第30話:暴挙

「はっ」


 仰々ぎょうぎょうしい春美はるみ物言ものいいに、思わず乾いた笑いがもれる。

 薄く笑む瑛人あきとを前に、春美はおごそかに呪符を取り出した。


呪詛じゅそです。六花りっかは貴方様との婚約を嫌がり、なんとか破棄しようと呪符を作ったんです」


 瑛人は差し出された呪符を手にした。


「……確かに六花の呪符だな」


 六つの花びらの印が押してある呪符に見覚えがあった。治癒に使われたものだ。


 火ノ宮瑛人 二十二歳

 願破棄婚約 呪瑛人呪


 墨で書かれた文字を目にし、口の片端が上がる。


「ふ……」

「何がおかしいんですの!?」


 余裕の笑みを浮かべた瑛人に、春美が金切り声で叫ぶ。


「こんなもので俺をだませると思ったのか。ずいぶん馬鹿にされたものだな!」


 瑛人の剣幕に、春美がぎょっとしたような表情になる。


「これは六花の呪符ではない」

「いえ、間違いなく六花の呪符ですわ!」

「……六花が呪符に使っていた紙、ではあるな」


 春美の頬がぴくりと引きつる。


「六花は今、別の紙で呪符を使っている。墨ではなく、万年筆で書いている」

「そ、それがどうなさったというの!?」

「俺が正式な婚約を申し込んだのは、新しい紙と万年筆を与えてからだ。なぜ切らした紙に墨で婚約破棄を願えるんだ?」


 春美の顔からすべての感情がそげ落ちた。


「そして、この字……ずいぶんクセがあるな。とくに『口』の部分がやけに丸っこい。六花の字ではない」


 卓上に置かれたメモ用紙とペンを春美に差し出す。


「おまえ、この紙に自分の名前を書いてみろ」

「えっ」

「早く書け」


 瑛人の迫力に負けたのか、春美は大人しく自分の名を書いた。

 その字は明らかに呪符に書かれた文字と酷似こくじしていた。


「ふん……筆跡鑑定を頼むまでもないな。字というのはおのおのクセが出るものだ。この呪符を書いたのはおまえだろう?」

「そ、それは……」


 もごもごと口ごもる春美に、苛立ちが頂点に達する。

 瑛人は拳をテーブルに思い切り叩きつけた。

 バンッ!!

 割れんばかりの勢いと音に、春美が飛び上がる。


「いいか、呪詛は大罪だ! しかも公爵家の者に対してならば、処刑も有り得る! 証拠もこのとおりある!」

「わ、私……」

大方おおかた、何かに使えるとあらかじめ六花の呪符を盗んでおいたのだろう?」

「わ、私……何かの何かの間違いですわ! そんな私が……」


 取り乱す春美を、瑛人は冷ややかに見つめた。


「呪詛など、軽々しくでっち上げるな! 不快だ! 篠田しのだ!」


 応接室のドアの前に待機させていた、一番隊副隊長の篠田を呼び出す。


「警察を呼んでこの女を引き渡せ。呪詛をしかけた。証拠もある」

「はっ!」


 春美がへたへたと床に崩れ落ちる。


「どこまで愚かなのだ……!」


 婚約パーティーの前日に台無しにしようと乗り込んでくるとは、蛮行ばんこうはなはだだしい。


「呪詛、か……」


 白鷺しらさぎ一族の件を思い出さずにはいられない。

 六花には話さなかったが、白鷺一族お取り潰しの一件には黒い噂があった。


 天子てんしに横恋慕をした治癒師が、正妻に呪詛を送り呪殺を目論もくろんだ――と公式の記録には残っている。

 だが、真実は別だという噂も根強い。


 天子の寵愛ちょうあいを受けた治癒師をねたんだ正妻が、呪詛をでっち上げたというものだ。

 嫉妬心で白鷺一族をおとしいれ、破滅させたのではないかとまことしやかにささやかれている。


 だが、表立って口にするものはいない。

 張本人の正妻は、次期天子の母として皇都に君臨している千紗子ちさこなのだから。


「おぞましいな……」


 嫉妬の炎に焼かれ、我が身をかえりみず相手をほふろうする情念に寒気がする。


「うう……。なんで私がこんな……惨めであるべきは六花でしょ!?」


 よろよろと這うようにして春美が鞄をつかむ。


「何をしている!」


 たかが女学生一人、と油断していた。

 春美が鞄から竹筒を出してくる。

 小さな竹筒から、呪力が漏れ出ている。


「何だそれは!」

「あんたも六花も、めちゃめちゃになればいい!」


 春美が竹筒の蓋を開けた。

 竹筒の奥から赤く光る目が見えたかと思うと、黒い弾丸のように妖魔が瑛人へと飛びかかった。

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