第18話:おねだり

 家に帰ると、六花りっかは駆け上がるようにして自室に入った。

 買ってもらった紙をそうっと取り出し、机の上に置く。


 六花はいそいそと判子はんこを取り出した。

 母が作ってくれた六つの花びらの印だ。


 丁寧に朱肉をつけ、紙に押していく。

 白銀の用紙に赤い花模様がとても映え、六花の心は躍った。


(素敵……素敵!)


 どんなに美しい呪符になるだろう。


「練習しなきゃ……」


 新しい道具で思うまま字を書くには、数をこなすしかない。

 六花は万年筆を走らせた。


(む、難しい……!)


 毛筆や硬筆とはまた違う書き味に、六花は四苦八苦した。

 紙も模様があるせいか、引っかかりがある。


(夜までに……なんとかするんだ)


 六花はただひたすら筆を走らせた。


         *


「ずっと今まで書いていたのか? こんを詰めすぎではないのか?」


 夕食の席で瑛人が心配げに尋ねてくる。

 祥吾しょうごが呼びにくるまで、六花はずっと自室にこもっていた。


「納得のいく字が書けるまでと思って……」


 疲れは見せているものの充足感に満ちた表情の六花に、瑛人は苦笑した。


「何かに夢中になると、時間があっという間に過ぎるな……」

「はい!」


 いつも、作業が早く終わらないかとそればかり思って暮らしていた。

 だが、自分がやりたいことを好きなだけやれると、こんなに満ち足りた気分になるのか。

 初めての経験に六花はひそかに驚いていた。


「さっそくですが、お食事が終わったら治癒を行いたいのですが……!」


 若干前のめりになった六花に目をまたたかせつつも、瑛人はうなずいた。


「では頼む」

「はい!」


 食事が終わると六花は喜び勇んで、瑛人の部屋をノックした。


「失礼します」


 丹精込めて作った呪符を瑛人に差し出す。


「こちらになります」

「ほう……美しいな」


 目にしたときから美しい紙だとは思っていたが、六花の印と万年筆の文字が添えられた呪符は輝きを放っているかのように見えた。

 六花が見守るなか、瑛人が胸の傷に呪符をあてる。

 しばらくして、ひらりと呪符が落ちた。


「あっ……!」


 六花は思わず声を上げた。


「傷が……薄くなっています!」


 今にも傷口が開きそうな危うい状態から、明らかにしっかりと傷口が閉じ傷跡が薄くなっていた。

 飛躍的な向上を見せた治癒効果に、六花は顔を輝かせた。


「ど、どうですか? 痛みは……」

「ああ。まったくなくなっている。すごいな……!」


 瑛人が感嘆の声をもらす。


「おまえの努力のおかげだ」

「ま、万年筆に変えたのがよかったのかもしれません! すごく高級品ですし……」


 想像以上の結果に、六花は頬を上気させた。

 ポンと頭に瑛人の手が載せられる。

 その手はするりと下におり、六花の髪を優しく撫でた。


「あ……」


 こんな風にいとしげに触れられるのは初めてで、六花は硬直した。


「ありがとう。お礼をせねばな。何か欲しいものはあるか?」


 瑛人の言葉に六花は慌てて首を振った。


「そ、そんな! 万年筆まで買っていただいて! それに服だってたくさんいただいて……充分です!」

「ダメだ。何か俺にねだれ」


 瑛人が笑みを浮かべたまま、にべもなく却下きゃっかする。


「おまえはもっと意志表示をする必要がある。練習だと思って何か言え」


 優しいが、有無を言わさぬ声音だった。


(何が好きか、何が欲しいか、自分の心に問え、ということだ……)


 瑛人はずっと考えてくれている。

 六花が自分の人生を生きるということを。


 六花は勇気を振り絞った。

 瑛人にねだりたいことが一つだけある。


「じゃ、じゃあ……」


 ごくり、と唾を飲み込む。


「瑛人様の白狐びゃっこの姿が見たいです!」

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