第十七話 ふんがいにふんがい
ダンセイ氏の家で昼食をごちそうになった後、俺たちは村の北にそびえる山を目指し、ひたすら歩いていた。チャトの足取りは軽く、弓と矢筒を背負っていた。
「よかったな、チャト。弓を借りられて」
「うん! これでやっと戦闘でも役に立てそうだよ」
村を出る前、弓を借りられないかダンセイ氏に聞いてみたところ、『昔使っていた物がある』と持たせてくれたのがこの弓だ。
かなり使い込まれていて、所々修繕された跡がある。矢じりも所々さび付いていて、少し不安を感じるが……。ちなみにチャトの持っていた棍棒は今、俺が杖代わりにしている。
「……臭いが強くなっていきます」
「うん、くちゃいね……」
俺にはまだ変化がわからないが、嗅覚の優れた二人にこの臭いは辛そうだな。
「一体なんの臭いなんだこれは」
「私の予想では……まあ、現地に行けばわかるでしょう」
「うう、何が待ってるんだろ」
そのまま歩き続けること一時間、俺たちは山の麓にたどりついた。
うっそうと生い茂る木々が斜面にズラリと立ち並んでおり、時折『ギィーッ』という声が響いて来る。
「……二人とも、大丈夫か?」
恐らくここが臭いの発生源だろう。この場に居るだけで体が腐っていくような錯覚をおぼえるほど、強い臭いに包まれている。
「……もう嗅覚がマヒして、逆に平気になってきました」
「あたしも……」
「……鼻が良すぎるのも考えものだな。さて、どうする? このまま山を登ってみるかい?」
「ここにいても何もわかりませんからね」
「い、いこう」
「よし」
登山道のようなものは見当たらない為、木々の隙間をぬって斜面を登っていく。
しばらく登ったところで、臭いの元凶と思しきものが地面に転がっていた。それは濃い緑色の塊で、とてつもない臭気が立ち上ってくる。
「……やはり」
「レキス、これは何だ?」
「ザルソークという魔物のフンかと思われます。実際に見るのは初めてですが……猛毒で、触ると皮膚がただれたり、下手すると死に至る恐れがあるそうです」
「えぇ……これ、そこら中に落ちてるよ……」
チャトの言う通り、周囲を見渡すと辺りは緑色のフンだらけだった。足の踏み場がないほどではないが、気を付けて歩かないとうっかり踏んづけてしまいそうだ。
「ザルソークは群れで行動し、ナワバリを決めるとそこにしばらく居座るそうです。そして、汚れが酷くなると再び別の場所に移動するとか」
「なんという迷惑な奴らだ」
「恐らくは、雨で溶けだしたフンが地中に染み込み、地下水脈を通って川や井戸に流れ込んだのでしょう」
「ということは、そのザルソークがどこかに行かない限り、ここらの水源や土壌は汚染されたまま、ということか」
「はい。どうしますか? この先は、いえ、すでにナワバリの中かもしれませんが、かなり危険です。村の方たちには一時王国に避難していただくなどして、群れが移動するのを待つという手もありますが」
「でも、住み慣れた故郷を離れるのってつらいよね……」
「ああ。でも、せっかくここまで来たんだ、やれるだけやってみようか。いいかい、二人とも。危険を感じたら俺を置いてでもすぐに逃げるんだぞ」
「え、やだよぉ」
「わかりました。出来るだけ逃げる時間を稼いでくださいね」
「はは、ああ、まかせてくれ」
「レキちゃあん……」
こんなことを言っているが、レキスも逃げることはないんだろうな。
……本当にこのまま進んでいいのだろうか。俺がお荷物になって、二人が命を落とすようなことになったら俺は……。
「ギィーッ! ギィーッ!」
突然頭上から威嚇するような鳴き声が聞こえてくる。
見上げると、黒い毛で覆われた手の長い魔物が、木の枝にぶら下がってこちらを見ている。見た目はほぼ猿だな。
「あれがザルソークか」
