第2話:恐ろしい縁談

「あらあ、六花りっか。相変わらず辛気くさい顔ね!」

春美はるみ姉様……」


 池のそばを通ると、鯉に餌をやっていた春美が声をかけてきた。

 春美は一歳年上の六花の従姉だ。


 叔母は一人娘の春美を目に入れても痛くないほど可愛がっている。

 今日も普段着とは思えない豪奢ごうしゃな着物を身にまとっていた。


「ああ、この着物? お母様が新調してくださったのよ。来月には皇都こうとで暮らすから、いいものを、ってね!」


 春美が勝ち誇ったように微笑む。

 夏恵譲りの美貌を誇る春美は、18歳という適齢期の令嬢ということもあり、縁談が降るようにあった。

 だが、すべて夏恵が却下していた。


 春美は皇都の貴族に嫁ぐべき。最上の結婚相手が娘にはふさわしい。

 叔母はいつもうっとりと夢を口にする。


 春美を皇都の名家にとつがせることは、とうとう里から出ることのなかった夏恵の悲願でもあった。

 花嫁修業のため、春美は春から皇都へ進学が決まっている。


「皇都はデパートや商店が建ち並んで、夜もずっと明るいんですって! 路面電車が走っていて、洋装の人たちも多くて、華やかなカフェやパーティーで素敵な方々と交流するの。ふふ、羨ましい?」

「いえ……」


 六花は静かに首を振った。本心だった。


 ――皇都に行ってはダメよ、六花。あそこは恐ろしいところなの。


 物心ものごころついたときから、ずっと母に言われ続けていた。

 才女として名家で働いていた母にいったい何があったのか――結局話してもらえなかった。

 だが、六花の心に皇都に対する不安はしっかり植え付けられていた。


「そうそう、あんたは亮介りょうすけ様から申し出あったんでしょ?」


 触れられたくない話題に、六花は冷水を浴びせかけられた気分になった。


「いいじゃない。日陰者のあんたをもらってくれるなんて物好き、他にいないわよ!」


 嘲笑う声が六花を容赦なく打つ。

 この里で一番の爵位を持つ、朝倉あさくら伯爵家。

 その長男である亮介から、六花が18歳になったらめかけにしたいとの申し出があった。


 ずっと六花を厄介払やっかいばらいをしたがっていた叔母たちは、渡りに船とばかりに申し出を受けろと詰め寄ってきた。

 なにせ、目障めざわりな六花を屋敷から追い出せるだけではなく、毎月の手当ても入ってくるのだ。


「じゃあ、私はお琴があるから」


 髪につけた花飾りを揺らせ、春美が意気揚々と立ち去る。

 六花は池に映る自分を見た。

 袖口がやぶけてきた粗末な着物。

 後ろでひとまとめにしただけの艶のない髪。

 化粧っ気のない、貧相な少女が暗い表情をして見返してくる。


(こんな私じゃ……男性から見向きもされないだろう)

(幸せな結婚なんて夢のまた夢だ)


 母が何度も六花に言い聞かせていた言葉は、もう一つあった。


 ――六花、幸せな結婚をして。あなたを大事にして愛してくれる人と結婚するのよ。


 それは、自分が叶えられなかった夢だったのだろうか。


 ――皇都に行ってはいけない。

 ――幸せな結婚をして。


 母の懇願するような言葉は、遺言として六花の胸にしかと刻まれていた。

 だが、二つ目はとても叶えられそうにない。

 日陰者と嘲笑われている六花には、それは遠い夢だった。


         *


 朝倉邸は小径こみちを抜けた奥にそびえたつ。この里では珍しい洋館だ。

 青空のもと、真っ白な洋館は日の光を浴びて眩しいほど輝いている。


「亮介様……呪符を届けに参りました」


 玄関口に現れた亮介に、六花はさっと呪符を差し出した。

 夏恵や春美と同じく、亮介も皇都への憧れが強い若者だ。

 今日も白いシャツに紺のベストとズボンという洋装だ。

 六花が手を引っ込めるよりも早く、ぐっとつかまれる。


「亮介様……?」


 伸びた黒髪を後ろになでつけた亮介は、唇を歪めて笑みを作った。


「なぜらす。例の話、考えてくれたか?」

「あの……」

「悪くないだろう? 次期伯爵の妾になるなんて」


 ぐいっと乱暴に引き寄せられ、六花は悲鳴を押し殺した。


「今日こそは返事をもらうぞ」


 亮介の息が顔にかかった瞬間、ぞわりと寒気が走った。


(好きでもない人の妾なんて、絶対に嫌だ)


