第9話 ヘタレ男子、翻弄される。

 翌日の月曜。一学期最後の週。その早朝。

 登校してすぐ、眞砂をメールで呼び出した。

 場所はあの校庭のベンチ。

 電話でもメールでもなく、直接文句が言いたかった。

 ほんと、あいつ何してくれとんじゃ。

 ベンチに座って待っていると、ほどなくして近づく人の気配。

 顔を上げれば、夏の朝の陽光を浴びて、背の高い女がこちらへ歩いて来るのが見える。

「よっ、おはよ」

 眞砂は、黒い髪をたなびかせ、こちらへ向かって傲然と闊歩してきた。

 あと二、三歩という距離まで来たところで、じろりとにらんで声をかける。

「おい、おまえ、おれのスマホになんか変な小細工したな」

 でかい尻が、隣に落ちる。

 ……やけに近いな。

「んー? いきなりなによ」

「待ち受けがおまえの自画撮りになってたぞ。この前、スマホ取ったときにやりやがったな」

「あー、それね。ははっ、ちょっとしたいたずらだよ」

 くそっ、やっぱりか。

「おかげでとんでもないことになったぞ。どうしてくれるんだ」

「へ? なんでそんな怒ってんの」

 おれはそのいたずらのせいで、合歓の怒りを大いに買ったことを話した。

「ありゃ、ずいぶんと短気な彼女さんだ。そいつは悪いことしたね。いやでもさ、どうせすぐ気づくと思ったんだよ。その程度のいたずらじゃないか。……まさかあんた、彼女に会うまでずっとスマホ使わなかったの?」

 そんなことないわ。必需品だわ。毎日使ってるわ。

「使ってたって気づけるかよ。あんな魔法じみたこと」

「魔法って大げさな。待ち受けの画像、変えただけなのに」

「待ち受けの画面を変えただけ、だとぉ?」

 思わず語気が荒くなった。

 眞砂はぎょっとした様子で目を見開き、

 そして目を逸らし、ちょっとばつが悪そうな表情になった。

 が、それはほんの一瞬。またすぐ、もとの気位の高そうな表情に戻る。

「なんだよ。変えたけど、だからなに? ほかにもあたし、なんかしたって言うの?」

「単に変えただけ、なんだな? 本当に」

「う、まあ……そだよ」

 とぼけてるのか、どうなのか。

 何が起こったのかを説明して、とりあえず反応を見てみたい。

「待ち受けの画面は変わってなかった」

「? あれ、あたし、変えたよ。あんたもさっき自分で言ってたじゃん」

「始めは変わってなかった。あとから急に変わったんだ」

「……んん? あんたが言ってること、よく分かんない」

 おれは靴のつま先で土を削るようにして、地面をがつがつと蹴った。

「なんか、その、妙なんだよ」

「みょう?」

「ああ、妙だ」

「みょう、か」

「そう、妙だ。だから変な小細工したんじゃないかって聞いてるんだ」

 眞砂はおれをからかうつもりか、口元でみょうみょうとつぶやいた。

 みょう、みょう。

 は……、腹立つ……っ。

「待ち受けの画像はもとのまんまだったんだ。変わってなかったんだ。それがどーゆーわけか彼女の手に渡ってから、おまえの写真に入れ替わったんだよ。たしかに直前までは彼女と一緒に撮った写真だったのに」

 そこが謎だ。謎なんだ。

 絶対に見間違いなんかじゃない。それは、はっきりと覚えてる。

 そのへんのカラクリは、どうなってるのかさっぱりだ。

 さっぱりなんだけど。

「おまえが何かやったとしか考えらんねえんだよ。どういう方法か知らんけど、なんか例えば……女子が触ったら勝手に画像が変更されるとか、そんな変なアプリでも入れたんじゃないのか?」

