第三話 おれいなんておれいらないよ

 チャトさんに連れられ平原を歩いていくと、やがて小さな村にたどり着いた。

 木造の小屋と畑が点在する、のどかな雰囲気の集落だ。


「ニヤンの村にようこそ!」


 RPGで、村の入口にいる人のようなセリフを言われる。


「あそこがあたしの家です」


 彼女が指さした先に、平屋の広そうな家が建っていた。家の横には柵があり、なにか作物を育てているようだ。

 そのまま村の中を歩いて行くと、肩にクワを担ぎ、首にタオルを巻いた、農作業の途中だと思われる猫耳の男性が話しかけてきた。


「おーう、チャト。何やってるんだ? おや……その人は誰だい?」

「こんにちは、エキゾウおじさん。この人は、あたしの命の恩人だよ」

「命の恩人……?」


 エキゾウと呼ばれた男性が怪訝な顔でこちらを見る。


「……大丈夫なのか?」

「にゃはは、大丈夫だよ。多分」


 多分、か。


「まあ、おまえさんがそう言うならいいけどよ」

「さ、いきましょ」

「ああ……」


 歩き出したチャトさんに続き、俺も歩き出す。去り際にエキゾウさんに会釈をすると、向こうも会釈を返してくれた。


「ただいまー!」


 玄関の扉を開け、彼女が家の中へ入って行く。


「何してるんですか? ささ、どうぞどうぞ!」


 ぼーっと突っ立ってる俺を、手を招いて中に入るよううながす。


「えーと、お、お邪魔します」


 いくつになっても、初めて来る人の家はなんだか緊張するものだ。

 中に入るとすぐ、大きな四角い木のテーブルが置いてあり、キッチンになっていた。奥から足音が近づいてくると、やがて一人の女性が現れた。


「おかえりチャト、遅かったじゃないの」

「ちょっと色あってね」

「あら、そちらの方は?」

「あ、わたくし、田寺谷麗一と申します」


 腰を三十度曲げ、お辞儀をする。


「あたしの命の恩人だよ!」

「命の……? 何か危険な事でもあったの?」

「にゃはは……ぼーっとしてたらうっかりムラスーイ踏んづけちゃって……」

「あらまあ……あなたにしては珍しいわね」

「命の恩人なんてとんでもない。ちょっと魔物を追い払っただけですよ」

「それはどうも、ありがとうございました。さあさ、大したおもてなしもできませんが、とにかくおかけになって下さいな」

「あ、それでは失礼して……」

「どうぞどうぞ!」


 俺は、チャトさんがテーブルから引き出してくれた木の椅子に腰をかけた。そして、気になっていた質問をぶつけてみる。


「あの……」

「はい?」

「チャトさんの……お姉さん、でしょうか?」


 白いエプロンをつけた目の前の猫耳の女性は、チャトさんと同じオレンジ色のセミロングの髪に、チャトさんによく似た顔をしている。少し大人びた雰囲気だが、母親にしては若すぎる気がする。


「あら、お上手。聞いた? チャト。お姉さんですって。もう、いやですわ、からかわないでくださいな。うふふ」


 女性は両手を口元にあて、耳をぴこぴこと動かしながら喜んでいる。


「れーいちさん、この人、あたしのお母さんだよ」

「おっ、お母さん!?」


 どう見ても二十代半ばにしか見えないのだが……。

 

「チャトの母の、ヤトーラと申します。よろしくお願いしますね、麗一さん」


 ヤトーラさんがサラリと髪を揺らし、こちらに向かってお辞儀をする。


「こ、これはどうも。そうでしたか、お母様でしたか」

「ねえ、お母さん。あたし、れーいちさんにお礼がしたいんだけど」

「あ、そうね。それじゃ夕食を作るから手伝ってちょうだい。今日はごちそうよ」

「うん!」


 こうして俺は、夕飯をごちそうになることとなった。

 待っている間、二人にこの世界の事について色々教えてもらった。

 俺のいるこの世界は、【レジャーダ大陸】という場所らしい。ラグナムア王国を中心に、様々な種族がそれぞれ別々の集落で暮らしており、ここは『トキヤ族』が集まる村だそうだ。

