第23話:不吉な予兆

 翌朝、朝食を終えると、瑛人あきとが書類を差し出してきた。


六花りっか、パーティーの招待客の名簿を作っておいたから、あとで見てくれ。他に呼びたい者がいれば言ってくれ」

「はい」


 どうやら、昨日公爵家から帰宅してすぐに名簿に取りかかったらしい。


(そうよね、早くお知らせしなければ……)


「瑛人様、パーティー会場の予約が取れたと大奥様からご連絡がありました」


 祥吾しょうごの言葉に瑛人がうなずく。


「わかった。では招待状の作成に入ってくれ」

「承知致しました」


 婚約パーティーが決定し、にわかに慌ただしくなるのを感じる。

 六花も急いで名簿を見なくてはと立ち上がった。


 ジリリリリ――!

 電話のベルが鳴り響き、六花はびくりとした。

 まだ自宅に電話がある家は皇都でも珍しく、もちろん叔母一家の屋敷にもなかったのだ。

 電話を取った祥吾がすぐさま瑛人を呼ぶ。


「瑛人様、中央本部の篠田しのだ様からです」

「わかった」


 瑛人が受話器を取る。

 二言三言、言葉を交わした瑛人の一気に顔が引きしまる。

 初めて見る軍人の顔に、六花にも緊張が走る。


「そうか、わかった。よく知らせてくれた。俺も来週から出る」


 電話を切ると、瑛人が顔を向けてきた。


「六花」

「どうかなさいましたか?」

「定例報告だ。まだ俺が出張るような事件は起こっていない――が」


 思わしげに目を落とす。


「どうも、最近闇市場に妖魔が出回っているらしい」

「妖魔が?」

「ああ。以前から数は少ないが事例はあった。呪術師の中には、妖魔を捕らえて売りさばく人間がいるんだ。妖魔は金になる。武器としてもコレクションとしても」

「あんな恐ろしいものを……?」


 百歩譲って武器として使うのはわかる。

 だが、妖魔は猛獣よりも危険で制御しがたい存在なのだ。

 それをそばに置こうという人の気が知れない。


「珍しく強い生き物を手にすることが自慢になる、と思っている者がいるんだ。まったく度しがたいが……」


 瑛人が不快げに息を吐く。


「もちろん危険をともなうし、妖魔を売買するのは重罪だ。だが、どうも近頃、皇都で頻繁ひんぱんに妖魔の目撃情報が上がっているのは確かだ。まだ被害は出ていないが……」


 平和に見える皇都の裏で、怪しい動きがあるようだ。


「昨日の父からの話というのも妖魔についてだったんだ。皇都でどうやらよからぬ動きがあるらしい。充分気をつけるように、と言われた」

「では、出動を――」

「正式には来週からだが、いつでも出られるようにしておく。おまえもそのつもりでいてくれ」

「はい……」


 まったりとした家の空気が、一瞬にして緊張をはらんだ。


(ああ、そうか。この十日間は特別な時間だったのだ……)


 休養中の瑛人がいつも家にいてくれ、二人でのんびりと過ごせた。

 瑛人が仕事に復帰すれば、家で心配しながら帰りを待つ日々が始まる。


(しっかりしなくちゃ。軍人の妻になるのだから)


 すっかり甘えきってしまっていた自分をふるい立たせる。

 この家にも買い物もずいぶん慣れた。きっと一人でもやっていけるはずだ。


 それに鞠子まりこや祥吾もいてくれる。

 まるで六花の決意を感じ取ったのかのように、瑛人が財布を渡してくる。


「これからはいつでも買い物に付き添えるわけではなくなる。財布を渡しておくから好きに使え。足りなくなったら言え」

「あっ、はい。ありがとうございます……!」


 財布を手にするということは、家を任されたということだ。

 信頼に応えたいと六花は改めて強く思った。


「ああ、そうだ、六花。明日、友人と会う約束をしているんだ。おまえを紹介したい」

「お友達……ですか?」


 そういえば、瑛人の交友関係を何も知らない。


(ずっと皇都にお住まいなのだから、ご学友やお友達がいらっしゃって当たり前だわ……)

(どんな方なのかしら)


「昨晩、婚約することを話したら、なぜ今まで話さなかったと立腹りっぷくしてな。どうしてもパーティー前に一目会っておきたいと言っているんだ。小学校からの長い付き合いの友人だ。悪い奴じゃないから心配しないでくれ」

「は、はい……承知しました」


 六花はドキドキした。

 お友達に恥ずかしくないように振る舞わねばと姿勢を正す。


「そんなに気負きおわなくていい。ただの友人だ」

「えっ……」

「おまえはすぐに顔に出るからな」


 瑛人がフッと笑うと、軽く六花の頬に触れた。

 真っ赤になってしまった六花を、瑛人が呆れ顔で見つめた。


「おまえ……俺の体はあれだけ好きに触っておいて、頬に触っただけで……」

「じゅ、呪力の部分だけです!」

「そういえばそうだったか。遠慮無く触るからな、頭から腰から――」

「耳と尻尾です!」


 ムキになる六花に、瑛人が楽しげに声を上げて笑った。

 当初とは比べものにならないほど、瑛人がくつろいでいるのがわかり、六花の頬も自然と緩んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る