第十六話 かわってしまったかわ
デムーカを撒いて、ひたすら歩き続けること三時間。俺たちは遠くにマリソーチの村が見える所まで来ていた。
二人とも村が見える前から『異臭がする』と言っていたが、俺にはわからなかった。だが、ここまで来ると俺の鼻にも妙な臭いを感じるようになった。それは清掃のされていない公衆トイレに置かれた腐ったじゃがいものような臭いだった。
「……ひどいにおいだな」
「鼻が曲がりそう……」
「あの川から漂ってきているようですね」
レキスの指さす方向を見ると、二、三メートル程度の幅の川があり、その周囲には民家が点在している。川の水は濃い緑色をしており、川岸には死んだ魚がいくつも浮いていて、明らかに普通の状態ではなかった。
「行きましょう」
「ああ」
「なんだか、空気が重いね……」
チャトの言う通り、村全体がどんよりとした空気に包まれている。
生活感はあるが、表には人の気配がないし、昼前だというのになんだか薄暗いものに覆われているような印象を受ける。
「すいませーん! 誰かいませんかー!」
村の入り口で、チャトが大声で呼びかける。だが、誰も出て来る気配がない。
「誰もいないのかなぁ? すいませー……」
「うるせえぞ! 病人が寝てるんだ、静かにしてくれ!」
手前の民家から、口ひげを生やした白髪交じりの男性が出てきた。頭には犬の耳のようなものが付いている。見た目の年齢は、俺より少し上に見えるが、実年齢はもっと上かもしれない。
「なんだ、あんたたち。この村になんの用だ」
「ラグナムア王国より水質汚染の調査に参りました、レキス・キイラケースという者です。こちらの二人は助手です」
「助手のチャト・チュールです!」
「じょ、助手の田寺谷麗一です」
「……なんだ、今頃来たってもう
お、言った。
「この村はもうダメだ……汚染された水を飲んだり、川に入ったやつらが毒に侵されて倒れちまった。作物もみーんなやられちまって……難を逃れた連中はこの村を捨ててどこかに逃げる相談をしているよ」
疲れ果てた表情で、男性は言葉を続ける。
「もういいから、帰ってくれ。それで王様にこう伝えておきな。マリソーチの村はもうすぐ地図から消えちまうってよ」
そう言い残し、男性は家へと戻って行った……のだが、その男性の後をレキスがピタリとついて行き、閉めようとしたドアを押さえた。
「おわっ、な、なにすんだ!」
「……その、毒に侵された方というのはどこにいますか?」
「……会ったところで何ができるってんだ。毒消しも効かねえっつうのによ」
「会ってみないと何もわかりませんので」
レキスがじーっと男性を見つめる。何を考えているかわからない、その威圧感に気おされたのか、ドアを閉めることを諦めた。
「……わかったよ。入んな。娘に会わせてやる」
男性に案内され、奥の部屋へ行くと、ベッドの上に一人の女性が横たわっていた。
父親に似た耳と、茶色の髪。顔には赤い湿疹が無数にできており、苦しそうに荒い呼吸をたてている。見た目の年齢は三十歳前後だろうか。
「これは……毒の症状ですか」
「一ヵ月程前か……村の住人が次々と原因不明の病に倒れてな。それで、原因はどうも井戸水にあるんじゃないかって話になったんだ」
「そのまま飲んでいるのですか?」
「まさか。井戸から汲んだ飲み水は煮沸をして、タルに蓄えておくんだが、タルの水がなくなって、補充をするタイミングだったやつらが毒の水に当たっちまったらしい」
「その時、異臭などはしませんでしたか?」
「ああ、水の色が目に見えておかしくなったのはここ最近でな。最初は色もにおいも異常はなかったよ。俺たちグド族はハナが利く方なんだがな」
そのままレキスは淡々と男性に質問をしていく。
毒の被害に遭った村人は50人ほど、水が汚染される前に大雨が降った事、毒消しも解毒魔法も効果がないこと等を聞き出した。
「気が済んだならもう帰ってくれ。この村はもうおしまいだ」
ベッドの横に置かれた椅子に座り、娘の手を握りながら諦めの表情でつぶやく。
「あの……ちょっと試し……」
俺が言いかけると、レキスが人差し指を俺の口元に持ってきて、制止する。
