第14話:白鷺一族

 瑛人あきとの家に来て一週間がたった。

 朝起きて朝食を作り、一緒にご飯を食べ、街を散策したり本を読んだりと、六花りっかはゆったりとした日々を過ごしていた。


 いつも追い立てられるように用事をこなし、へとへとになって空腹に耐えていた生活とは天と地ほども違う。

 瑛人がそばにいて、色々教えてくれるおかげで少しずつ新しい環境に慣れてきている。


 鞠子まりこと一緒に食事を作る以外の家事はなく、空き時間を自由に過ごせるのが信じられない。

 自然と心に余裕が生まれた。


 不安といえば、毎晩の治癒くらいだ。

 夜、風呂のあとに呪符と墨を手に瑛人の部屋へ行くのが日課となっている。


(でも、まだ思うような効果が出せていない……)


 瑛人は決して苛立ったような言葉をかけてこないし、落胆した様子も見せない。

 だが、物足りなく思っているだろう。

 傷が治る気配は一向にない。

 六花にできるのは、少し痛みを取るだけなのだ。


 今晩も呪符を使ったあとの傷は、まったく変わらず赤い傷口が見えている。

 あせりが胸をつき、六花は口を開いていた。


「申し訳ございません、力足らずで」

「ん? どういうことだ」

「治癒です……。この力を求められてここに来たのに、なかなか結果を出せず……」

「気にするな。痛みがやわらぐだけでもありがたい」


 優しい言葉だったが、それに甘えられる状態ではなかった。


(このままでは……追い出されるかもしれない)


 そうなれば、六花に帰る場所はない。


「あの、瑛人様のことをもっと教えていただけませんか?」


 はだけた浴衣を整えていた瑛人が手を止めた。


「俺のこと……?」

「はい。治癒の術は相手のことをよく知っている方が効果が出るんです」


 相手の心身の状況を把握していると、呪力がきちんと馴染み効果が出やすい。

 だから、六花は治癒対象となるべく話をするようにしていた。

 瑛人とは一緒に住んでいるが、まだ彼のことを何も知らないに等しい。


「お体のことでも、気になることでも何でもいいのですが……」

「なるほどな……」


 瑛人があごに手をあて、考え込む様子になった。


「瑛人様……?」


 不興ふきょうを買ったのかと不安になるほど長い沈黙の末、瑛人が口を開いた。


「いや、白鷺しらさぎ一族のことを思い出してな。おまえ、知っているか?」

「いえ」


 初めて聞く名前だ。


「白鷺一族とは通称で、鷺宮さぎみや家のことだ。治癒の力をもつ一族で、皇族への貢献により、爵位も授けられた名家だ」

「……すごいですね」


 爵位まで授けられる治癒師――どれほどの能力があったのだろうか。


「鷺宮家の治癒の力は女性にのみ受け継がれる。彼女たちは手を当て念じるだけで、どんんな重い病気や怪我も治せたそうだ」

「手当て、ですね」


 母から聞いたことがある。呪符や杖などの道具を使わずとも、手から直接相手に呪力を送り込み、効果を上げられる術があると。


希有けうで貴重な力だ。そして、おまえと同じく術を使うと激しく疲弊する。だから天子てんしのお抱え、つまり専属となった」


 それほどの力であれば、皇族が独占したくなるのは無理もない。

 だが、皇都にいた母からも、他の人からも一度も白鷺一族の名を聞いたことがない。

 なぜだろう。


「話を戻すが、白鷺一族の術師も同じことを言っていたらしい。つまり、治癒の効果を上げるには相手と親密にならなければならないと。心身ともに、な。治癒師は女、天子は男。必然的に不適切な関係になることもある……」