 亮介は見た目も悪くないし何より次期伯爵ということもあり、里では彼に憧れる女の子も少なくなかった。


 だが、六花は昔から他者に対する思いやりに欠ける性質が苦手だった。

 自分をなめ回すように見る蛇のような目も嫌悪感がある。

 妾の話も断ったのだが、六花の意志など誰も気にしていないようでまったく聞き入れられない。


「申し訳ありませんが……お断りします」


 改めて返事をすると、みるみるうちに亮介の顔が引きつった。


「何様だ、おまえ。おまえみたいな日陰者の女! 父親がどこの誰かもわからない女、誰ももらってくれんぞ!」


 六花はうつむいて、じっと罵声に耐える。


「それに、近いうちに大金が入る予定があるんだ! 俺の妾になれば、贅沢ぜいたくができるぞ。倉品家にも恩返しができる」


 手に熱がこもり、荒い息が顔にかかった。

 六花は必死で体をよじり、なんとか亮介の手を振り払った。


「……呪符、確かにお渡ししましたから!」


 逃げるように屋敷の敷地から出る。

 情けなくて涙が出る。


(いつまで断れるんだろう……)


 叔母の家を出ることも考えたが、倉品家の庇護ひごから出た六花に居場所はないだろう。

 あっという間に飢えるのは目に見えている。

 とぼとぼと家に帰った六花は、一息つく間もなく夏恵に呼び出された。


「叔母様、どうかしましたか」

「六花! 大変よ!」


 興奮した夏恵が、六花の肩に手をかける。


「な、何事ですか……?」

「あんたに縁談が来たのよ!」

「縁談……?」

「なんと皇都の公爵様からだよ! わかる? 公爵! 最も高い爵位の方から! ああ、結納金もすごい額だろうね!」


 叔母が興奮したように宙をあおぐ。


「な、なんでそんなすごい方から、私なんかに……」

「おまえの治癒だよ! 治癒の力を持つ令嬢を探していたんだってさ! 妖魔退治をなさっている軍のお偉いさんらしいよ! 妖魔の傷には呪術の治癒が効くから」

「で、でも公爵家なんて……」


 もちろん、子爵家とは同じ貴族とはいえ格も資産も雲泥うんでいの差だ。


「ふふ……浮かれないほうがいいわよ、六花」


 夏恵の背後から現れた春美が、毒を含んだ笑みを浮かべる。


「公爵家って言ってもね……あんたの縁談の相手は、白狐びゃっこきの血まみれ剣士様よ!」


 春美が高らかに言う。


「え?」

「ケダモノ憑きの殺戮魔さつりくま哄笑こうしょうしながら剣を振るって妖魔を斬りまくるんですって! 楽しげに返り血を浴びる姿はまさしく獣。皇都じゃ有名らしいわよ。おぞましいと、恐れられているんですって!」


 体が震えてくる。


「ケダモノの花嫁! 日陰者にぴったりね!」


 ――ねえ、六花。幸せな結婚をしてね。あなたを大事にしてくれる人と――。


 母の声が遠のいていく。


「明日、おまえに会いに来るんだって! 盛大に宴を開いてもてなさないと! 大広間を開けなきゃね! 近隣の人も呼んで――何せ、次期公爵様がいらっしゃるんだから!」


 大はしゃぎの夏恵の声と春美の嘲笑が波のように押し寄せ、六花はふらつきを必死でこらえるので精一杯だった。

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