第九話 しゅくはくにしゅくはっく
ラグナムア王国城下町――。
そこは様々な種族の人々が行き交う、賑やかな街並みが広がっていた。夕暮れ時だけあって、買い物客や仕事帰りと思しき人たちでごった返している。
チャトのように人間に近い見た目の人もいれば、ほぼ動物のままの人もいるな。まるでCG映画の世界に入り込んでしまったかのような気分だ。
「熊みたいな人がいるな……。あの人はモグラか? あっちの人は背中に羽が生えてるぞ。もしかして空を飛べるのかな」
年甲斐もなく興奮気味に辺りを見回していると、チャトに軽くシャツを引っ張られる。
「れーいち……目立っちゃってるかも」
気づくと、入口付近にいる人たちがチラチラとこ
「あ、ああ、すまない。ちょっと驚いてしまってね」
「何に?」
「色んな種族がいるんだなぁ、と」
「れーいちの世界にはいないの?」
「いや、いるんだけどね。ちょっと住んでいる場所が違うというか……」
「?」
動物園などで檻の中で飼われてる、と言ったらどんな顔をするだろう。
「まあ、その話はまた今度ということで。早速ギルドに行ってみようか。場所はわかるかい?」
「うん、すぐ近くだよ。ついてきて」
「ああ」
チャトの後に続き、バラエティに富んだ見た目の人たちでにぎわう通りを歩いて行く。極力目立たないよう努めたが、どうにも目移りしてしまう。
「ここだよ」
チャトが指さした建物には、巨大な看板に『お仕事紹介、お仲間紹介 みんなの冒険者ギルド』と日本語で書いてあった。いや、ホーニン語だったっけ。
「それじゃ早速中に……」
入ろうと思ったのだが、入口の扉に『CLOSED』と英語で書かれた看板が下がっていた。いや、イッシュリング語だったっけ。
「営業時間が終わっちゃったのかな」
「ううん。今日は定休日みたい」
「定休日とかあるのか……。あれ、そういえば」
「ん?」
「こちらの世界では曜日は何て言うんだ? 月曜、火曜、水曜……」
「木曜、金曜、土曜、日曜、だよ」
「そうなのか、こちらと一緒なんだな」
「へぇ、そうなんだ。ちなみに今日は火曜日だよ」
そういえばいきつけの床屋も火曜定休だったな。
「さて、どうしようか。宿でも取って明日出直して……あ、そういえばお金は……」
「にゅふふ、ちゃーんと持ってきてるよ。お母さんが多めに持たせてくれたんだ」
チャトが腰のカバンから黄色のがま口を取り出し、得意げな顔を見せる。
「そうなのか、よかった。でも、宿代を節約するなら俺は野宿でもかまわないけど」
「そんなことさせるわけないでしょ。でも、節約のために部屋は一緒だけど……いいかな?」
「えっ……。あ、チャトが平気なら俺は別にかまわないけど」
「ん、わかった。それじゃちょっと奮発してお風呂付きの宿にしよっか。れーいち、たくさん汗かいたもんね」
「うーん、確かに。背中がすごいことになってるかもしれない」
皮のリュックは接着面の通気性がほぼ皆無で、シャツが背中だけ脱水前の洗濯物のように湿っていた。
「えっと……宿屋、宿屋……。うーん、どこだろ。ちょっと聞いてみよっか」
「ああ、そうだな。それじゃ、俺が聞いてみるよ」
「うん、ありがと」
近くを通りがかったナマケモノのような顔をした男性(多分)に声をかける。
「あの、ちょっといいでしょうか」
「んー?」
低く間延びした声と共に男性が振り返る。
「この辺りに、風呂付きの安い宿とかありませんかね?」
「宿ぉー? ……あんたらー、カップルかーい?」
親子にでも見られると思ったのだが、カップルとは意外だな。……なにかワケアリに思われてるのだろうか。
「いえ、旅の仲間……ですかね」
「ふーん……。それならー、この道を真っすぐ行って――」
男性にゆっくりと丁寧に道を教えてもらう。そして……。
「――わかりました。どうも、ありがとうございました」
「あー、がんばりなー……」
何を頑張るのかよくわからないが、とりあえずチャトと二人、男性に言われた通りに道を進んで行く。
やがて、ピンク色に塗装された、怪しげな外観の建物の前にたどり着いた。
「こ、この雰囲気は……」
「んー、休憩……サービスタイムってなんだろ? 宿泊は……6000ワイニかぁ」
「ワイニ?」
「お金の単位だよ。ほら、数字の前に書いてるでしょ」
「……あぁ、なるほど」
アルファベットの『Y』の縦棒の部分に『ニ』が重なっている。つまり、ほぼ『¥』だな。若干下の棒が長いようだが。
「それよりチャト、ここはちょっとやめておいたほうが……」
「え、どうして? このくらいならなんとか払えるよ」
「う、うーん。なんというか、その……」
「ほら、入ろうよ。お風呂入りたいでしょ」
チャトにぐいと手を引かれ、そのまま俺は建物の中へ引きずられて行った。
♢ ♢ ♢ ♢
中に入ると、やたらと小さな窓口の横に、各部屋のイラストが描いてあり、その下に番号が振ってある。
日が沈みかけている時間帯だが、それなりに部屋は埋まっているようだ。
「なんだか変わった雰囲気の宿屋だね」
「あ、ああ」
どうやらチャトは、ここがどういう場所なのかわかっていないようだ。