 目の前の美人さまは首をうなだれて、憐れむような視線を上目遣いで飛ばしてきた。

 ほのかに、ため息が聞こえる。

「はぁ。そんな意味不明な疑いされてたんだ。呼び出されて、ちょっとウキウキしてたのにな。あーあ……だいなし」

 なんだか、ぬか喜びしたかのような口調だ。

 それにウキウキって、聞き違いか? 語尾、ちょっとかすれ気味だったし。

「あに言ってんの。あるわけないだろ、そんなアプリ。無茶苦茶なこと言うな」 

「じゃ、なんで画像が入れ替わったんだ」

「知らないって」

 眞砂はベンチに背をもたげ、長い足をぷらぷらと揺らした。

 朝と言っても、すでに夏の日差しが強い。

 見れば眞砂の額とうなじに汗がきらめいている。

「どうせあの女が自分でなんかやったんだろ。自作自演? でなきゃやっぱり、待ち受けが変わってたこと、あんたが気づかなかったとか」

 うーん、それは変だろう……。

 合歓がそんなことして、なんのメリットがあるって言うんだ。

 万が一そうだとしても、あのとき彼女にそんなことする時間なんてあったか?

 それに、自分のスマホの待ち受けが変わっていることに気づかないわけがない。

 何度も繰り返しになるが、直前まで合歓と一緒に写った写真だったんだ。それは店の男子トイレで幼女神からメールを受けたときに確認している。

 おそらくは渋い顔をしているであろうおれを尻目に、眞砂はカラカラと小気味よく軽快に笑い出した。

「あはははっ。でもまあ、よくわからないけどさ、彼女とはうまくいかなかったってわけだ。ふひひ。ざまぁ。ガラにもなくのぼせてっからだ」

 こいつ……っ!

 他人事みてえに言いやがる。

「なんにしても、おまえの写真のせいだぞ!」

「で、ふられた、ってことね。だったらさあ、よかったのよ、これで。前にも言ったろ、あの女はまじでヤバイって」

「ふられてねえよ。かえって彼女に火をつけたみたいだ。めっちゃ迫られたよ」

 細面の美女サマはおれの言葉を聞くや、ちっ、と軽く舌打ちをした。

「あーん? 話、おかしくね? うまくいかなかったわけじゃないのかよ。それであたしに文句言いに来たんじゃないの」

「うまくは……いっ……」

 ……てない。

 いや、そこは言う必要ない。

「彼女を怒らせた原因を作ったことに、ひとこと文句を言いたかっただけだ。べつにふられたってわけじゃない。おかげサマでむしろ距離が縮まったくらいだ」

 距離って言っても、心より肉体的な距離だけど。

「ふぅん。だったらさー、それはそれで良かったんじゃないの? 雨降って地固まるってさ。あたしのことダシにして、一気に仲が進んだってことになるんだ? なんかちょっと気に入らないけどさ」

 う~~~ん。言われて、考え込む。

 実のところ、仲が進んだとは言えない。

 深い関係に踏み込むすんでの所で、自分は踏みとどまった。

 今思えば、あの判断で良かったんだと思う。

 あの時点では……。

 あの時点では、合歓がケモノっ娘かどうか確信が持てなかったんだ。

 疑問を持ってしまったんだ。ひょっとして普通の人間の女の子なんじゃないかと。

 そもそもリアル女子と仲良くなるのは、禁止されてるんだよな。

 金髪幼女の神さまには、人間の女子に恋愛感情を持つなと、最初にはっきりと釘を刺されている。

 正直、そんなの無視してもいいんだけどね。ただ、祟りはちょっと恐いかな。

 いや、違う。

 ……そうじゃない。

 なんか、いろいろと理由つけて、自分に言い訳してる気がする。

 本当は、やっぱりあのままトイレのなかでいたしてしまえばよかった。

 おしかった……っ。純粋にそう思う。

 欲しいのは心、だけどやっぱり体は正直。

 なのに、なんでおれは……。

 ああもうっ、くそっ。

 こっちが無言で煩悶していたら、眞砂がきゅっと顔を上げた。

 長い指で額の髪を掻き上げ、尖った顎を上げて、こちらを見る。

 少し、見下す感じ。

「ま、とにかく彼女のことを怒らせたけど~、それで逆に自分に迫ってきた、と。よっ、童貞卒業オメデト! 願ったり叶ったりじゃん、めでたしめでたし、だね。……でも、それじゃなんであんた、そんなにいらついてんの? はははっ」