「外に出ましょう。お辛い中、貴重なお話をありがとうございました」
「……」
男性はこちらを見ることなく、じっと娘の顔を見つめたままだった。
♢ ♢ ♢ ♢
「だじや氏、ダジャレ魔法を試そうとしましたね」
外にでるなり、レキスが話しかけてくる。
「ああ。もしかしたらダジャレ魔法なら効果があるんじゃないかと思って……」
「そうだよ、ダジャレ魔法ならきっと、あの人を助けられるかも!」
「例えば効果があったとして、この村全体に声を届かせることができますか?」
「……あ」
村を見渡すと、民家は一軒一軒離れて点在しており、もし離れた家に被害者がいた場合、声を届かせられるかどうか微妙なところだ。
「一度しか使えない以上、できるだけ一度目に多くの人に届くようにしたほうが良いでしょう」
「そうだな。それじゃあ……声を大きくする魔法とかないかな?」
「ありますが、私は使えません」
あるのか。
「確か、声を大きくする道具ってあったよね」
「道具……そうか、それをダジャレ魔法で出せばいいんだ。ナイスだぞ、チャト」
「え?」
「メガホンを使うと、
ポンッと音をたて、俺の首に現れたのは黒とオレンジの二色に分かれたスポーツ観戦用のプラスチックのメガホンだった。叫んでよし、叩いてよしの便利な応援グッズだが……。
「……これは」
「なんだかかわいいね」
「それで、声が届きますか?」
「無理、だろうなぁ……」
しかもこれ、使ったら声を聞いた人が眼精疲労になってしまいそうな気がする。
俺の中でメガホンといえば、これになってしまうんだな。野球好きのせいか……。
「……失敗だ。他のネタを考えなければ」
額に手を当て、うんうん唸っていると、レキスがボソリとつぶやく。
「私、持ってますけど」
「……え」
そう言うと、桃色のカバンをごそごそとあさりはじめ、先端がラッパのように広がった、取っ手のついた道具を取り出した。
「おお、それは」
「これは【魔ガホン】です。魔力を入れると声を拡大させることができます」
「そうそう、それそれ。ニヤンの村でもたまに使ってる人がいるんだ」
「そんなものがあるなら、早く言ってくれればいいのに」
「……だじや氏がノリノリだったので、静観してました」
「う……それはすまない」
なんでもダジャレ魔法で解決しようとせず、ちゃんと相談すればよかったかな。
「ところでその……魔ガホンは、どのくらい声が大きくなるんだ?」
「この村全体に届かせるには、十分なボリュームが出るかと」
「そうか。それなら早速ためしてみよう」
「はい。では魔力を入れます」
レキスがテン魔クに唱えた時と同じ呪文をつぶやくと、魔ガホンが強く発光し、すぐに光は消えていった。
「これで充電……いや、魔力が入ったのか?」
「本当はもっと長い時間注入しないといけないのですが、数回使う程度ならこれで十分でしょう。それではスイッチを入れて、なにか言ってみてください」
「あ、ああ」
取っ手の上部に付いているつまみをオンにし、口元に持って行く。そして……。
「「「「あっ」」」」
軽くつぶやいただけなのに、バカでかい俺の声が村中にとどろく。
想像していたよりもずっとボリュームが大きく、これなら村中どころか遠くの山にまで届きそうだ。
「うるせえぞ! あんたらまだいやがったのか! さっさと帰らねえか!!」
さっきの男性がすごい剣幕で家から出てきた。今のは怒られて当然だと思う。
「うちの助手がご迷惑をおかけして申し訳ございません」
……たきつけたのは博士なのに。
「ねえおじさん、もしかしたら村の人たちを助けられるかも! もう一回だけうるさくなっちゃうけど、ちょっと我慢してね」
「ハァ? 何言ってんだ」
「村の中央でやったほうがいいかな?」
「いえ、魔ガホンの声は扇状に広がるので、入口からがいいかと」
「なるほど」
「早速いこう! おじさん、待っててね!」
「え、お、おい!」
とまどう男性を置いて、俺たちは足早に村の入口に移動する。
「うまく、いくよね?」
「そう祈ろう」
「一発勝負です」
俺は魔ガホンを構え、深呼吸をした後、気合を入れて叫ぶ。
「「「「「「どくが、どく!!」」」」」」
「どく……どく…………どく………………」