「はい。個々の戦闘力はそれほどでもありませんが、群れると厄介です。今のうちに数を減らしておきましょうか」
「よーし、あたしにまかせて!」
チャトが弓を構え、矢をつがえる。そして木の上のザルソークに狙いを定め……バチンッと音がしたかと思うと、弓の弦が切れていた。
「にゃっ!? こ、壊しちゃったー!」
「だ、大丈夫か? 手、ケガしてないか?」
「うぅ、平気。どうしよう、借り物なのに……」
「かなり古いものだったから、もう限界だったんだよ。チャトのせいじゃないさ」
「ギィーッギッギッギ」
「笑われてますね」
「うぅ、むかつくよー」
「ウロヤノコ・レバタクテ・レマツツニ・オノホ」
レキスの手から炎の塊が飛んで行く。
見事ザルソークに命中し、腹部から煙をたてながらドサリ、と地面に落ちて来た。
「ギッ……ギァーッ!!」
「さあ、チャトさん。遠慮はいりません、思いっきりやってしまいましょう」
「うん……」
拳を握りしめたチャトと、足をプラプラさせたレキスがゆっくりとザルソークに近づいていく。
その威圧感に気おされて、ザルソークがズリズリと後ろへ下がっていく。
「ギッ ギァーーーーーーーーーーッ!!」
今までより大きな声で、ザルソークが叫ぶ。すると、山の奥からギィギィと複数の鳴き声が聞こえて来る。
「……仲間を呼ばれましたね」
レキスがそうつぶやくと同時に、三匹のザルソークが目の前に現れた。落ちて来た奴をかばうように、ギィギィとこちらを威嚇する。
「どうしますか? このくらいの数ならまだなんとか……」
「あ、あんたたち! さっさとこの山から去りなさい!」
去りなさい、か。去ってくれれば楽なんだが……。ん? 去れ? ……去る?
「サルが
深く考えずにそう叫ぶと、ギーギー言いながらザルソークたちが山の奥へと消えて行った。どうやらサルで通用するらしい。
「ねえ、サルってなに?」
「俺の居た世界にサルっていう生き物がいるんだけど、あのザルソークにソックリなんだ。もしかしたらサルで通用するんじゃないかと思ってね」
「デムーカの時もそうでしたが、この世界に存在しない言葉でもダジャレ魔法は発動するのですね」
「ああ、どうやらそうみたいだ。なかなかザルな能力みたいだな。サルだけに」
「奥に行けばさらに多くのザルソークがいると思いますが、進みますか?」
「ああ、今ので必勝法を思いついたよ。行こう」
「珍しく自信たっぷりだね。頼りにしてるよ!」
レキスから借りた魔ガホンを右手に握りしめ、俺たちは山の奥へと進んで行った。
♢ ♢ ♢ ♢
「おかしいな……」
山を登る事三十分程。全くザルソークが姿を見せない。
「もしかしてさっきので恐れをなして……」
「チャトさん」
「うん。……囲まれてるね」
「え?」
周囲を見てもなにも見当たらず、鳴き声ひとつ聞こえない。
「声を殺して取り囲むとは、なかなかにしたたかな連中ですね」
「もう逃げられそうにないよ。大丈夫? れーいち」
「ああ、我に秘策ありだ」
その場でじっと周囲の様子を伺っていると、木の陰から一匹のザルソークが姿を現す。
それに合わせるように、次々に他のやつらも木の陰や上に姿を見せる。
「なるほど、完全に包囲されてるな」
「どうするの?」
「ふっ、こうするのさ」
俺は魔ガホンのスイッチを入れ、すかさず叫んだ。
「さるが……! あれ?」
声が小さい。スイッチは……ちゃんと入ってる。まさかこれは。
「魔力切れですね。……注入量が足りなかったようです」
「な、なら補充を頼む。急ぎで!」
「き、きてるよきてるよ」
「ウユニウユ……」
「こっちこないで!」
チャトが壊れた弓を射るしぐさをとるが、効果はない。俺も棍棒を振り回すが、ギャギャギャと笑われているような気がする。
「……チクヨリマ」