「いっ? いいい、いらついてなんか」

「いやあ、いらついてるだろ。さっきからずっと感じてたよ。あんた、単純にあたしに怒ってるってだけじゃなさそうだね」

 見透かすような目つき。

 眞砂はずびしっ、と指をおれに向けて言い放った。

「うひひ、分かった。あんた、びびってバックレたんだ。そうだろ」

「……っ!!」

 自分でも顔が熱くなるのを感じた。灼熱赤面。

 バレバレだぁ。

 おっしゃる通り。おれは彼女に迫られ、我に返り、びびって、逃げた。

 ろり神さまには微妙にニュアンスを変えて、かっこつけて伝えたけど、そんなの保身だって自分でも分かってる。

 欲しいのは心だとか。

 でも体は正直だとか。

 そんなこと考えておきながら、実際におれがとった行動は『逃げ』だった。


 昨日、店から逃げてしまったあと、合歓から矢のようなメールが何通も届いていた。

 内容はほとんど謝罪だった。『怒ったりして、ごめんなさい』『いろいろと非常識でした。反省してます』『お願いだから、あたしのこと嫌わないで』

 謝らなきゃいけないのは、本当はこっちのほうだ。

 女子に恥をかかせたも同然なんだから。


「あーあー、女の子にえっち、せがまれて~。で、とんずら? なっさっけっね~」

 肩で軽くタックルされた。どんって。

「ぐうっ。お、おまえっ」

 自然、体が触れ合う。顔が近くなる。この女、他人とのプライベートスペースっていうの、まったく気にしないやつだな。美人だからってウザイぞ。

 腕とか重なってんだけど。足なんて、こっちの片足の下くぐってんだけど?

 不愉快な気持ちとは別に、下半身に血が溜まり始める。ほんと、体っていうのは理性が効かない。

 こんな女、こんな女に、くっそ。

「あんたさ、そんなヘタレのくせにまだヤル気? その子と」

「…………やる」

 もうチャンスないかもしれんけど。

「女の子の服、どうやって脱がすの」

「? いきなり、なにを」

「いいから。で、どう脱がすの」

「それは、その、ばんざいとかさせて上からずるって引っ張る?」

「おっぱい、どうすんの」

「え、えと、……もむ?」

「どうやって」

「もむのに、どうもなにも」

「下着はどうすんの。脱がせてから、アソコどうすんのよ?」

「え? コ、あ、そ、ど? どうって? い、入れる? って、なに聞いてんだよ、おまえ」

 顔に吐息がかかった。いつの間にか、こいつはとんでもなく顔を近づけていた。

 ささやくように、神経を逆なでる。

「無理だね。あんた、このままじゃ絶対に何もできないよ。どうせ、はだかの女子見ておろおろするだけだ」

 それは………………………………あるかも。

「な、相談乗ったげるって言ったっしょ。その女はおすすめしないけどさ、でもこのままじゃ誰とつき合ってもおんなじ結果だよ。ひょっとしたらアドバイスとかできるかもしれないし、だまされたと思ってここはひとつ、あたしのこと頼ってみてよ」

 首にひんやりと、冷たい肌の質感が。

 またしても腕を回してきた。

 白くて長い、艶めかしい、手。

 顔を見ると、頼れよ、な? と目で語ってくる。

 そこには何の邪気も感じられない。

 相談か。前にもそんなこと言ってたな。

「なんでそんなに絡んでくるんだ」

「心配なんだって。ほら、袖振り合うも魔性の縁ってね」

 それ調べたけど、『袖振り合うも多生の縁』が正解。

 服がこすれる程度のちょっとした人間関係でも大切にするといいですよー、という意味だったはずだ。

 それで心配してくれる、ということか。たったそれだけで心配してくれる、と。

 この女はこういうところがみんなに好かれるんだろうな。コミュ広いはずだ。

 心配、か。

 お節介だ、余計なお世話だ、と言いたいところだけども。

「……おまえって、口悪いし、強引だし、下品だけど」

「うわ、ひどい」

「でも、結構いいやつだな」

 うざったいと思いつつも、一方で悪い気はしない。

「あは。やっと分かってくれたぁ? そう、あたしって、いいやつ」

「ああ、いいやつ」

 クラスでも人気があるの、納得。

 きっと気配り上手で、世話好きなのだろう。

「あたしで練習してみ。どうせ生はだか、見たことないんだろ。ちゃんとゴムつけてくれりゃ、最後までやらせてあげるよ。どう?」

「――はあっ!?」

 アウチッ。とんだビッチだった!