 使われている言語は『ホニーン語』と『イッシュリング語』の二種類で、文字も日本語と英語そのままだった。……まあ、これは深く追求しないことにした。

 チャトさんの父親は、二年前、勇者と共に魔王討伐に出かけた時に行方不明となっているらしい。この話をしている時、二人が辛そうな顔をしていたので早々に話題を変えることにした。


 そして今、食卓に置かれた特製ハンバーグをいただきながら、ダジャレ魔法について盛り上がっている。


「すごかったんだよ! なんかこう、火の出る道具でボーって!」


 チャトさんが嬉しそうに銃を撃つようなポーズを取る。


「ダジャレ魔法ですか……なんだか面白そうなスキルですのね」

「ええ。なかなか扱いづらいところがあるのですが……」


 実は何度か、会話の最中にダジャレを言うチャンスがあったのだが、何が起こるかわからないため、グっと堪えておいた。ダジャリストにとっては、なかなかつらい能力かもしれない。


「れーいちさん、何かダジャレ魔法見せてよ!」


 突然チャトさんが無茶ぶりをしてくる。ダジャレを言わないよう気をつけていたのに、まさか要求されるとは。


「えっ。うーん……そうだなぁ」


 しかしダジャリストたるもの、要求されたら無茶ぶりにも応えていかねばなるまい。

 周囲を見回し、ネタに使えそうなものを探す。そして、ふとテーブルの中央に置かれた花瓶に目がとまった。


「ヤトーラさん、この花は……?」

「これはバラですね。村の中に自生してますのよ」

「ほう……」


 花弁は赤ではなくピンク色だが、確かにバラのようだ。ならば……。


「このバラを一本お借りしてもよろしいですか? ……駄目になってしまうかもしれませんが」

「ええ、かまいませんよ」

「え、なになに? なにするの?」


 花瓶からバラを一本拝借し、『猫がねころんだ』と並ぶ、ポピュラーなダジャレを言い放った。


「バラが


「……」


 二人が固唾を飲んで見守る中、俺の手の中でバラの花弁がバラバラとテーブルの上に散った。


「あらまあ……すごい」

「にゃはは、手品みたい!」

「いやー……はは」


 ダジャレを言って、無視されたり引かれたりすることはよくあるが、感心されることはあまりないので、どんな顔をしたらいいのかわからなくなる。


「あっ!」

「あらあら、大変」


 なんと、花瓶に差してあるバラまでバラバラになってしまった。


「な、なんてこった。申し訳ない」

「いえいえ、大丈夫ですよ」

「ひょいっ、さっさっさーっと」


 チャトさんが花瓶を持ち上げ、手早く散らかった花弁を片付ける。


「食事中に失礼しました……」

「いえいえ。とても楽しかったですよ」

「うん!」

「いやぁ……」


 俺は気まずさを誤魔化すため、ハンバーグを口に入れた。


「しかしこのハンバーグ、やわらかくてジューシーで、とても美味しいですね」

「お母さんのハンバーグは世界一おいしいからね」

「そんな、大げさよ」

「なんのお肉を使っているんですか?」

「タブノイです」

「……タブノイ?」

「魔物だよ! さっき会ったエキゾウおじさんが分けてくれたの。こーんな顔してるんだ」


 チャトさんが自分の鼻を人差し指でぐにーっと持ち上げる。豚みたいなやつってことかな? うーむ、この世界では魔物を食べるんだな。しかし、本当に美味い。


「なるほど。それに、この付け合わせのニンジンも程よい甘さで、食べているとなんだかこう、涙がで(滲んで)くるというか……」


 あ、しまった。と思った時にはすでに遅かった。


「それは、よかった、ですわ。ぐすっ」

「お母さんが、畑で、一生懸命、育てたんだよぉ……ううっ」


 二人の目からポロポロと涙がこぼれ出す。


「も、申し訳ない! 申し訳ない!」

「いいん、ですよ。ダジャレ魔法って、すごいのね、うぅ」

「ううっ、れーいちさん、すごいよぉ……ぐすん」

「すいません! すいません!」


 謝り続けること三分。ようやく二人の涙は止まった。



♢ ♢ ♢ ♢



「ふぅ……」


 俺は一人、大きめのベッドに横になっていた。


「まさか風呂までいただけるとは……」


 食事を終えると、もう遅いから泊って行けばいいと言われたので、お言葉に甘えることにした。

