第11話 愛する人

 まともなセックスは随分久しぶりだ。

 俺自身先程のメールで気が立っているので、乱暴に組み敷かないように努める。

 いわゆるバニラセックスというか、イチャつくだけはそれなりにしていたのだが、妊娠判定の件もあったので、最後まではしていなかった。陰性が分かったのは少し前だが、その後もベタベタしていただけで、考えてみれば9月の半ばからしていない。

 最後にしたのはカナタのヒートの時か。珍しく周期がズレてしまい、休むのが間に合わなくて迎えに行った時だ。

「なんか、久しぶりだな……」

 下腹部を撫で回していた手をそろりと伸ばして、一番触りたい所にそっと触れる。

ここが濡れて緩むのは男性のΩ特有の機能で、直腸の奥に子宮を備えている為に起こる稀有な事象だ。男性とも女性とも違う、Ωの男と言う存在が際立つ部分でもある。

とは言え、ヒートの時は溢れるように濡れるそこも、それ以外の時は慎ましいもので、普通の男性とあまり変わらない。

 彼以外とのアナルセックスの経験は無い。比べる事は出来ないが、それでも今まで経験した女性達より相性は良いように思う。

 微かな声を上げるカナタは、既に頬を赤くして息も荒い。挿入しなくても指くらい散々入れていたが、それでも前戯と思えばその先を想像するのだろう。

 優しく、優しく。なるべく丁寧に。傷ついた、怖い想いをした彼を、怖がらせないように。

 息を飲む気配。腹側の弱い所を内側から軽く押し込んでやると、指一本でも達しそうなくらい膝が震えている。

「まだいかないで……」

 久しぶりだし、ゆっくり楽しませたい。Ωは快楽に身を任せる事で、心身の安定をはかる傾向がある。セロトニンとフェロモンは密接に関係し、フェロモンが高まると、連られてαも快楽が高まっていく。

 普段から抑制剤は服用しているので、そんなに極端な効果は出ていないと思うのだが、それでもΩとのセックスは、上手くいくと一種のドラッグセックスの様な感覚をもたらす。

 それこそ中学生くらいから「Ωとやるとキメセクと同じくらい凄いらしい」なんて下世話な話題をさんざん耳にしたものだ。

 それで実際はどうかと言うと、確かに段違いに凄い。

 ヒートの時以外も彼の香りは媚薬の様に興奮を掻き立てるし、お互い上手く高まってしまうと、一晩で何度でもイけるんじゃ無いかと思うくらいに、脳が犯される。日頃から抑制剤を服用しているのも、あまりにハイになってしまうと急性発情ラットを起こして彼を傷つけそうだからだ。

 中を暴いていく。指は2本入れても余裕があるし、声を耐えながら浅く息を吐いているのを見ても、ちゃんと気持ち良さそうにしている。長い付き合いだ、好きな所は沢山知っている。

 しかし、今日は状況が違った。さてどうしたものかと考えているのが伝わったのか、カナタがゆっくり手を着いて、上体を起こす。俺の指が抜けて、とろりと零れたものが内股を濡らしている。どうするのかと見守っていると、こちらに背を向け腹を跨いだ。綺麗な背中だ。白くて、薄く筋肉がついて、自分よりは遥かに細く、しかし均整の取れた男性の身体。うっすらと汗が滲み、常夜灯の明かりに、艶かしい色を含んでいる。

 ゆっくり倒される背中を、背後から見ていた。横になった自分の胸のあたりを跨ぎ、ぺたりと腹に手を着いて、やはり先走りを滲ませた俺のものに、そっと唇を寄せる。

「……無理すんなよ……」

「んっ……、……ぅ……」

 

「……疲れちゃった?」

 口を拭いながら振り向いて頷く彼の目が、生理的な涙で濡れて光っている。

 ゾクゾクした。綺麗だ。自分だけのものにしたい。彼は俺のだ。

「……挿れて良い?……怖く無い?」

「大丈夫……」

 俺のものなのに、他の男に犯されたのだ。

 怒りに身を任せてはいけない。彼を大切にしたい。それだけだ。ずっとそれだけで、事件の後は優しい温かいだけの男を演じてきた。

 本当は誰より犯人が憎い。

 肌をズタズタに引き裂いて、内蔵を蹴破って、なるべく長く苦しむ様に殺してやりたい。

 そんな醜い感情を、傷ついた人に見せてはいけない。

「おいで」

 振り向いた彼に口付けると、独特な味が口に残る。

 腹を跨いだ彼が、ゆっくりと腰を下ろそうとする。

「ゴム付けるから」

 ベッドの下に伸ばした手を、白い手がそっと制した。

「もういいよ、今までごめんね」

 仰ぎ見たその顔は、優しくて、少し悲しそうで、やはり口元は微笑んでいる。もういいという言葉の意味に、たまらなくなって抱きしめた。同じ男なのに自分より遥かに細い指が、ゆるゆると頭を撫でてくれている。