「相談って、そー! ゆー! 意味、かっ!!」

 感心して損したっ!

「そういう話の流れだったじゃんか。つまりは生女子の性欲に精神耐性がないんだろ。だからあたしで一回、ヤっとけって」

「本気で言ってんのか!」

「っ! 大声出すなよ……。あたしはべつにオッケーだよ。て言うか、よろしく? 憧れてるんだよね~、『初めてのひと』っていうの。あんたの初体験の相手は、あ・た・し♪ 思い出にずっと残れるってーわけだ。いやあ~、光栄、光栄」

 言いながら、肩をぱんぱん叩いてくる。大きな口を開けて、からっと笑って。

 なんかもう、合歓といい、眞砂といい、女子に対するイメージが最近変わっちまったなぁ。

「そーゆーの、好き同士でするもんだろ。そこに至るまでの過程はどうでもいいんかい」

「どうでもいいってこたあないけどさ、この場合は練習だし、そんなん時間の無駄じゃん」

 ん。

 また。また、言われた。

 時間の無駄……。

「おれは、時間の無駄って言葉が嫌いなんだ」

「え、あ、そうなんだ、ごめん」

「遠回りって、必要だと思うんだ。申し出は気持ちだけ、ありがた~く受け取っておく。練習って言うんだったら、普通に仲良くしてくれたらそれでいい」

「普通? それって普通にデートしろってこと?」

「デートって。いやまあ、いきなりナニするよりかは普通だけど……」

「よし、じゃ、今から授業バックレて遊びに行こうか」

「……へ」

「行こっか。行くよね、な?」

「……」あれ?

 どうも真砂のこと、軽く見ていたみたいだ。

 呼び出して文句言うだけのつもりが、いつの間にかペースを握られ。

 どういう流れか、学校サボってデートすることになってしまった。

 ほんとにどういう流れだ? 誰かが裏で糸引いてんじゃないのか?


 ………………………………………


 さて、どこへ行こう。まずは映画でも。

「あの女と行ったところ、なぞるようなことしたらマジぶっ飛ばすかんね」

 うう、読まれている。

 どだい、デートなんてほとんどしたことないから、おんなじふうになってしまう。

 でも結局は映画に行くことになった。

 映画はいい。まだお互いをあまり知らないから、話すネタがない。でも映画は話さなくてもふたりで楽しめる。あとで内容について盛り上がることもできる。

 合歓はスプラッターを選んだが、眞砂は娯楽要素の強いアクションを選んだ。イケメンマッチョの主人公、ナイスバディの謎の美女、テンプレのようなひっどい悪役、そんでもって火薬てんこ盛りにお色気シーンのサンドイッチ。

