第16話:瑛人の葛藤【かっとう】

 肩を落とし、しょんぼりと六花りっかが部屋を出て行くのを、瑛人あきとはただ見送るしかなかった。


(まずったな……)

(俺は本当に気がかない……)


 責めるつもりも、嫌みを言うつもりもなかった。

 ただ、この七日ほど呪力を解放できずにいるのは事実だ。


 六花は婚約者として家に来た。

 一生を添い遂げる相手としてだ。

 獣の姿を見せて断られるなら、早いほうがお互いのためにいい。

 本当なら、もっと早く見せる心づもりだった。

 だが、機会を見計らっているうちにずるずる時間は過ぎ、七日がたったのだ。


(六花に見せたくない)

(俺はそう思ってしまっている)


 瑛人はごろりと寝台に寝転がった。

 好奇の目で見られるのも、女性に怯えられるのも、慣れているはずだ。

 なのに――。


(六花に嫌がられるのが嫌なのだ、俺は)


この一週間、六花をいくら観察しても、穏やかで控え目な娘以外の感想がない。

 奸計かんけいをめぐらしているように思えない。

 一心に今の生活を楽しんでいる。

 隠し事があるのかもしれないが、それは害をなすようなものではないのだろう。


 瑛人がくつろいだ姿を見せると、六花の緊張も解けてきた。

 おどおどしていた六花が、次第に目を合わせてくれるようになった。

 それは思いのほか、瑛人の心に喜びをもたらした。


 六花が微笑んだり目を輝かせるだけで、驚くほど心が躍る。

 何より、こちらを一心に素直に見つめてくる目。

 あの目が曇り、拒否の色を浮かべる様を想像するだけで、なまりを飲み込んだような気分になる。


(怖いのか、俺は)


 白狐憑き――獣神けものがみと呼んで、瑛人を恐れる人も少なくない。

 その自分がまさか弱々しい一人の女性の反応をここまで気にするとは、認めがたいことだった。

 だが、いくら否定しようとも無理だった。


(くそ……どうしたら……)


 もう眠りにつこうとする寝室ですら、呪力を解放できずにいる。

 万一――同じ家にいる六花に見られることがあれば、と思うだけで自制してしまう。


 白狐の力を恨んだこともあった。

 だが、悪いことばかりではない。

 何より、他の誰よりも呪力があり、強くあれることは誇らしい。

 どんな妖魔が来ても、と頼られており、一軍人に過ぎないとはいえ、天子様てんしさまですら一目いちもく置いてくれている。

 決して恥ずべきことではないのに。


(とても眠れそうにないな)


 瑛人はそっと階下へと降りた。

 屋敷内はしん、と静まり返っている。

 台所に足を踏み入れた瑛人はぎょっとした。

 流しにもたれかかるように祥吾しょうごが立っていたのだ。


「お、おまえまだ帰っていなかったのか!?」

「はい。書類仕事に時間がかかってしまいまして」


 瑛人は現在休養中だが一番隊隊長という立場のため、確認が必要な書類は送ってもらうことになっている。

 瑛人の秘書でもある祥吾には、必然的に負担をかけることになる。


「悪いな、祥吾」

「いえ。こうしてご褒美ほうびにお酒を一口いただいていますので」


 祥吾が糸目をさらに細め、いたずらっぽく格子柄こうしがらの小さなグラスをかかげる。


「何を飲んでいる」

「いただき物の大吟醸だいぎんじょうです」

「俺も飲む!」


 祥吾がすぐさまグラスに酒をついでくれる。

 瑛人は一気にグラスをけた。


「お代わり!」

「では、私も」


 祥吾と瑛人はくいくいと香りのいい酒を楽しむ。

 祥吾はいくら飲んでも顔色一つ変えない、所謂いわゆるうわばみだ。

 対して瑛人は、すぐに酔いが回って顔が赤くなってしまう。


「おまえだけ、ずるいぞ!」

「瑛人様はそのぶん、甘党で甘味かんみに強いではありませんか」

「甘味に強い、ってなんだ!」

「パフェ、でしたっけ。私にはとてもとても。アイスクリームがせいぜいです」

「馬鹿にしてるのか」

「とんでもない」


 笑みがいつもより深い。

 どうやら祥吾も少し酔いが回ったようだ。

 成長するにつれ、あまり感情を見せなくなった祥吾が、お酒を飲むときは少し饒舌じょうぜつになり、表情がわずかに豊かになる。

 そんな祥吾が見たくて、たまにこうやって一緒に飲む。


「……今日はおまえが遅くまでいてくれてよかった」

「そうですか」


 なぜですか、と祥吾は聞かない。

 察しがいいのが祥吾の長所でもあり、短所でもある。


(原因が六花だと、バレバレか)


「大丈夫ですよ。若様は誤解されやすいだけです」

「おまえのそういう所が嫌いだ」


 くすっと笑って酒を飲み干す祥吾を見ていると、不思議と心が落ち着いた。

 ようやく眠りにつけそうだ。


「おやすみ、祥吾」

「おやすみなさいませ、瑛人様」


 六花は安らかに眠れているだろうか。

 瑛人はそっと階段を上がった。

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