 チャトさんの父親が使っていたという寝巻も借りたのだが、体格のいい人のようで、けっこうダボダボだ。あと、腰に開いてる穴がちょっと気になる。

 そういえば仕事が終わってから寝ないでここまで来たんだったな……。そう考えると、どっと疲れが押し寄せてきた。

 このまま寝てしまおうかと思ったその時、コンコンと扉をノックする音がした。


「はい、どうぞ」

「失礼しまーす……」


 白いワンピースの寝巻を着たチャトさんが、遠慮がちに室内に入ってきた。


「おや、どうしました?」

「えへへ、あのね。お礼がしたいなって思って」

「お礼?」


 お礼とは、あのムラスーイの一件の事だろうか? それなら……。


「食事をごちそうになって、寝床まで用意していただいたんです。お礼なんて、もう十分ですよ」

「まだ、全然返し足りないです」

「いや、しかし……」


 風呂から上がったばかりなのか、照明の明かりに照らされた彼女の肌は、うっすらと赤みを帯びていた。


「さ、横になって……」

「え、横に、って」

「いいから、ほらほら」


 彼女に両肩を押され、俺はベッドに倒れ込んだ。

 

「チャ、チャトさん?」

「にゅふふ……」


 キラリと、彼女のグリーンの瞳が妖しく光った。



♢ ♢ ♢ ♢



 キシキシと、ベッドの軋む音が薄暗い室内に響く。


「……きもちいい? れーいちさん」

「ああ、すごくいいよ。チャトさんは上手だなぁ……」

「ふふ、お父さんにもしてあげてたんだ」


 ベッドの上にうつ伏せに寝転んだ俺の腰を、チャトさんがマッサージしてくれている。

 絶妙な力加減で、凝った場所を的確にもみほぐしていく。


「れーいちさん、かっちかちだねえ。何のお仕事してるの?」

「ああ、えーと……」


 スーパーマーケットって、こっちの世界でも通じるんだろうか。


「食べ物とか、お酒を売る店で働いているんだよ」

「へぇー、大変なんですね」

「まあ、けっこう重い物を運んだりもするからねえ……」

「いつもご苦労様です」

「はは……」


 彼女の手が、腰から背中に移動する。


「ん、っしょっと」

「おー……そこそこ……。あ、そうだ……チャトさん、失礼を承知で聞いてみたいことが……」

「何?」

「あのー、ヤトーラさん。どう見てもチャトさんのお姉さんにしか見えないんだけど、一体いくつくらいなのかな……と」

「あー、そういうこと女性に聞いちゃダメなんだよ」

「うっ……そ、そうだよなあ。すまない、今の質問は忘れてくれ」

「えっとね、65歳だよ」

「……ろっ、ろくじゅう?」

「うん。あたしは41歳」

「よっ……ほ、ほんまでっか?」

「ふふ、なにその言葉。本当だよ」

 

 二人とも二十代、いや、もしかしたらチャトさんは十代もあると思ったのだが、まさか年上とは……。


「れーいちさんは……80歳くらい?」

「……俺は、40……です」

「へー、それじゃあたしの方がお姉さんなんですね」

「驚きだよ……この世界の人は、みんな長生きなのかな」

「種族によって違いはあるけど、トキヤ族の寿命は二百年くらいかなあ」


 なるほど、この驚異的な見た目はそのせいか。うらやましいというかなんというか……。


「れーいちさんはどんな種族なの?」

「ああ、俺は……ホモサピエンス、かな」

「ホモ……ピ?」

「まあ、人間、でいいか」

「人間はどのくらい生きるの?」

「百歳以上生きる人もいるけど、平均寿命は……男は80歳くらいだったかな。いや、独身の場合は67とかだったっけ」

「うーん、短めなんだね……」

「そう、なのかな」


 確かに、成人してからここまではあっという間だったな。ここから67なんて、さらにあっという間なんだろう。……人生の後半戦で、まさかこのようなことになろうとは。


「ちょっと首を下げてくださいな」

「ん、こうかな」


 チャトさんの手が、両肩に移動する。


「あー……気持ちいい」

「このまま寝ちゃっていいですよ」

「いや、しかしそれは、チャトさんに申し訳が……」

「いいからいいから」


 肩を揉む手の力が少し緩む。チャトさんの温かい手と、その包まれるような心地よい刺激に、急激にまぶたが重くなる。


「ああ……もう……だ、め…………」


 思考がとろけて、俺の意識は遠のいて行った。

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