第14話 船上
駿河港から八丈島に向けてフェリーは出発した。
船名は藤丸号。スペックは全長八十五メートル、幅十五メートル、総トン数千五百四十トン、航海速力十八ノットである。数人が乗るにしてはかなり持て余す船であった。
ベルはアリスが私室としている一等室に呼び出された。
一等室は客室の中でも特別で、客室の中で最も広く、備え付けの設備が贅沢であった。夫婦用の寝室も備え付けられているくらいだった。
「君が私達を大人しく解放してくれるというわけではないんだろう? 何を考えているか教えてくれ」
「そうね。私はあんた達の逃避行を手伝うためにフェリーを占領したわけじゃないわ」
「だろうな。それで条件はなんだ?」
「そもそもね、ベル。私はあんたに取引を持ちかけてるわけじゃないのよ」
「分からないな。君の言いたいことが」
ベルはアリスの迂遠な言い回しにじれったさを覚えた。
「あんたにはすべてを諦めてほしい。この国を変えることも、プリンセス達を逃がすこともね」
「そう言われて納得するとでも?」
「しないでしょうね。でもねベル。あんたの敗北は決まってるの」
「私の敗北が決まっている?」
「ステラはエルルの手に落ちた。あんたは一人で私達を相手にしなきゃならない」
「並大抵のことではないだろうな」
アリスはベルの言葉を首肯する。
「私はあんたに命を捨ててほしくない。あんたがこっちに来てくれるって言うなら私の全部を上げてもいいと思ってる。それにあんたに一生不自由はさせない。超A級フェミニストに入れるようにだってしてあげる。悪い話じゃないと思うけど」
アリスは自分の思いつく限りの好条件を提示した。ベルを手中に収めて、取りこぼさないようにすると考えているからだろう。
「お前に熱望されるとは光栄だよ。だがそんな言葉で私の意思がぐらつくと思ったら大間違いだ」
「私の価値ってそこまで低くないと思うけど?」
ベルの返答を窺うような声音で言う。
「私だってこの立場じゃなければ飛びつきたいと思っている。君の価値が低いとか高いとか、そういう話じゃない」
「そういう話よ。私にはあんたの野望を捨てさせるほどの価値はないってこと」
「だから……」
ベルは食い下がる。
次の瞬間、アリスは服を脱ぎ始める。
「いっ、いきなりなにを」
「あんたは私を監視しなきゃならない。大義名分もあるわよね? 飛びつきたいんでしょ? あんた」
アリスはベルを壁際まで追い詰めながら肢体を見せつける。ベルの情欲が激しく燃えるのを待っているのである。
「それでも私は……」
「最後のお願いよ。一生で最後の……」
「アリス……」
アリスの翡翠の瞳から悲しさと恥ずかしさとその他の多くの感情が零れ落ち、床に滴った。
「私も……正直言って見惚れていた」
「ベル……」
アリスは嬉しくなってベルに抱き着いた。その後は寝室まで手を繋いで導いた。甲斐甲斐しく服を脱がせた。
アリスはベルの裸体にかつてないほどの興奮と感動を覚えているようだ。身を寄せて、彼女の頬に頬ずりした。
アリスとベルは幾星霜にも、刹那にも感じられる時間を過ごした。身体的にも心理的にも冷え切っていた二人の身体は情事を終える頃には酒気を帯びたかのように熱を持っていた。
心地よい疲労感に包まれたベルとアリスはお互いに見つめ合い、安堵して眠りに就いた。
「ベル、起きて」
アリスはベルの体を優しく揺する。
「どうしたんだアリス。もう着いたのか?」
「夜風に当たらない?」
「そうだな。変な時間に起こされたからどうしようかと思っていたくらいだ」
ベルは起こしてきたアリスに意地悪を言う。
彼女の意地悪にむくれて頬を膨らませる。
「リスみたいだぞアリス」
「それがさっきまで抱いていた女に向かって言う言葉?」
「可愛らしいなアリスは」
「昔は私があなたに言っていた言葉のはずなのにね」
アリスはラウンジで夜景を眺めながら過去を懐かしむ。
同じくベルはあれからかなりの時間が経ったことを思い出す。フリージェンダー学園中等部を退学させられ、フェミニズム裁判で有罪判決されたこと。そこでアンチフェミーのリーダーである虎原龍と出会い、アンチフェミー神拳を会得したこと。有罪判決を覆すボクシング対決の時にアリスに助け舟を出してもらったことなどだ。
「ヤヴェイロンの時は私をかばってくれてありがとう」
「あんたが痛めつけられるのを見ているのは忍びなかったもの」
「私も君もお互いを思いやる気持ちは変わらない」
ベルの言葉にアリスは頷く。
「あんたが私の手を取り、アンチフェミーを辞めるならこの友情は、否愛情は永遠に続く」
「それはきっと私にとって心地よいものなのだろう。それに心を削る闘争よりもきっと有意義だ」
「さぁ。私の手を取って」
アリスは手を差し出すが、ベルは首を横に振る。
「君の申し出を受けることはできない」
「そう……」
アリスはベルがこういう回答をすることを悟っていたようで、受け入れるように首を縦に振った。
「反対はどうだ?」
「私達は交わらない」
とアリスはベルの申し出を否定した。
ベルもそれを静かに首肯した。
「八丈島に降りた時、私達の内どちらかは死ぬ」
「死なせはしない」
「私は死なないわ」
アリスはベルの後ろを一瞬で取った。
「速いな。全く見えなかった」
「私の申し出を断ったんだから少しでも長く楽しませてね。ベル」
アリスはベルの下から一瞬で姿を消した。
ベルはあの燃えるような一時、愛しい人との逢瀬の時間が幻になったような寂しさを覚えた。
翌朝。フェリー藤丸は八丈島に着いた。藤丸は接岸し、タラップが降ろされる。
ベルとアリスは横並びで同時にタラップを降りていく。
「ベル。ルールは単純よ。勝者は最後に生きた人間よ。あんたが勝ったら二人の逃亡も支援してあげる。でも私が勝ったらプリンセスは連れ戻されるしレオパルドも逮捕される」
「君なりの譲歩か」
「そういうこと」
「ありがとうアリス。だが私は君を殺す以外の方法で勝って見せる」
アリスとベルはタラップから降りた。
「フェリーから数えて五十歩行ったら始めましょう」
「ああ」
ベルとアリスは歩き始める。
五十歩歩み、戦う条件が整う。
「大嵐波涛の構え」
先制したのはアリスだった。
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