俺の声が村をも飛び出し、野山を駆け巡る。
やがて声の反響がなくなり、辺りに川の流れる音が戻って来る。そして……。
「おーい、あんたら!」
家を飛び出してきた男性がこちらに向かって叫んでいる。
「一体何やったんだ!? とにかく来てくれ!!」
呼ばれるままに、先ほどの女性が寝ていた部屋に案内されると、そこには顔から湿疹が綺麗になくなった娘さんが、穏やかな表情で眠りについていた。
「なんかわーって聞こえた後、娘の顔からぶつぶつが消えたんだ。それに呼吸も穏やかになって……なあ、あんたらがやったのか?」
「我が助手の能力、ダジャレ魔法です」
「もう助手で確定なんだな……」
「ふふ、よかったねえ、おじさん」
「ふっ、ぐっ……もう、ダメかと思ってたぜ……。ありがとう、本当に、ありがとう」
娘さんを見つめる男性の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「恐らく、他の住民の方も快方に向かっているはずです。様子を見に行きましょうか」
「そうだな」
「あんたら、無礼な態度をとっちまって悪かったな。俺の名はダンセイ。困ったことがあったらなんでも言ってくれ。出来る限りのことはさせてもらうぜ」
「ありがとうございます。それではお大事に」
家を出ると、村は喜びの声に包まれていた。気づくと、あの嫌なにおいも消えている。川を流れていた毒も浄化されたということか。……もしかして、これで全て解決したのかな?
「まだ油断はできません。しばらくは井戸と川の水を使わないよう、注意喚起をしておいたほうが良いでしょう」
「魔ガホンの出番だね」
「ああ。便利だなこれ」
俺は魔ガホンを構えると、村人に向け、起こったことの説明と、しばらくは水を使わないようお願いした。村人は喜び、俺たちを歓迎し、汚染前の水を提供してくれた。
そして今、再びダンセイさんの家に招かれ、昼食をごちそうになっている。
「ほんっっとーーに! ありがとな!」
ダンセイさんが机に両手をつき、頭をこすりつける。
「もう、お礼なら何度も聞いたよおじさん」
「あんた達にゃあ、なんど礼を言っても言い足りねえ!」
言いながら、タブノイの生姜焼きを口に放り込む。
「おりゃあよぉ、もうむふめといっひょにひんでやろうとおもっへたんだよ」
「そこまで追い詰められていたのですね」
「ああ、だからあんた達は、娘の命だけじゃなく俺の命まで助けてくれたってぇわけだな。あと、村人の命。もう、王国に足を向けて寝れねぇなあこりゃ」
「あの、娘さんのご様子は……」
「ああ、まだ眠ってるよ。あんた達にお礼を言わせたかったがね」
「いえいえ、元気ならそれでいいんです」
「にしてもよぉ、こんなにすぐ解決してくれるんなら、もっと早く来てくれればよかったのに。あ、いや、別にケチつけるわけじゃないんだけどよ」
「……すみません。ここまで深刻な状況になっているとはつゆ知らず。王国に戻ったら王に文句を言っておきますので」
「い、いや、そんなことしなくていいよ。王様に文句をつけようだなんて、恐ろしいお嬢ちゃんだな」
「えっへん」
無表情のまま、得意げなセリフをつぶやく。ほめられているわけではないと思うが、あえて言うこともないか。
「まだ油断はできないので、王国に改めて調査を依頼しておきましょう。あと当面の飲み水の提供等も……」
その時、外から男性の叫び声が聞こえて来た。
「おい、見ろ! 川の水が……」
「なんだなんだ!?」
慌てて外に出るダンセイさんに続いて、俺たちも外に出る。
すると、風に乗ってあの嫌なにおいが再び村に運ばれてきた。川の方をみると、透明だった色が再び緑色に変わり始めている。
「これは……まだ毒が残っていたのか」
「どうやら元凶は、川上……あの山にあるようですね」
「どうする?」
「まだ日は高い。……様子を見に行ってみようか」
「そうですね。それでは残業確定ということで」
「うう、せっかくみんな喜んでたのに」
こうして俺たちは、川を上り、元凶の待つ山へと向かうこととなった。
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