第20話:正式な婚約

 瑛人あきとの長く白い指が、そっと六花りっかの髪の先を揺らせる。


「なあ」

「は、はい」


 すっと顔を近づけられ、六花は硬直した。


「俺の実家へ行かないか」

「えっ……」

「俺の両親に会ってほしい」

「両親……じ、実家って……公爵家へ、ですか?」


 突然の申し出に、六花りっかは動揺を隠せなかった。


「そうだ。両親におまえを紹介したい」


 瑛人の頬にわずかに赤みが差す。

 その手がそっと六花の肩に置かれる。


「おまえと正式に婚約したいんだ」

「えっ、あの……」


 真剣な眼差まなざしに気圧けおされ、六花は口ごもった。


「嫌か」

「そ、そんな、とんでもないです!」


 六花は慌てて首を振る。


「この十日ほど、おまえと過ごしてみて出した結論だ。おまえといるのは楽しいし、治癒も俺には必要だ。懸念けねんだった白狐憑きも、おまえは気にしないようだし……」


 瑛人がまっすぐ六花を見つめる。

 その金色の目に迷いはない。


「俺はおまえと結婚したいと考えている」

「は……はい……」


 六花は現実とは思えず、あやふやにうなずいた。

 花嫁候補としてこの屋敷に来ていたのに、いざ婚約となると実感できない。


 こんな素敵な人と結婚する未来があるということが信じられない。

 要領を得ない六花に、瑛人がごうを煮やしように問うた。


「……おまえ、他に好きな男がいるのか?」

「へっ? い、いません、そんな人!!」


 慌てる六花に、瑛人がぷっとふきだす。


「一応確認したまでだ。おまえの返事を聞きたい」


 六花はごくりと唾を飲み込み、楽しげに笑う瑛人を見た。

 本当に私でいいのだろうか。

 公爵家の若君で、美しく優しいこの方のふさわしいと思えない。

 だが――この家が、瑛人のそばが、既に六花にとってかけがえのない居場所となっていた。


「あの、私……本当にここにいていいんですか?」


 まるで夢のような話だ。


「ああ。俺のそばにいてほしいんだ」


 はっきりと告げられ、六花はようやく現実を噛みしめた。


「う、嬉しいです。私……この屋敷に来て、とても幸せで……」


 ずっとこの時間が続いてくれないかと願っていた。


「六花」


 名を呼ばれ、手を取られた。


「あ……」


 目を閉じた瑛人が、六花の手の甲にそっと口づける。

 温かく柔らかい唇の感触に、ぶわっと胸の中で感情があふれた。


(なんて優しく触れるのだろう)

(瑛人様……)


 伏せた白銀の睫毛が美しすぎて、いつまでも見ていられる。


「言え」

「えっ……」


 ぼうっと見とれていた六花はハッとした。

 瑛人の金色の目がまっすぐ六花をとらえていた。


「俺のものになる、と言え」

「えっ、あっ、あの……」


 手をとったまま、瑛人が上目遣いで見つめてくる。

 生来の性質なのか、白狐憑きのせいか、瑛人はときおり猛々たけだけしい一面を見せる。


「わ、私……」


 六花はごくりと唾を飲み込んだ。

 瑛人がハッとしたように六花の手を放し、頭をかいた。


「すまない……また祥吾にたしなめられるな。言い方が悪かった」


 改まった瑛人が六花を見る。


「俺と婚約してくれるか?」


 素直な申し出に、六花は自然とうなずいていた。


「わ、私……瑛人様の婚約者になります」


 ホッとしたのか、瑛人の肩から力が抜ける。


「そうか……よかった。では、明日にでも公爵家に行こう。構わないな?」

「は、はい……! でも急に訪問して大丈夫でしょうか?」

「両親には祥吾しょうごから伝えさせる。挨拶をするだけだから、時間は作ってくれるだろう」

「あの、どんな服で……」

「そうだな。久しぶりに着物を着てみるか? 俺は正装だと軍服になるか……堅苦しいな。洋装でいいか」


 こんな相談を瑛人としているのが信じられない。

 六花はまるで雲の上にでもいるような、ふわふわした感覚にとらわれた。

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