「……一緒に育ててくれるんでしょ?」

「大事にする、俺、一生かけてお前を大事にするから、絶対に離したりしないから」


 ヒートでは無いし、恐らく今日子供が出来る訳では無い。しかし可能性はゼロではない。その事を受け入れて、繋がる。無理をしていないか心配なのに、どうしたって嬉しさと興奮が勝ってしまう。

 愛しい。伏せた睫毛に涙の粒がキラキラと光っている。夢みたいだ、なのに無性に切ない。

 考えてみれば、今までの交際遍歴を含めても、スキン無しでセックスをするのは初めてだった。

 この人が初めてで、心底良かったと思った。

 愛おしさを伝えたくて、彼の唇に吸い付いて。触れたいとか、愛したいとか、優しくしたいとか、めちゃくちゃにしたいとか、そういう当たり前の奇跡みたいな気持ちをぶつけ合えたら良い。

 照れたように微笑むカナタは美しい。誰に犯されようと、どんなに傷つこうと。身体に走る無数の疵痕すら、彼の彩りに変わる。

 フェロモンの甘い香りが強くなっている。耐えようとすればするほど、息が上がってしまう。

 心配そうに覗き込む、潤んだ目がものすごく好みだった。


「ちょ、あ!待って……っ……!」

 触りっこくらいならしていたが、ものすごく久々な気がする。

 根元が微かに膨らんでいるのを感じる。

 αは本来男性器の根元にノットと呼ばれるコブのような膨らみを持ち、Ωを孕ませようとする時にはそこが大きく膨らみ、抜けない様胎内を圧迫し栓をして、時間をかけて精液を流し込む。αの性質が狼の因子に起因するためで、本気でセックスをすると犬の交尾そっくりになってしまうのだ。そして、その獣じみた行為を良しとしないαは多い。

 今日はなるべく奉仕したくて乗っかっていたのに、腰を掴まれて下から突き上げられているので、あんまり意味が無い。

息が上がる。

 奥にこつんと当たる感覚。抑制剤が効いているのか、ノットは膨らみ切って居ない。それでも物凄い圧迫感だ。

 こちらを見上げているアキラの興奮が肌と空気を通して伝わる。押し殺すような深い呼吸、響くような鼓動、汗と愛液で滑る腹筋、こちらを捕らえる獣のような瞳。

 お前のやりたい様にしてくれ、と思う。

 大切な人だ。今まで、ヒカルへの負い目があって、大切にしてあげられなかった人だ。

 ヒカルは自分より大切な人を作ってくれという。彼女と並べて比べる事は出来ないが、一番大切にしたい人と聞かれれば、彼しか居ない。

 家族も友人も大切だ、しかし、自分が全身全霊の愛情を注ぎたいのは、ヒカルとアキラしか居ないのだ。


 胸がぴたりと合わさって、頭を引き寄せられるようにして口付けられた。長い舌が唇を撫で、口腔を舐め尽くすみたい。必死に追いつこうとするのに、上顎を撫でられると脳まで犯されるみたいで、ビクビク震える脊髄を押さえつけるだけで精一杯。

 くちゅ、と水音を伴って離れ、アキラの顔がやっと見えた。

「……心臓がさ、」

 低い声が、鼓膜を優しく愛撫する。長いまつ毛、色素の薄い瞳、甘いカーブを描いた二重のタレ目が、悪戯っぽく細められる。

「……明日、筋肉痛になりそう」

「ふふっ」

 こんな場面で笑わせないで欲しい。

 柔らかい髪をくしゃくしゃと撫でると、擽ったそうに笑った。

「……ほんとに良い?……無理してない?」

「あの、あのね、………っ…」

「うん?……」

 心配させるのは心外だし、今きちんと話さなくては。

「前に、子供作る気が無いって言って、ごめんね」

「……俺もカッとなって酷いこと沢山言った……」

「あのね、」

 欲しいものは沢山あった。でも、もし娘に会えた時、娘を傷付けるようなものは持てなかった。持てないと思っていた。

 それが全て独りよがりな事も、知っていたんだ。知っていてアキラを巻き込んで傷付けたんだ。

「本当は、アキラの子供も欲しかった」

 言ってしまったと思ったと同時に、ボロりと涙が溢れる。何で自分は泣いているんだろう。タガが外れたみたいになってしまって溢れて止まらない。相変わらず涙脆いらしい。返す返すも、三十路をとうに超えた男だ、ダサいことこの上ない。