 眞砂は何かあるごとにいちいち大袈裟に反応した。

 主人公が追い詰められたときは手を強く握り、歯を食いしばって。

 悪役によって仲間が拷問されていたときは、呼吸が荒くなり。

 ヒロインとともに無事脱出し、熱い抱擁を交わしたときには、涙ぐんで目が赤くなって。

 しかも、あんだけビッチ発言しときながら、ラブシーンではほっぺたが紅く染まっていた。


「よくもまあ、あんなにころころ表情が変わるもんだ」

「あははっ、友達にも言われるよ。育った環境の違いかも。向こうじゃ映画見るとき、みんなこんなんだったからね」

「向こう?」

「ああ、あたし、小学生んときアメリカにいたんだ。こっち戻ってきたのは去年」

 眞砂は、帰国子女だったのか。

 そういやあっちの人たちって、リアクション大きいよな。

 それにあちらはいくぶん、性にオープンだって聞くけど、こいつの貞操観念の緩さはそのせいかな。

 リアルビッチ。

 まあ、たぶん、もともとの性格もあるんだろうけど。

 ん、帰国子女……。

「どうしたのよ、黙りこくって。外国帰りだからって別にえらいとかじゃないわよ」

「そうだよな。うん……。でも、正直憧れはあるかな。格好いいって」

「ふふ~ん、そんな憧れの女の子とデートしてどう? うれしい? ドキッとする? ムラッとくる?」

「イラッとくる」

「あーはーはー。あーおもしろいおもしろーい。おっ、来た来た」

 おどけた様子の乾いた笑いのあとに、はしゃぐような声。

 目の前に大きな丼がふたつ、ずしっと置かれる。ヤサイ盛り盛り家系厚切りチャーシューメン大盛り、追加でまるっと一個の味玉付き。

 合歓とは焼き肉へ行ったが、こいつとは今、ラーメンを食いに来ている。

 ふたりともがっつり系が好きなのかな。

「海外にはあんまり美味しいラーメンないって聞くけど」

「最近はそーでもないよ。でも、あたしはやっぱ、こっちのが好きかな」

 眞砂は長い髪が垂れないよう、片手で耳際までかき上げながらラーメンを口へ運ぶ。

 そのさまを見て、食べる姿も絵になると思ってしまう。

 性格はともかく、こいつは紛れもなく正統派の美人。

 よく考えてみれば、こう短い期間で何度もきれいな女の子と一緒に遊ぶのって、今までなかった。幸運なことだ。

 周りはきっと「なんで、あんなやつが」みたいな目で見ていることだろう。

「ね、あたしの取って置きの隠し芸、見せたげるよ」

「あん? なに突然……」

 眞砂が一玉まるまる入った味玉を、長い指で直につかんだ。首を反らし、白いのどを無防備に晒す。そんでもって、大きな口をめいっぱい開けて、舌をベロ~ンと。

 ……この女、舌まで長いんだ。妖怪か。あご先まで届きそうだぞ。

 いや待て、この体勢、まさか。

 思った通りだった。

 味玉、舌の上ぽとんと乗せて、一気に奥へホールイン。

「危ねっ、のどつまるぞ」

「んぐっ、あぐ」

 のどが一際、大きく膨らんだかと思うと、しゅるっとしぼんだ。そのあと、ごくりという音とともに中身が胴体のほうへ流れ落ちていくさまが、外から見て取れた。

「なんつー食い方してんだ。卵丸呑みか。せっかく味付いてんのにもったいない」

「味は分かるよ。丸呑みしたあと、のどで潰すんだ。溢れ出た黄身の風味が、のどとベロの付け根にほのかに伝わって、口の中で噛むのとはまた違う味わいがあるんだよ」

「のどで味が分かるもんか」

「あたしは、自分ののどには味覚が備わっていると信じている」

「うそつけ。勝手に信じてろ」

「もっと言うと、気持ちいい。ぶちまけられる黄身のべっとりした感じ、割れた白身のこそばゆい感じが、超たまらない。実はあたし、のどが性感帯」

 性感帯とか言うな。

 今、昼時で混んでるんだぞ。ほかにも客いるんだって。

 小声でたしなめるが、一向に気にする様子はない。

「誰も聞いちゃいないって。みんな雑談か、ラーメン食べるのに夢中だって」

「だといいけどな。それにのどが……って、そりゃありえねえだろ」

「いやいや、いやいやいやいや。こう、ね、すると。ちゃあんと感じるわけよ」

 言うや卑猥な笑みを浮かべて、奇妙なことをやり出した。

 箸を持つ右手を軽く握って、口元で出し入れする仕草。

 長いべろで箸を舐めるような反復動作。

 …………。

