第5話:六花の治癒

 食事が終わると、瑛人あきと六花りっかの方を向いた。


「では、治癒の術をみせてほしい。倉品くらしな殿、部屋を借りられるか」

「は、はいっ。別室をご用意します!」


 予想したとおりの流れだ。

 いそいそと幸造こうぞう夏恵なつえが瑛人を奥の座敷へと案内した。


 座敷の中央に置かれた文机ふづくえの上には、呪符と墨が用意されている。

 瑛人が音もなく文机の前にひざまずいた。


「ほう……これがおまえの呪符か」


 瑛人が珍しそうに呪符を手に取る。

 六花の呪符の特徴は、花弁かべんが六枚の花が描かれていることだ。


「私の力が込めやすいよう、名前を表す花の印を押しております」


 一口に”呪符”といっても、使う道具は人それぞれ違う。

 自分に合った最も呪力が載せやすいものを選んで使うのだ。


「なるほど、花びらが六つの花か……」


 さらりと白銀の髪が揺れるのを見るだけで、心臓の音がうるさくなる。

 ただ見つめられ、声をかけられただけで声がうわずり、手が震えてしまう。


「で、どうやるのだ?」

「まずは傷を見せてください」


 治癒はその詳細がわかればわかるほど効果が上げられる。


「わかった。本当に治してもらいたい傷は胸部のものだが、まずは腕の傷でやる。大した傷ではないが、痛みはある」

「わかりました」


 お試し、ということだろう。

 上着を脱いだ瑛人が袖の金ボタンを外しシャツをまくると、腕にうっすら赤い傷があった。


 六花は丹念に傷を見つめた。

 術の対象を記憶に刻むためだ。

 確かに軽傷ではあったが、妖魔から受けた傷は執拗しつように痛みが続くのが常だ。


「では、改めてお名前とお年をお願いします」

「火ノ宮瑛人、二十二歳」


 瑛人の澄んだ声を脳裏に留める。

 術の効果を上げるために、できるだけ患者についての情報を取り込む必要がある。

 患者の外見、声、人柄、経歴――あらゆる情報を集約させ、筆に呪力をこめて術式を書くのだ。


 瑛人がじっと興味深げにこちらを見つめていることに気づき、六花は思わず息を止めた。

 唯一、瑛人に獣めいた要素があるとしたら、銀糸のような長い睫毛が縁取る金色の瞳だろう。

 あまりにも美しいのに、どこか野性味を帯びていて人間のものとは思えない。


(なんて……綺麗な目なんだろう。金色の目なんて初めて見た……)


 心が揺れ、集めた呪力が霧散むさんする。


(しっかり集中しないと! 見とれていてはダメ。しっかり自分の術の中に落とし込まないと……)


 治癒の力がないと判断されれば、きっと見限られる。

 破談になれば、とらぬ狸の皮算用をしている叔母たちにどんな折檻せっかんをされるか想像するだけで恐ろしい。


 軽く息を吸うと、筆を走らせる。

 名前、年齢、傷を癒やすための呪言じゅごんを書き上げると、そっと息を吹きかける。


「こちらになります」


 両手で呪符を持ち、瑛人に手渡す。

 瑛人が呪符を受け取ると、そっと腕の傷の上に置いた。

 ふっと呪符が浮いたかと思うと、ひらりと落ちていく。

 役目を終えた呪符を拾うと、ドキドキしながら六花は瑛人を見つめた。


「うん……少し痛みが引いたな」


 瑛人の言葉に安堵と落胆を覚える。


(やっぱり……この程度しか使えない)


 瑛人の腕には変わらず傷が残っている。

 呪符の効能が高ければ、痛みは完全になくなるだけでなく、傷自体も跡形なく消えると聞く。

 だが、六花の呪符は一度もそんな効果が出たことがない。


 もともと呪力もさほどなく、しかも初対面の相手なので、まだ痛みがやわらいだだけマシなのかもしれない。

 夏恵たちが満足げに頷く。


「このとおり、六花は治癒ができます。貴重ですよ!」

「うむ。間違いない」


 瑛人が真正面から六花を見つめた。


「火ノ宮公爵家の長男、瑛人だ。氷室六花嬢に結婚を申し込む」


 何の迷いもない口ぶりに、六花は息を呑んだ。


(結婚を……申し込まれた)

(今日、初めて会った人に……)


 貴族の縁談とはそういうものだ、と頭では理解していた。

 だが、流されるままでまったく覚悟ができていなかった。


(本当に結婚するの? よく知らない、白狐憑きと言われる人と――)


 そして六花には気がかりなことがあった。


「あ、あの、結婚ということは――皇都に行くと言うことでしょうか?」


 何を今更、というような空気が流れ、瑛人が怪訝けげんそうな表情になる。


「ああ。俺の家は皇都にある。当然、妻となるおまえにも共に暮らしてもらう」

「……」

「何をもったいぶっているの? 皇都に住めるのよ!?」


 一足早く皇都に住むことになる六花に、春美は苛立ちを隠さなかった。


「こんな田舎より、絶対にいいでしょ!!」


 ――皇都は危険なところよ。絶対に行ってはダメ。


 何よりも六花を大事にしていた母の言葉が浮かぶ。


「わ、私は……皇都へ行けません」


 六花の言葉に、場がしん、と静まり返った。

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