「あのね、うわ!」

 しゃくりあげながら続けようとして、急にがばっと抱き締められて変な声が出てしまった。

「……愛してる、愛してるよ」

 低く甘い声が、魂を撫でるみたいだ。

「っ……」

「……俺はお前のものだよ、ずっと」

 最後までちゃんと言えなかったなあ。

「ありがと……」

 涙のせいで震える唇でなんとか言うと、中に入ったまま、ぽすんとベッドに押し倒された。常夜灯の明かりに照らされたアキラの綺麗な顔は、少し切なくて、どこまでも優しい。


 満たされる。

 全部が足りてしまった、と思った。快楽と多幸感と、腕の中の優しい人と。

 この気持ちがあれば、これからきっと、どんなに辛くても生きていける。


 身体も拭かずに、二人で夢の中に落っこちるみたいに眠ってしまった。

 優しい日差しに目が覚める。

 目の前には大好きな人が居た。白い素肌が朝日を受けて、天使みたいに輝いている。俺の腕を枕にして、微かに細められた目はキラキラしていて黒曜石みたいな色だ。昨晩沢山泣いたので、瞼はちょっと腫れぼったい。

「……おはよう」

「おはよ……なんもしないで寝ちゃったな」

 ふへ、とカナタが笑う。仕事中のやたら完成した笑顔では無く、気の抜けた、温かいばかりの笑顔だ。

「身体カピカピだね」

 なんだか幸せそうにヘラヘラしているが、内心どう思っているんだろう。昨晩のはたぶん心からの本音で、きっとずっと言えなくて、言いたかったものだ。ヒカルの為に変わりたいと思えば、カナタだってちゃんと一歩踏み出せる。

 反面、長年心の拠り所だったヒカルと、精神的にも離れなければならない辛さは彼にしか分からない。

 よしよしと頭を撫でてやると、素直に嬉しそうにしている。顔がやたら可愛い。脅威の31歳。好きすぎてフィルターがかかっているかもしれないが、女性ホルモンが多い影響もあってかやたら肌も綺麗である。

 むらむらしてきた。

「……シャワー浴びる前にもっかいしよう」

 よいしょ、と上に乗ると、首を傾げられた。

「赤ちゃん居るかもだとしないんじゃないの?」

「あれはさあ……なんか、上手く言えないけど……どっちの子供かわかんない状態にはしたくなかったんだよ、誰の子でもちゃんと可愛がるつもりだったけど、俺の子かもって思うのはちょっと違う気がして」

 ヒカルも可愛いので、カナタの子供だったら育てられるという確信はあったのだ。

 避妊に100パーセントは有り得ない。自分の子かもと思えば多少気は楽になるのかも知れないが、逃げ道を作るのは自分自身が許せなかったし、何より何れ父親をはっきりさせなければならない瞬間が来るかも知れない事は、カナタに凄まじい不安を与えるだろう。

 結果子供は居なかったが、自分の行動には満足している。

「……ほんとにね、病院で『俺が育てます』って言ってくれて嬉しかったんだ。……俺ヒカル産んだ時凄い心細くてさ」

 よしよしと撫でてやると、子供みたいに擦り寄ってくるのが愛しい。

「ほんと、……ありがとうね、ずっとさ、蔑ろにしてごめんね……」

 蔑ろにされたというよりも、カナタはヒカルの事で精一杯だったのだろう。

 子供と離れて辛い苦しい寂しい、そういう気持ちでいっぱいなのに、そこに俺が子供が欲しいなんてゴネたらそれはもうパンクするだろう。壊れてしまう前に事実を聞けたのが救いだった。あのまま別れてしまっても不思議では無かったと思うとゾッとする。

「蔑ろにされたなんて思ってないよ、……ほんと、無理してない?ヒカルが本当に居なくなったら寂しいだろ」

「……そりゃ寂しいよ。でも今までも会えなかったからさ、……あのね、ヒカルの代わりになる人って居ないけど、でもさ、俺がこういう事思うの自体迷惑ってわかってるし、……結局、あの子に何したって俺の自己満足にしかならないから。俺は本当の意味で母親じゃないから」

 カナタは多分、両親の愛情をちゃんと注がれて育っている。だから母親が本来どんな存在か分かっているし、自分が産んだ子でも母では無いと言い切れる。

 俺はと言えば、両親との関係を切り捨てて久しい。

 カナタの父親の愛情の深さは、少し話しただけでもよく分かった。自分はそんな家族関係が実はとても羨ましい。

 ちょっとした嫉妬を誤魔化す様に、彼の肌をまさぐる。

「あ、ちょっと……!話聞いてる……っ?」

「聞いてるけどさ、……ちょっと慰めさせてよ、俺の事もこれからもっと大事にしてくれるんだろ?」

 ちょっときょとんとして、それから仕方がないなと言うように笑って、受け入れる腕に身を任せ、穏やかな朝は過ぎてゆく。

 現実は過酷だ。

 こんな夢みたいな休日があるならゆっくり浸って、そうして少ししたら目を覚まして、茨の道を歩まねばならない。

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