第27話:覚悟

六花りっか……」


 いくら呼びかけても、六花はかたくなに口をつぐみ目も合わせない。

 春美はるみという従姉の暴言に驚き、対応が遅れた。


 なんとか追いつき、帰りのタクシーに乗ってくれたものの、六花は口を閉ざし、目も合わせてくれない。

 瑛人あきとは動揺を押し殺し、じっと六花の様子を見つめるしかなかった。


         *


 何度も名を呼ばれているのがわかっていても、六花は答えられなかった。

 まるで心が石になってしまったかのようだった。

 いきなり投げつけられたつぶてのような言葉に対応できない。


(ああ、春美姉さんの言うとおりだ……)

(素性を隠して結婚しようなどと、浅ましい……)

(いつか話すつもりだったなんて、ただの言い訳だわ)

(ご両親にも顔向けができない……)


 自分を優しく歓待してくれた公爵夫妻の顔を思い浮かべ、泣きたい気持ちになった。

 うつろな状態で家に着く。


 迎えに出てきた祥吾の心配そうな顔に申し訳ない気持ちでいっぱいだが、何も言葉が出てこない。

 気づくと、応接室のソファに座らせられていた。


祥吾しょうご鞠子まりこには帰ってもらった。今、この家には俺たちしかいない」

「……」


 ソファに座ると、瑛人が目の前にひざまずいき、顔を覗き込んでくる。


「ちゃんと話せ、六花」

「申し訳ございません……」


 六花は静かに頭を下げた。

 ぐっとわき上がるものをこらえ顔を上げると、心配そうに見つめる瑛人と目が合った。


(ああ、なんて美しい金色の目……)


 すべてを見透かすような目に六花は観念した。

 いつまでも逃げられるわけではない。


「私、嘘をついておりました」

「……隠し事をしているのは薄々気づいていたが、このことか」

「はい。私は父を知りません。どこの誰の血を引いているのかわからない日陰者です。母はいくら責められても父の名を口にしませんでした。きっと、口にも出せないような……」


 言葉が詰まる。


「卑怯にも、ずっと黙っておりました。公爵家にふさわしくない、騙されたとお怒りでしたら、すぐに出て行きます。こんなに優しくしていただいたのに、恩を仇で返すことになり、本当に申し訳ございません……!」


 六花はただただこうべを垂れた。

 皇都に来てからの日々は幸せだった。

 自分が日陰者だということも、母の遺言もすっかり頭から消えていた。


(過去を切り離せるわけではないのに……。まるで生まれ変わったかのように勘違いしていた……)


「俺から逃げるのか」


 思いがけない言葉に、六花は驚いて顔を上げた。

 怒りと失望に満ちた表情を予想していたのに、瑛人はどこか悲しげに見えた。


「い、いえ……あの……」

「俺はおまえと正式な婚約をする、と言った。忘れたのか」


 わずかに苛立ちを含む声がかぶせられる。


「でも、私、瑛人様にふさわしく……公爵様たちにも失礼を……」

「おまえは婚約を了承した! つまりそれは、ずっと俺のそばにいるということではないのか!?」


 声を荒げられ、六花は呆然とした。

 罵倒されるのは覚悟していたが、思っていた言葉ではない。


「血筋などどうでもいい! 親や爵位でおまえとの婚約を決めたわけではない! 両親も同じだ。ただ、俺の心配をしているだけだ。治癒の力もなくたっていいんだ!」

「えっ……」


 六花は驚いて問い返した。


「治癒の力が婚約者の条件では……?」

「別にこれまでの縁談も、治癒の力をもたない令嬢ばかりだった。俺が大怪我をしたから、治癒の力を持つ令嬢がいればいい、と親が探しただけだ」

「そ、そうなの、ですか……?」


 そういえば、そのようなことを香澄かすみが口にしていた気がするが、ただの気遣いだと思い込んでいた。


「血筋や能力だけで添い遂げる相手を決めるわけがないだろう!」

「で、ではなぜ私を……」


 あまりに予想外の展開に、言葉が口をついて出た。

 瑛人の白い顔に赤みが差す。


「決まってるだろう! おまえが気に入ったからだ! おまえがそばにいると嬉しいし、買い物やカフェに行くのも楽しいし……何を言ってるんだ、俺は」


 瑛人が口を手で覆い、目線をそらせる。

 

(瑛人様は……たとえ私が何も持っていなくても、素性がわからなくても、それでも添い遂げたいと言ってくれているの……?)


 瑛人ががしがしと白銀の髪を乱暴にかく。


「そもそも、俺は白狐憑びゃっこつきだぞ。耳と尻尾を見ただろ。おまえこそ、嫁入りをしていいのか。本当は気が乗らないのに我慢していないのか」

「そんな……」


 瑛人がふっと息を吐く。


「ずっと気になっていたから、里でのことを調べさせた。おまえ、ていよく叔母の家を追い出されたんだろう。結納金目当てで」

「……っ」

「行き場がなくて、仕方なく俺についてきたんだろう?」


 もう何も隠し立てをするつもりはなかった。

 六花は首肯しゅこうした。


「最初は……そうでした。私には選択肢がないと言われました」


 口元が強張り、声が喉の奥で詰まる。


(私は……この人に嫌われたくないんだ)

(でも、自分の感じたように、思ったように行動するしかない)

(たとえ結果がどうであれ)

 

 ――それが『自分の人生を生きる』、ということだ。


 六花は勇気を振り絞り、口を開いた。


「でも今は! あなたのそばにいたいんです! ここに来て、私は久しぶりに笑いました。楽しくて幸せで。素直に自分の思いを口にできるようになりました。あなたが私を変えてくれたんです!」


 全身全霊で言葉を綴った六花を、じっと見つめる。


「六花、俺はまだおまえの口から聞いていない。俺のことをどう思っている」


 静かだが熱っぽい眼差まなざしに、体が焼かれるようだ。


「好き、です。誰よりもおしたいしております」


 ほとばしるように六花は思いを口にしていた。


「なら、どこにも行くな。俺のそばにいろ」


 瑛人がそっと指で涙をぬぐってくれる。いつの間にか頬に涙が伝っていた。


「はい……!」


 瑛人の胸に顔をうずめながら、六花は母の言葉を思い出していた。


 ――あなたの大事にしてくれる人と幸せな結婚をしてね。


(お母さん……私、見つけたよ)

(大好きな人……お母さんにも見てもらいたかったな……)

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