 不安をかきたてられる口ぶりだった。


「それは……恋仲になった、ということですか?」

「ああ。天子に横恋慕した治癒師が、正妻を呪殺しようとして処刑されたんだ」

「え……」


 思わぬ話に六花は驚いた。


「おまえのその呪力も呪符も、治癒以外に使えるのは知ってるな?」

「は、はい……」


 治癒の呪力はわざわいに転ずることも可能だ。治すことができるのならば、逆に傷つけることもできる。鍛錬たんれんが必要だが可能だ。

 あまりに危険すぎるため、呪詛や呪殺は大罪で極刑も有り得る。


「強力な呪詛により、正妻は死の淵をさまよった。呪詛罪、並びに皇族に対する反逆罪に問われ、鷺宮家はお取り潰し。呪詛を行った当人だけでなく、一族の治癒師や関係者は危険と見なされ、島流しや投獄に処された」

「は……?」


 白鷺一族の治癒師全員、つまり親族の女性たちや関係者までもが罰せられたというのか。

 あまりに陰惨な話に息を呑むしかない。

 皇族に対しての大罪とはいえ、徹底している。

 六花はハッとした。


「それは……いつの話ですか?」

「確か、17年前だ」

「……!!」


 母が皇都から赤ん坊の六花を連れて帰ってきたのと同時期だ。


(もしかして……皇都が危険って言っていたのはこの事件があったから?)


 治癒師に対する容赦のない制裁を見た母は、治癒師の道を選んだ六花を皇都に近づけたくないと思ったのかもしれない。

 身内や関係者というだけで、多数の術師が巻き込まれたのだ。


「その事件以来、皇都で治癒師が不足して、需要が一気に増えた。特に俺のような妖魔と戦う者には、喉から手が出るほどほしい力だ」


 瑛人がじっと見つめてきた。


「皇都にいる治癒師は引く手あまたで、ほとんどが誰かのおかかええになっている」

「ああ、それで……」


 わざわざ遠方の六花に声がかかったのか。


「皇都において治癒師は、おまえが思っているよりずっと貴重な存在なんだ」

「そ、そうですか……」

「だから……来てくれて感謝している」


 瑛人が白銀の髪を物憂ものうげにかきあげる。

 きらきらと輝く白い髪を見て、ふと気になったことを六花は尋ねた。


「そういえば、鷺宮家はなぜ白鷺一族と言われるんですか?」

「髪も肌も真っ白な一族だったかららしい。繊細でたおやかで、治癒をする姿が白鷺のようだと聞いた」

「真っ白な髪……」


 外見も特別な一族だったらしい。


「ああ、そしてもう一つ。女児には必ず白にちなんだ名前をつけたらしい」

「白いものの名前、ですか」

「そうだ。雪や雲、鈴蘭や白百合などの花の名前――」


 瑛人が長い睫毛をまたたかせた。


「そういえば、おまえの名もそうだな。六花とは、雪の別名だな」


 六花は『むつのはな』とも呼ばれる、六角形の雪の結晶を意味する。

 なぜか胸がざわめいた。


 白鷺一族がやけに気に掛かる。

 六花は父親が誰か知らない。


(もしや、白鷺一族の男性ということはないだろうか)

(そういえば母が勤めていた名家はどこなのだろう)

(貴族の家としか聞いていないけれど、鷺宮家は爵位を持っていた……)


 心臓がうるさいほど高鳴る。

 突然母が赤ん坊の六花を連れて故郷へと戻ったのは17年前。

 そして、17年前にお取り潰しになった鷺宮家。

 偶然なのだろうか。


「あ、あの白鷺一族の男性に、治癒の力はないのですか?」

「ない。治癒の力を受け継ぐのは女児だけだ」


 きっぱりと言われ、六花の心は揺れた。


(もしかしたら、白鷺一族の血を引いているのかと思ったけれど……)

(そもそも、私は黒い髪に黒い目だし、大した呪力もない)

(手を当てるだけで治癒するようなこともできない)

(考えすぎか……)


 そのとき、瑛人がじっとこちらを探るように見つめていることに気づいた。


「おまえ……隠していることがあるな?」

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