第19話:白狐の瑛人

 六花りっかの言葉に、瑛人あきとが虚を突かれたような表情になった。


「白狐の俺を見たいのか……?」


 かすれた声に動揺を見て取った六花は、がばっと頭を下げた。


「ですぎたお願いをして、申し訳ございません!」

「いや、まさかそんなことを言われるとはな……おまえは本当に、普通の令嬢と違うな」


 ちくん、と胸に痛みが走る。

 瑛人はいまだに、六花を子爵家の令嬢だと信じているのだ。

 父の名も知らず、叔母の家で使用人同然に扱われていたなどと、夢にも思っていない。


「着物かドレス、もしくは宝石――と考えていたのだがな」


 しばらく考えこんだのち、瑛人は何かを決意したように軽く息を吐いた。


「そうだな。俺もそろそろキツくなってきたし……」


 ちら、と金色の目が揺れた。

 その目に不安がよぎったように見えたのは気のせいだろうか。


「わかった……」


 そう言うと、瑛人は静かに目をつむった。

 さらり、と白銀の髪が揺れる。


「……っ」


 髪をかきわけるようにして、髪色と同じ白銀の尖った獣の耳が顔を出す。

 ばさり、と羽ばたきのような音がしたかと思うと、腰の辺りからふわふわの白銀色の尻尾が現れた。


「ふう……」


 瑛人が天井を見上げ、大きく息を吐く。


(うわあ……)


 それはあまりにも幻想的な光景だった。

 もともと、現実味のない美しい人に、獣の耳と尻尾があるのだ。


「あ、あの」

「なんだ」


 少し警戒したような声が返ってくる。


「触っても……いいですか?」


 六花の申し出に、瑛人がぎょっとしたように目を大きく見開く。


「ダメ……ですか?」


 こんな思い切ったことを言えるのも、瑛人のおかげだ。


 ――おまえはもっと自分の意志表示をした方がいい。


 そう言ってくれたから、これまで口に出した願いをすべて叶えてくれたから、自信につながった。

 否定されないというのは、これほどまでに心を自由にしてくれるのか。


 目を輝かせる六花に気圧けおされたように、瑛人があごを引いた。


「……変わった奴だな。別に構わないが……」

「で、では、遠慮なく……」


 六花はそうっと手を伸ばし、まず耳に触れた。

 ぴくん!

 指先が白銀の被毛に触れた途端、大きく獣の耳が揺れた。


「や、柔らかいですね……気持ちいい……」


 なめらかな手触りにうっとりしてしまう。


「あ、あの嫌じゃないですか? 触られると……どんな感じですか?」

「……別に。普通だ」


 そう言いつつ、瑛人は目を細めた。

 心地ここちよさそうな表情に、六花は更に思い切った。


「じゃ、じゃあ、尻尾もいいですか!?」

「好きにしろ」


 どこか面白がるような声に勇気をもらい、六花はそっと尻尾に手を伸ばした。

 一抱えもありそうな、もふもふとたっぷりの被毛におおわれた尻尾に触れる。


「ふわっふわですね!」


 そう言った瞬間、尻尾が大きく上下し、ぴしゃぴしゃと床を叩く。


「……? あの……?」

「勝手に動くんだよ! 気にするな!」


 瑛人が顔を赤らめてそっぽを向く。


(……犬が喜んでいるときの動きに似ている気がする)

(気持ちいいのかな?)


 人間の体の部分にはとても手を触れられないが、呪力でできているせいか、耳と尻尾はなぜか平気だった。

 六花は存分ぞんぶんに白狐の耳と尻尾を堪能した。


「ありがとうございます……! あの、こういう言い方はお嫌かもしれませんが……」

「なんだ」

「すごく、素敵です! 美しいというか……あ、いつもお美しいですけど、更に高貴さと神秘さが増したというか」

「獣の姿だぞ」


 瑛人がつん、と顎をそらせ、挑戦的に見つめてくる。


「白狐、ですよね。祀られて神となった……」


 妖魔の区分は難しい。白狐のような高次的な存在は神にもなる。当然、討伐の対象ではない。

 また尻尾が振られ、ぱしぱしと軽く床を叩いている。


(なんとなく、機嫌がいい気がする……)


 瑛人の顔に不快さも怒りもないことを確認し、六花はホッとした。


(あんなにてらいもなく触ってしまうなんて……いくら美しいと言っても失礼だったわ、きっと)


 今更ながら、自分の行動に驚いてしまう。

 そして、白狐の姿をとても自然に受け入れたことも意外だった。


(散々、脅かされていたせいかな……)


 春美たちが口汚くののしっていたから、とても恐ろしく醜いものだと思い込んでしまった。


(人の姿とあまり変わらない。というか、ただ神々しく美しいだけ……)


 六花は思い切って口を開いた。


「よかったら、これからは家で自由に白狐の姿をとってほしいです。私のことは気になさらず、これまでどおりに過ごしていただきたいです!」


 瑛人に窮屈な思いをさせたくない。それでなくとも、闖入者ちんにゅうしゃは六花なのだ。

 叔母の家で厄介者扱いされて以来、他人の家で暮らすことに引け目を感じていた。

 できるなら、お互いにくつろいで過ごしたかった。


「そうか。そうだな……」


 ふっと瑛人の肩の力が抜ける。


「今日から……そうする」

「ありがとうございます!」


 笑顔になった六花に、手が伸ばされた。

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