第11話:皇都での買い物

 うっとりと部屋を見回す六花りっかに、瑛人あきとが説明してくれる。


「一階は水回りとこのサンルーム、応接室がある。時間がある時に見て回るといい」

「は、はい」


 ソファを勧められ、六花はおずおずと腰掛けた。

 こんなにもゆったりした朝の時間を過ごすのは久しぶりだった。


「今日はおまえと買い物に出かけようと思う。どうだ?」


 突然の申し出に六花は慌てた。


「か、買い物ですか?」

皇都こうとに住むにあたって、おまえが必要なものを買いそろえたい。あまり持参しなかったようだから」


 六花は顔が火照ほてるのを感じた。

 仮にも貴族の令嬢だというのに、ほとんど着の身着のままで来てしまった。


 叔母たちから持たせられたのは、よそ行きの着物が一枚だけ。

 呪符作りの道具、母の形見のお守り、くしやハンカチなど数少ない持ち物をかき集めても、両手で抱えられるくらいしかなかったのだ。


「おまえは洋服を持っているか?」

「い、いえ……」

「動きやすいし、皇都では若い娘は好んで着ている。揃えておくのも悪くないだろう」

「は、はい……」


 洋服――春美はるみがたまに着ているのを見たことがある。

 ひらひらと揺れるスカートが、とても愛らしかった。

 だが、それを自分が着られるとは思いもしなかった。


「他にも必要なものがあれば、遠慮無く言え。おまえを連れてきたのは俺だ。不自由はさせない」

「……」


 六花はふと、今日が月曜日だと思い出した。


「あの、瑛人様。お仕事は大丈夫なのですか?」

「ああ、言ってなかったか」


 瑛人が胸をトントンと叩く。


「この傷のせいで療養中の身だ。傷が治るまで、しっかり休むようにと厳命されている」


(あ――それで治癒師を探していたの?)


 早く仕事に復帰するため、手を尽くしていたから六花まで辿り着いたのかもしれない。


「もちろん、緊急事態が起これば出動するが……。とりあえず時間はある。おまえの買い物にも付き添える」


 瑛人が立ち上がった。


数寄屋橋すきやばしに出れば何でも揃う。行くぞ、着替えろ」

「は、はい!」


 まさか買い物に連れていってもらえるとは想像もしておらず、六花は慌てて立ち上がった。

 誰が彼を冷酷な人間だと言ったのだろう。


(本当に冷たい方なら、私の持ち物など気遣うはずもない……)

(やっぱり噂なんてあてにならない!)

(でも、母様は皇都は危険な場所だと言っていた……)


 いざ、屋敷を出て皇都の街に出るとなると、胸がドキドキしてきた。

 だが、六花は不思議なほど不安を感じていなかった。

 理由は一つ。

 瑛人がそばにいてくれているからだ。


(自分の目で確かめる――皇都が私にとってどんな場所か)


 そう思うと、胸がわくわくしてきた。

 知らなかったことを一つ一つ自分の目で確かめていくことが、こんなに楽しいとは思わなかった。


 六花は部屋でよそ行きの着物に着替えた。

 たった一枚だけでも、恥ずかしくない着物があるのはありがたい。

 階下に降りていくと、瑛人が玄関ホールで待っていた。


「わあ……」


 洋装の瑛人に、六花は目を見張った。

 軍服の瑛人も目を引いたが、私服はまた違った華やかさがあった。


 濃紺の襟付きシャツにえんじ色のタイ、灰色のベストは光沢のあるしま模様が入っている。

 暗褐色の外套がいとうを羽織る姿は、まさしく貴公子としかいいようがない。

 白銀の髪がよく映えるで立ちに、ただただ目を奪われる。


(この人のどこが……ケダモノなの?)


