してくれよ。俺はいずれ元の世界に帰る身。恋愛なんてしたら別れが辛くなるじゃないか」

「そうかな。たとえ短い時間でも、愛する人と共に過ごせるのは素晴らしいことだと思うんだがね」

「うーむ。……いや、そもそも、俺は別にチャトのことをなんとも……」


 なんとも……思ってない? 本当にそうだろうか。……俺は……。


「わぁー、すごーい!」


 その時、木製の仕切りの向こうからチャトの声が聞こえて来た。


「にゃははー、温泉だよ温泉!」


 ぺたぺたとはずむような足音が聞こえてくる。


「転びますよ。チャトさん」

「大丈夫だよー! うわわっ」


 続けてビタンッという音が聞こえてくる。どうやら派手に転んだらしい。


「……気をつけろ」

「うう……いたたた」

「大丈夫ですか」

「うん……」


 どうしよう、声をかけようか。などと考えていたら、いつの間にか王子が横に来ていた。


「うおっ」

「シッ……麗一君。面白そうだから、このまま静かにしておこう。いいね」


 やれやれ、しょうがない王子様だ。とはいえ、俺もこういうノリは嫌いではないので、静かに首を縦に振っておく。


「アイカさん、頭洗ってあげる!」

「……自分でできる」

「いいからいいから、お湯、かけるよ」

「……全く」


 ザバーッという音が聞こえてくる。さすがのアイカさんも、チャトの押しにはかなわなかったようだ。


「ふんふふーん」


 チャトの鼻歌と共に、ワシャワシャという音が聞こえてくる。


「アイカさんもレキちゃんも、魔物討伐お疲れ様でした」

「……別に疲れるほどのことはしていない」

「すごかったよ、ズバズバーって。あたしもあんなふうに戦えたらなぁ」

「お前も武器が手に入れば戦えるんだろう」

「そう、だと思うけど……ここまでほとんど見てるだけだったからみんなに申し訳なくて……」

「……チャトさんは今のままでもいいと思いますよ。だじや氏も、チャトさんの愛の力でアイデアが湧き上がって来ると言ってましたし」


 そこまで言っとらん。


「……チャトは麗一の頭脳、ということか」

「ず、頭脳? へへ、そうかぁ、頭脳かぁ」


 再びザバーッと水を流す音が聞こえてくる。


「ねえねえ、王子がアイカさんのこと大好きなのはわかるんだけど、アイカさんは王子のこと、どう思ってるの?」

「……何?」


 なにやら向こうでも似たようなテーマの話が始まった。温泉とは愛を語る場所なのだろうか。


「アイカさん、いつも王子にちょっと冷たいような態度を取るから、ずっと気になってたんだ」

「別に冷たい態度を取っているわけではない。王家に使える身として、王子はお守りする対象であるだけで、恋愛対象などにはなりえないというだけだ」

「興味ないってこと?」

「……ああ」


 うーん、ここまでハッキリ言われてしまうのは、少し王子が気の毒だな。

 チラリと横を見ると、目を閉じ、すこし微笑ながら天井を見上げている。一体今、何を思っているのだろう。


「盗み聞きしている男二匹、ここに発見しました」

「!?」


 上を見上げると、仕切りの上からレキスがのぞき込んでこちらを見ていた。


「やあ、レキス」

「いるなら声をかけてください。趣味が悪いですよ」

「い、いやあその……すまない。タイミングがなくてね」

「……」


 のぞき込むレキスの顔が、急にのぼせたように赤くなっていく。そして、引っ込んだかと思ったら反対側からドボーンと落水した音が聞こえてきた。

 ……そういえば俺たち、タオルを頭の上に乗せていて、腰には何も巻いていなかったな。


「レ、レキちゃん!?」


 バシャバシャと音を立てて誰かが近づいてくる。恐らくチャトだろう。


「大変! 顔真っ赤だよ!」

「……ズミーミ」

「もうのぼせたのか?」


 王子の合図で、わーわーと騒がしくなった温泉から、二人こっそりと逃げるように出て行った。 


 ……こうして鉱山の村ツイクサの一日は過ぎて行ったのであった。

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