第10話:初めての朝

 翌朝――六花りっかが目覚めたとき、窓から日の光が明るく差し込んでいた。


「しまった!」


 六花は慌てて起き上がる。

 まだ朝陽あさひがのぼる前に起きて、庭掃除を始めるのが六花のつとめだった。

 当然のように瑛人あきとの家でも、早起きして掃除をするともりだった。


(すごく深く寝入ってしまった!)


 慌てて着物に着替え、急いで階下へと降りる。

 話し声がする部屋へ入ると、そこは食堂で瑛人が席についていた。


「寝坊してしまいました! 申し訳ございません!」


 瑛人の前には既に朝食が並んでいる。


「別に構わない。そろそろ祥吾しょうごが起こそうか、と言っていたくらいだ」

「六花様、こちらの席へどうぞ」


 昨日と同じく、執事服を着た祥吾が椅子を引いてくれる。


「あ、ありがとうございます」


 目の前に箸が置かれている。

 てきぱきと祥吾が給仕をしてくれるのを、六花は落ち着かない気分で見つめた。

 たっぷりした魚の煮付け、湯気の立つ味噌汁、小松菜と揚げの煮浸し、かぶの漬物が置かれる。


「口に合うといいですが……」

「え、ええ、あの、すいません。本当なら私が作らなくちゃいけないのに……」

「疲れが出たのだろう。無理をするな」


 味噌汁を口に運びながら瑛人が言う。


「食事の支度したく鞠子まりこがしてくれる」

「ま、鞠子さん……?」

「公爵家から連れてきた凄腕の女中ですよ。若様のことは生まれたときから世話をされていて――」

「若様と呼ぶな、と言ってるだろう祥吾」


 もりもりと魚の煮付けを食べながら瑛人が苦い顔になる。


「申し訳ございません、若様」

「おまえ、わざとやっているだろ」


 祥吾が口の端に笑みを浮かべ、さっと湯飲みを出してくる。


「ほうじ茶です」

「ど、どうも……」


 後ろめたい気持ちでいっぱいだった六花だったが、ふたりのくだけた雰囲気や美味しそうに食べる瑛人の姿に落ち着いてきた。

 口にしたわかめと豆腐の味噌汁も、魚も、野菜もすべてが目を見張るほど美味しい。


「どうだ、ウチの朝食は」

「はっ、はい、最高です!」


 六花はみっともないと思いながらも、食べる手が止まらなかった。


「そうか。明日の朝食は何がいい? 好きなものを言え。鞠子に伝える」

「好きなもの……」


 六花はごくりと口の中のご飯を飲み下した。

 子どもの頃から、いつもお腹をすかせていた。

 ギリギリの家計でやりくりしていた母に、食べたいものを言うことはできなかった。

 叔母一家と暮らし始めて、粗末な食事を与えられるままかきこんだ。

 そんな六花に、食べたいものと言われても思いつくわけもなかった。


「な、なんでも大丈夫です……」


 ようやく絞り出した答えに、瑛人の眉が寄った。

 どうやら不興を買ったようだ。


「そうか。明日は洋食を頼むつもりだが……大丈夫か?」

「は、はい!」

「苦手なものはあるか?」

「いえ、なんでも――大丈夫です」


 いつもお腹をすかせていた。好き嫌いを言える環境ではなかった。


(みっともない……)


 まるでがっつく野良犬のような自分に嫌悪感がつのる。

 綺麗に朝食を食べ終えると、六花は手を合わせた。


「ご、ご馳走さまでした」

「お粗末さまでした」


 女性の声に、六花はハッと振り返った。

 台所から、割烹着姿の老女が歩み寄ってくる。


「口に合いましたかしら。全部食べていただけてよかった」


 小柄な老女は、ぱっと周囲が明るくなるような笑顔の持ち主だった。

 六花も思わずつられて笑顔になる。


「お、美味しかったです。ありがとうございます」


 掛け値なしの本音だった。

 ふっくら炊き上がったつやつやの白米など、いつぶりだろう。

 脂がたっぷりのった赤魚、野菜の煮物、漬物もどれも驚くほど美味しかった。


「鞠子の腕前は料理人に引けをとらない。教えてもらうといい」

「まあまあ、坊ちゃまったら」

「坊ちゃまはよせ、鞠子」


 瑛人が渋い顔になるが、本気で怒ってはいないのがやわらかい口調でわかる。


「鞠子はずっと実家で働いてくれていたのだが、今は無理を言ってこちらに通ってきてもらっているんだ」

「瑛人さまのお怪我が心配ですからね。しっかり栄養ととってもらわないと!」

「鞠子の飯なら、いくらでも食える」

「あらお上手ですこと! 張り切ってしまうじゃないですか!」


 親しみを込めた会話に、六花は温かい気持ちになった。

 叔母の家では、使用人と主人の間に明確な線引きがあり、いつもピリピリした空気がただよっていた。


「すごいですね……こんな美味しいご飯を作れるなんて……」

「よろしかったらいつでもお教えしますよ。でも、ご令嬢に失礼かしら」

「いえっ、そんなっ!」


 六花は慌てて手を振った。


「ご迷惑でなければ、その……教えてください」


 あんな美味しいご飯を作ってみたい。心からそう思ったのだ。


「では、よければ明日の朝から一緒に」

「は、はい……!」


 鞠子の笑顔にホッとする。

 掃除や洗濯ばかりさせれていて、炊事は恥ずかしくなるほど何もできない。


「じゃ、じゃあ、洗い物を――」

「それは鞠子に任せて、こっちに来い。六花」

「は、はい」


 瑛人の後に続いて、六花は隣の部屋に入った。


「わ……あ」


 そこは燦々さんさんと光が差し込む、サンルームだった。

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