 窓から差し込む日の光を浴びて輝く白銀の髪がなければ、白狐憑びゃっこつきだということを忘れてしまいそうだ。


「何をぼうっとしている。行くぞ」

「は、はい!」


 六花は慌てて後をついていった。

 初めて乗るタクシーに驚くのも束の間、あっという間に数寄屋橋すきやばしに着いた。


「わあ……」


 道の両脇にはずらり店やビルが建ち並んでいる。

 煉瓦造りの重厚な建物や、ガラス張りのショーウィンドウなど、田舎ではお目にかかれない洒落た店に六花は感嘆した。

 車や馬車がひっきりなしに通り、祭りがあるのかと思うほど人がたくさん歩いている。


「何から見たい?」

「えっ、えっ、あの……わ、わかりません……」


 六花りっかは情けない気持ちでうつむいた。

 いつまでたっても、まるで幼子おさなごのようだ。


「里から出るのは初めてか……。まずは服でも見るか」


 頷くしかできない。

 今後あちこち出かけるのであれば、今着ている着物一枚では心許こころもとない。


「着物がいいか? それとも洋服か?」


 街ゆく人は、和装もいれば洋装もいる。皆、さまざまな格好で堂々と歩いていた。

 与えられた着物をただ着ている自分が何となく惨めで、六花はうつむいた。

 この最新鋭の街で、何を着ればいいか全然わからない。


「どちらも買っておくか」


 無言の六花に、瑛人があっさり結論を出す。


「なら、デパートで見繕みつくろってもらうのがいいな」


 見上げるような大きい建物に、瑛人はさっさと入っていく。


(これがデパート……!)


 店に入ると、カバンや傘、化粧品などがずらりと並べられているのが目に入った。

 情報量の多さにクラクラする。


 瑛人は二階に上がると、店員の女性にてきぱきと話しかける。

 心得こころえた店員が何着か服を持ってきてくれた。


「お客様でしたら、優しい色味のものがお似合いかしら。好みのお色はありますか?」

「……いえっ、何でも……」


 着ているものは全部お下がりだ。

 ずっと貧しく暮らしていて、服の好みなど考えたこともない。


「では、お任せくださいね」


 女店員は馬鹿にすることもなく、さっさと持ってきた服を当てる。


「この水色のワンピースだと、お肌の白さが映えますね。桜色も素敵。お客様の雰囲気にとても馴染んでいますわ。白のブラウスと紺のスカートはあると便利ですよ」

「じゃあ、それを全部くれ。あと、着物も見たい」

「はい、すぐお持ちします」


 六花が試着をしている間に、着物が三枚用意されていた。

 合わせて帯や小物、履き物まで全部揃えられている。


「お洋服は合いましたでしょうか?」

「え、ええ、はい……」


 さすが本職の見立てと言うべきか、どの服も六花の体にぴったりと合った。


「では、すべて送り届けてくれ」

「はい。火ノ宮さま。お買い上げありがとうございます」


 店員は瑛人のことを知っているようで、戸惑うことなく頭を下げていた。

 夢うつつの状態でデパートを出た六花は、ようやく事態を把握した。


「あ、あの、あんなにたくさん買っていただいて……!」

「貴族の令嬢としては最低限だろう。少しずつ揃えていったらいい。そのうち、店にも慣れるだろう」


 どうやら、初めての場所に困惑していると思われたらしい。


「私、あの、お代金……」

「俺が払う。仮にも婚約者として来てもらっているのだから」


 あっさりと手を振られる。


(公爵家ってやっぱりすごいんだ……)


 服のことなどよくわからない自分でさえ、生地や仕立ての良さが明らかに違うとわかった。


 爵位持ちとはいえ、実家である子爵家は汲々きゅうきゅうしていると夏恵がよく愚痴っていた。

 お金に余裕がないため自分は皇都に行けず、飛び抜けて優秀だった姉だけが特別に行かせてもらえたと、悔しそうに話していた。


(何もかもが違う……。現実味がないほど……)


 六花は夢の中にいるような気分で、瑛人の後を歩いた。

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