第3話:追い詰められて

「さあ、大広間を開けて! 宴の準備をするわよ!」


 翌日、叔母の夏恵なつえが張り切って使用人たちにげきを飛ばしていた。

 使用人たちが大忙しで宴の準備をしているのを、六花はぼんやりと見つめた。


 何もかもが突然すぎて、現実を受け入れられない。

 屋敷の片隅で座っている六花のもとに、上機嫌の夏恵がやってきた。


「ふふ。ようやく運が向いてきたよ。朝倉あさくら家なんか目じゃない結納金でしょうね! おまえなんかを引き取って育ててやったんだ! これでようやく帳尻が合うわ!」


 露骨な憎悪をぶつけられ、六花りっかは声も出せない。


「姉さんは――里きっての神童だとチヤホヤされて……地味で面白みもない女なのに、皇都こうとの学校に行かせてもらえて、好き勝手して……挙げ句に子どもだけ連れて帰るなんて! その後始末を押しつけられたんだ、私は!」


 これまでため込んでいたものをぶちまけるように、夏恵がぎらぎらとした目を向けてくる。


「私だって皇都に行かせてもらえていれば――きっと貴族の御曹司おんぞうしと……。こんな里暮らしじゃなくて、もっと……」


 夏恵が声をつまらせる。


「だから、春美はるみには絶対完璧な結婚をさせる。おまえの結納金は、あの子の学費と花嫁準備金にあてるから」


 背筋が冷たくなるような笑みだった。


(こんなにも憎まれていたなんて……)


 仮にも叔母と姪だ。もっとも近しい親族だというのに、六花は誰よりも憎まれているのを感じた。

 心が暗く沈み込んでいく。

 ひとりぼっちだと、孤独だと、痛感する。

 いきなり肩をつかまれ、六花はハッと顔を上げた。


「いいかい? あんたが父無し子、つまり日陰者だってことは秘密にするんだよ! 公爵家に嫁ぐんだ! 血筋も大事だからね! あんたは子爵家の血を引く令嬢で、両親ともに病死! いいね!?」


 まくしたてる叔母の剣幕に、ただ頷くしかできない。

 すべてが六花のあずかり知らぬところで、疾風しっぷうのごとく進んでいく。


「で、でも私、皇都へは行けません。母から――」


 パン!!

 いきなり頬を張られ、六花はよろめいた。


「おまえに選択権などないんだよ!」


 床に倒れた六花を、夏恵がほうきで容赦なく打擲ちょうちゃくした。

 バシッ!! バシッ!!

 打ちつける叔母の手は止まるどころか、どんどん勢いを増す。


「お、叔母様、やめてください!」


 頭に背に腰に足に――雨のように降ってくる殴打おうだに六花は必死に体を丸めた。


「私の気も知らないで! 恩知らずなこと言うな!」


 これまでの鬱憤うっぷんを晴らすかのように夏恵はバシバシと打ち続ける。


「おまえは嫁に行くんだ! 嫌だと言うなら、皇都へ行ってから逃げ出せばいい! 絶対に婚約はしてもらう! いいね!?」


 殺される――そんな危機感を覚えるほどの勢いだ。


「は、はい……わかりました! だからやめてください……!」

「ったく、強情ごうじょうなんだから! 姉さんにそっくりだよ!」


 吐き捨てるように夏恵が言い、ようやく手を止めた。


「うっ……」


 起き上がろうとすると、ぼたぼたと涙がこぼれ落ちる。

 体のあちこちが痛い。


 だが、痛みよりも無力感が六花を打ちのめしていた。

 結婚相手を選ぶことすらできない。

 行きたくない場所に行かなくてはならない。


(お母さん……)


 母の遺言は一つも叶えることができそうになかった。

 ようやく起き上がった六花に、薄紙に包まれた着物が押しつけられる。


「これを着なさい!」

「えっ……」

「おまえにはもったいない品だけれどね、氷室ひむろ家だって爵位持ちなんだから恥ずかしくないものもらってきたよ」


 父のいない六花は、母の出自である氷室を名乗っている。

 氷室は子爵家とは名ばかりのカツカツの生活をしているらしいが、それでも貴族の矜持きょうじは失っていないらしい。


「とにかく失礼のないように! そうそう、ちゃんと治癒の準備をしておくんだよ!

おまえの価値はそれだけなんだから、披露できるようにしておきなさい!」


 六花は無言でうなだれた。

 離れから呪符の紙と墨を取りに行こうと立ち上がったとき、春美が部屋に入ってきた。


「おまえの縁談はもう里中の噂になっているわ。やはり有名な方のようね。火ノひのみや瑛人あきと様は」

「火ノ宮瑛人……」


 そういえば結婚相手の名前も知らされていなかった。


「22歳。亮介りょうすけ様と同い年ね。軍学校を首席で卒業後、対妖魔特別部隊、一番隊に所属。今や隊長ですって。素晴らしい経歴ね」


 春美が口に手を当て、クスクスと笑う。


「これで白狐びゃっこ憑きでさえなかったらねえ。最高の縁談だったでしょうに」

「……」


 白狐憑き――いわゆる憑きもの筋とは、はるか昔に妖魔と何らかの関わりがあった血筋のことだ。

 六花も母の本で知識だけはある。


 妖魔とは、『この世とあの世、此岸しがん彼岸ひがん狭間はざまにうごめく人ならざる異形、もしくは霊的なもの』とざっくり定義されており、そのじつ多種多様だ。

 人にあだなす妖魔は討伐対象だが、中には神通力を持ち神格化されている白狐のような存在もいる。


 白狐は妖魔の中でも最高位とされており、そのぶん血筋に顕現することがまれだ。

 白狐憑きは呪力が並外れて高くなるが、そのぶん影響が大きく制御するのが困難であること、また獣の姿を取ることなどから、社会への適応が課題とされていた。


「人間なのに、獣の耳や尻尾があるんですって! きっと毛むくじゃらで牙もあるでしょうね。人の言葉はわかるのかしら? 妖魔殺しに耽溺たんできしているらしいし恐ろしいわね」


 白い獣と混じり合った人間の姿を想像し、六花はぶるりと体を震わせた。

 いったい、どんな異形なのだろう。

 そんな男のもとへ嫁入りをする――今もまだ信じられない。


「公爵家の長男、なのに縁談が今までまとまらなかったのもわかるわよね! しかも女嫌いなんですって! 花嫁候補を次々と放逐ほうちくし、近づくことさえできなかった婚約者もいるらしいわよ。とても冷酷で暴力的なんでしょうね。私だったら、いくら次期公といえども絶対にお断りするれど!」


 春美が嬉々ききとして語る。


「でも、見世物としては最高ね! 獣の男なんて初めて! 私の友達も宴を楽しみにしてるの! じゃあ、さっさと着替えてケダモノを迎える準備をしなさいな」


 六花に拒否権はない。

 震える手で六花は着物にそでを通した。

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