第7話:六花の決断

 瑛人あきとの目が六花りっかをまっすぐ射すくめる。


「おまえの母は皇都こうとにいたのか? 何があった」

「話してもらえませんでした……。ただ、絶対に行ってはいけないと繰り返し……」


 考え込むように、瑛人があごを撫でた。


「おまえ自身は皇都に行ったことがないんだな?」

「はい」

「理由もわからず恐れている、ということか」

「は、はい……」


 母の言葉から、漠然と怖い所だと思っていた。

 だが、改めて考えると何が怖いのかよくわかっていない。


「人の言葉を鵜呑うのみにして、自分の生き方を決めるのか」


 辛辣しんらつな一言が、六花の胸に突き刺さった。

 愚かだと思われているのが、言外げんがいに伝わってくる。

 だが、六花はぐっとこらえた。


「母の……母の言葉なんです」


 金色の目が細められる。

 六花はまともに見ることができず、うつむいた。


「母は……私のことをいつも一番に考えてくれていました。私を大事に思って、守ろうとしてくれました。そんな母の言葉なんです……」

「馬鹿じゃないの! 皇都は国の中心。何もかもが最高の場所なのに!」


 春美があざけり笑う。


「黙れ。口を挟むな」


 声を荒げたわけではない。

 だが、しなやかな鞭のごとき瑛人の一言に、春美は押し黙った。


「顔を上げろ、六花」


 名前を呼び捨てにされ、六花はハッと顔を上げた。


「六花、でいいな。おまえは婚約者なのだから」

「はい……」


 静かに見つめる眼差しに、六花はただただ圧倒された。


「なるほどな。信頼にる者の忠告に従おうとしたわけだ、おまえは」


 六花は息もできず、ただ眼前の美しい婚約者を見つめた。


「だが、それでいいのか」

「え……?」

「おまえがここに残るべき理由が、他人の言葉以外に何かあるのか」

「いいえ」


 六花は強く首を振った。

 この里は母の故郷だが、自分は受け入れられなかった。

 向けられる侮蔑の視線や、つらい仕打ちが脳裏をよぎる。


「俺が嫌か」


 その問いに、室内に緊張が走る。

 六花は恐れおののき、畳に額をつけた。


「い、いいえ……私にはもったいない方だと……」


 ぐっと顎をつかまれ、強引に上を向かされる。

 金色の目はわずかな苛立ちをにじませている。


「そんな上辺うわべだけの言葉などいらん! 本当に思ったことを言え!」

「若様、女性に対してそんな口のき方をしてはなりません。怯えてらっしゃいますよ」


 皆の視線がハッと部屋の片隅に集まる。

 執事が着るような黒い洋装の青年が、静かに微笑んでいた。

 気配を殺しながら常に瑛人のそばにいたこの青年は、どうやら瑛人の側仕そばづかえのようだ。


「俺と目も合わせないからだ!」

「恐れながら、そんな剣幕では男性でも怯えるかと」


 からかうような口調に、瑛人がぐっと詰まる。


祥吾しょうご、少し黙っていろ」

「承知いたしました。出過ぎた真似をしました」


 祥吾と呼ばれた青年は細い目を更に細め、口を閉じた。

周囲の人間はおろおろするばかりで、誰も仲立ちに入ろうともしない。

 瑛人が再び六花の方を見る。


「言え! 俺をどう思ってる!」

「わ、わかりません……。まだ貴方のことを何も知らない……」


 なんとか口に出すと、ようやく瑛人は手を離した。


「言えるではないか。自分の思ったことを」

「……」

「おまえが危険だと言う皇都には、大勢の人間が暮らしている。妖魔との境界があやふやな田舎よりも、よっぽど安全だ」


 ぐっと顔を近づけてくる。


「おまえは都のことも、俺のことも何も知らない。そうだな?」


 六花はうなずくしかなかった。


「だったら、おまえの目でしかと確かめろ。それだけが真実だ。それ以外意味はない!」


 稲妻に打たれた気がした。


(私が見たもの……)


 眼前がんぜんのこの世のものとは思えない美しい青年を、春美はなんと言っていた?

 血まみれのケダモノだと嘲笑あざわらった。


 だが、六花の目に映る瑛人は、玲瓏れいろうで誇り高い白銀の髪を持つ青年だ。

 春美から聞いた言葉に恐れおののいた自分がおかしくなるほど、あまりにも事実と乖離かいりしている。


「他人の言葉ではなく、自分の目で見たものだけが真実……」

「そうだ、わかっているじゃないか」


 フッと瑛人の口元が緩む。

 微笑んだのだ――。

ただそれだけで、六花は心をわしづかみにされた。


「正しくなくても、おろかでも、全然構わない。自分で感じ、考え、選び取ったものなら」


 強い意志を秘めた金色の目から目が離せない。


「それが『自分の人生を生きる』、ということだろう?」


 きっと彼の言葉は正しいのだ。

 だが――大好きだった母の必死で訴える言葉の呪縛が解き放てない。


「まだ怖いか」


 六花はうなだれた。

 あれほど母が必死で訴えかけてきたのだ。知らなくともわからなくとも、何かあるに違いないという漠然とした不安が消せない。


「案ずるな」


 肩にそっと手が置かれた。

 思いがけないその温かさに、六花は思わず顔を上げた。

 驚くほど優しい目が、六花をまっすぐる。


「おまえに危険が及んだときは、必ず俺が助ける」


 自信に満ちあふれた声だった。

 心からそう言っていると痛いほど伝わってくる。


「何が恐ろしいのかわからないのに、『皇都に行かない、結婚はしない』では俺も納得できん。俺と皇都に住んでみて嫌だと言うのならば大人しく諦めよう」

「……!」


(本当にこの人は……噂とは全然違う)


 舌鋒ぜっぽう鋭い言い方だが率直で、これほど六花の意志を問い、尊重してくれようとした人はいなかった。


「俺はおまえを皇都に連れていく。いいな?」

「はい……!」


 六花は自然と頷いていた。

 自分の心に素直に従ってみよう――そう思えたのだ。


「いい返事だ」


 再び微笑んだ瑛人に、心がとろけそうになる。

 それほど、温かみのある笑顔だった。

 母以外の人から向けられたことのない、一点の曇りもない笑み。


(私……行くんだ。瑛人様の婚約者として皇都へ――)


 それは、住む場所も食事も着るものも何もかも、すべて人の言いなりになっていた六花が選び取った大きな決断だった。


「俺は立花をめとるため、皇都に連れていく! 文句のある者はいないな!?」


 凜とした瑛人の宣言に、否を唱える者などいない。

 見上げる六花に、瑛人が微笑んでみせる。


「怯えることなど何もない」


 まばゆく輝く金色の目が、戸惑う六花を映す。


「おまえには俺がついている! 皇都最強の男がな!」


 灰色の雲に包まれた空が、一瞬にして晴れ上がった気がした。

 晴れやかな笑顔から、目が離せない。

 この日、白銀色に輝く髪をもつ、金色の目の貴公子が――婚約者となった。

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