魔ガホンが光る。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう!」
「「「「「さるが、きえ
呼吸も整えぬままに叫ぶと、周囲を取り囲んでいたザルソークの姿が、一瞬で消え去った。
後に残ったのは、木々の葉擦れの音と、相変わらずの異臭だけだった。
「や……やったぁ!」
「ふー、ちょっと焦ったよ。まさか魔力切れとは」
「そのまま叫んじゃえばよかったのに」
「なるべく取りこぼしのないようにしたくてね」
「なるほどー……色々と考えてるんだねぇ」
先ほど村でレキスに言われた通り、ダジャレ魔法はなるべく一発で決めたほうがいいもんな。とはいえ、今のはちょっと危険すぎただろうか。
「……三分後に再び出て来たりしませんか?」
「おいおい、怖い事言わないでくれよ。……え、大丈夫だよな? 不安になってきたぞ」
「ふふ、きっと大丈夫だよ。だって、ね、レキちゃん」
チャトが嬉しそうな表情でレキスを見る。
「はい。私たちのレベルが上がりましたので」
「お、それはめでたい。なら、倒した、ということになるのか」
「チャトさんは一気に2レベル上がって17に。私は3上がって13になりました」
「れーいちといると、レベルがもりもり上がるね」
「いいなぁ。俺も強くなりたいよ」
「これからも私たちの為に強敵を倒していって下さい」
「……頑張るよ」
「それじゃ、帰る?」
「いや、まだ大仕事が残ってるぞ」
言いながら、俺は周囲に落ちている緑色の物体を見回す。
「えっ……まさか」
「やるつもりですか」
「ああ、山をきれいにしないとな」
「ええーっ! 全部掃除する気!?」
「でないと、また雨が降った時に大変なことになる」
「でも、すごい量だよ。一日じゃとても終わらないかも……」
「ふふ。チャト、ダジャレ魔法をお忘れかい?」
「えっ……?」
♢ ♢ ♢ ♢
俺たちはひたすら山を登り、ついに頂上までやってきた。
見下ろすと、遠くにマリソーチの村が見える。絶景なのだが、相変わらず周囲には酷い臭いが漂っていた。
「さあ、いくぞ。ちょっとお下品な言葉使いだが……二人とも、耳をふさいでいたほうがいいかもしれない」
そういえば、耳が四つあると、どうやって塞ぐんだろうか。
「わ、わかった」
チャトは両手で顔の左右の耳を塞ぎ、頭の耳をぺちゃんと手前に倒して密封している。器用なことをするものだ。一方レキスは、腕を組み、堂々と仁王立ちしていた。
「どんとこい」
「……いいんだな。それじゃあいくぞ」
大きく息を吸い込み、村まで届かせる勢いで叫ぶ。
「「「「「「クソをな
「なクソー……なクソー…………なクソー……………………」
渾身のダジャレが山にこだまし、山を下り、遠くの村まで響き渡る。……さて、どうかな?
「くんくん。……消えましたね、にほひ」
「よし、成功だな。チャト、もう大丈夫だぞ」
チャトは四つの耳と合わせて、なぜか目までぎゅっと瞑っていた。
「隙だらけですね。なにかいたずらしましょうか」
「おいおい。チャト、終わったよ」
肩を軽くぽんぽんと叩く。パチッと目を開けると同時に、頭の耳がプルンッと元に戻った。
「ん、終わった?」
「ああ、ほら、においも消えたろう」
「くんくん。本当だ! 山のにおいがする!」
「帰りましょうか。日が暮れる前に」
「そうだな。これにて一件落着だ」
「あれ?」
「ん? どうした、チャト」
「なんかお腹が……」
「ああ、お腹が減ったのか? 何か出そうか」
「んーん、違くて。ま、いっか。いこいこ」
「……」
お腹を気にしているチャトと、なにか言いたげな様子のレキスと共に、俺たちは山を下り、マリソーチの村へと戻って行った。
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