「えっと……103号室でいいかな。すいませーん、103号室に泊まりたいんですけど」
「……ご宿泊ですね。6000ワイニになります」
顔の見えない受付の奥から女性の声がして、小さな窓口からお金を置く皿【カルトン】が出て来る。チャトが支払いを終え、鍵を受け取る。
「……ごゆっくり、お楽しみください」
「はーい。……お楽しみ?」
頭の上にハテナマークが浮かんでいるチャトと共に、部屋へと向かう。
鍵を開け、中に入ると部屋の中央に置かれた丸いベッドが桃色の照明に照らされ、妖しく浮かび上がっていた。
「わあ、なんだか変な部屋だねえ」
「そう、だなぁ……」
「にゃはは! 大きなベッド!」
チャトがベッドに駆けて行き、ぼふん、とダイブした。うつ伏せに倒れたチャトの体が上下にゆれる。
「んんー、疲れたー。れーいちもほら、リュック置いて休みなよ」
「ああ、そうだな。よっこら、せっと」
適当にリュックを下ろすと、羽が生えたかのように体が軽く感じる。しかし、背中はびっちょりと濡れていてとても気持ちが悪い。
「そうだ。あたし、ちょっと買い物行って来るかられーいちは休んでてね」
「それなら俺も行くよ」
「疲れてるでしょ。先にお風呂入っちゃってもいいし」
「一人で大丈夫かい?」
「もー、子供じゃないんだから。何か欲しいものとかある?」
「うーん……そうだな。なにかメモ帳のようなものがあれば助かる、かな?」
「ん、わかった。メモ帳ね……それじゃいってくるね」
ベッドから体を起こし、軽やかに床に飛び降りるとそのままチャトは部屋から出て行った。
買い物ならここに来る前に、と思ったが恐らく俺に気を使ってくれたのだろう。
先ほどチャトがしたように、俺もベッドに軽くダイブする。
「ふー……なんだか色々あって疲れた……」
タブノイとの戦闘、森での一件……年を重ねるごとに、時間が過ぎるのがどんどん早く感じるようになっていったが、これほど一日が長く感じたのは久しぶりだ。
「風呂か。今から入れると、チャトが帰って来る頃には冷めてしまうかもしれないな。もう少し……後で……」
まぶたを閉じると、ピンク色の渦の中に意識が吸い込まれて行った。
♢ ♢ ♢ ♢
「ふふふーん……」
「……んん」
「るんるん……」
「んがっ」
どうやら寝てしまったらしい。
浴室の方から、チャトのくぐもった鼻歌が聞こえてくる。そうか、買い物から帰ってそのまま風呂に……。
「おや?」
ベッドのわきに紙袋が置いてあり、開いた口から果物や衣服のようなものが見えている。一番上には黒い皮でできた表紙のメモ帳が置いてある。
「れーいち? 起きた?」
気配を感じたのか、浴室からチャトが話しかけてきた。
「ああ……すまない、寝てしまったようだ」
「疲れてたんだねえ。あのね、頼まれてたメモ帳と一緒に、れーいちの着替え買って来たんだけど、ちょっと見てみてくれる?」
「着替え?」
「袋に入ってるでしょ」
ベッドわきに置かれた紙袋から、白い布のようなものを取り出す。
それは、俺が今着ている白いワイシャツと似た服だった。どうやら黒いズボンや靴下も買ってくれたらしい。サイズもちょうどよさそうだ。
「何から何まですまないね。ありがとう」
「にゃはは、いいよいいよ。ねえ、れーいち」
「ん?」
「……れーいちも一緒に、入る? お風呂」
「ん……?」
……そうか、わかったぞ。チャトめ、ズネミーさんの時のように俺をからかうつもりだな? ふふ、俺は彼のようにはいかないぞ。ここは一つ、逆におどかしてやろうではないか。
「ああ、いいな。今行くから待っててくれ」
そう言うと、浴室からザブン、と水の音が聞こえてきた。
恐らくビックリして浴槽の中に沈んでしまったのだろう。しめしめ、ドッキリ大成功だな。
「……」
そのまましばらく浴室から何も聞こえなくなった。……まさか、沈みっぱなしになってるってことはないよな……?
「……れーいちが」
よかった、無事のようだ。
「れーいちがいいなら……あたし、いいけど……」
「……へ?」
ちょっと待ってくれチャト。これは冗談ではなかったのか? 俺も一応男なんだぞ。本当にいいのか? ……いや、いいわけがないだろう。うん。
「……冗談だよ、冗談」
「な、なーんだ、冗談かー。やめてよもー」
「はは、すまんすまん」
あぶないあぶない。危うく一線を越えてしまう所だった。
俺はいずれ元の世界に戻る身。責任を取れないなら、いい加減な行動は慎まなければならないだろう。
「ふーん、ふふーん……」
とはいえ、ちょっと惜しい事をしたかな、と思ってしまうのもまた男の悲しい性である。
その後、チャトと入れ替わりに風呂に入り、上がると残り湯を利用してチャトが服を洗濯してくれた。
果物とタブノイの串焼きを食べ、ヤトーラさんから頂いた魔物の毛で作られてるという歯ブラシで歯を磨いた。
やがて、力尽きた俺たちは同じベッドに倒れ込み、そのまま何事もなく夜は過ぎて行った……。
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