 あうあー、こんの、くそビッチがぁ。

「おおいっ。時と場所、考えろ」

 小さなこども連れとかいるんだからな。油断しすぎだろ。

 そんな叱りつけるこちらの様子を、眞砂は見て楽しんでいる。

 くっくっく、と意地わるそうに笑う姿は、なんか悪女のようで。

 妖艶に思えてしまう。

 顔を向けずに目線だけこっちに流して、目が合うとまた笑う。

 その切れ長の瞳が持つ魔力に、やられてしまったのだろうか。

 下品で、粗野で、エロくて、美人で、コミュ力高くて、格好良くて。

 おれはラーメンをすすりながら、段々と眞砂の魅力にはまりつつある自分に驚いていた。


「なんか悪いね、映画といい、ラーメンといい、おごってもらっちゃって」

 大丈夫。別にいい。小学校から貯めていた小遣いがまだ少し残っている。それに今度バイトも始めるつもりだ。

 ラーメン店を出て、どこへともなく歩き始める。

「あの女とつき合って、金払う癖が付いてんじゃないだろね」

「心配ご無用」

「ありがと。じゃ、素直に礼言っとくわ。そうそう、先に伝えとくけど、今日は夕方からバイトがあるんだよね。だからあとちょっとしか一緒にいられないんだ。2時間くらいかな。ご休憩には、ちょうどいいじゃない?」

「何にちょうどいいんだ。それはなしって言ったろ」

 結構しつこいな。なんだって、そんなに。おれなんかと。

「正直じゃないわねー。分かるわよ、あんた草食系じゃないでしょ。絶対、女子とヤリたい派でしょ。無理しなさんな。あ、あ、帰んないで、悪かったって、ちょっと調子乗った。ごめんごめん」

 早歩きで眞砂を置き去りにする。というふりをする。

 それに乗ってくれて、小走りで駆け寄って、眞砂は腕を強引に組んでくる。

「そう言や、あの女ともこう、腕を組んでたね。明らかに胸当たってただろ? 巨乳だったからね~。いやあ、あたしなんか控えめなサイズで物足りなくって、申しわけないね~」

 そんなこと言う眞砂に、『おっぱいは、大きさじゃない』という持論をちょっと展開してみた。

 実を言うと、これ本心。

 金髪碧眼のロリ神さまには、大きいほうがいいって言ったけど、それは見るぶんだけの話。

 でかい乳なんてね、それこそ眞砂の指摘どおり、おろおろして持てあますだけだから。触るんなら、小さいほうがいいなあ、なーんて。

 触ったことないけど。

 フォローで言ったつもりなのに、こめかみに頭突きされちまった。

 歩く行き先に、露天商が店を広げている。よく見ればこの前と同じ、シルバーアクセを売っていた人だ。

 ずきずきする頭には、眞砂の額の感触がまだ残っている。

 頭が当たる瞬間に、はらっとかかった長い髪の匂いも。

 痛いことされても、マイナスではなくプラスに変換されている。女子慣れしていないことは重々承知していたが、なんだってまあ、たった一日でただの知り合いにすぎない女子に心がぐらつくのだ。

 ちょっと自己嫌悪に陥る。自分にはもう、合歓がいるじゃないか。

 ああでも、合歓とだってまだ実質二日しか会ってない。電話で話をしたのも一週間でほんの数回程度だ。

 露天の前で、眞砂が立ち止まった。じっと、商品を眺めている。

「これ、あの女にも買ってやったの?」

「う、うん」

 なんで知ってるんだ。

「あたしにも買って」

 は? 一緒のことしたら怒るとか言ってたじゃないか。

 疑問を口にするはずが、

 口からは即答で「いいよ」、と発していた。

 どれが欲しいか聞くと、眞砂は銀色に光る商品のひとつを指さした。

「……これ」

 遠慮がち。その態度の示すものは。

 指さしたのは、指輪。合歓に買ってやった髑髏のネックレスより数倍高い。

 さっき食べたラーメンで換算するなら、合歓のが3ラーメンで、こっちは10ラーメン。

 こくりとうなずく。躊躇はなかった。


 空に左手をかざして、眞砂は目をうっとり、させていた。

「頼んでみるもんだね……」

 喜んでいるようで、まあそれは良かったと思う。

 これで貯金はもうほぼ残っていないが、ま、いいや。

 しかしなぜに左手の薬指にはめる……。

「あたしさ、向こうで自立の精神っつーの、教えられてね。高校出たらね、大学生になろうが浪人しようが関係なく、一人で生活するつもりなんだ。大学の学費とか、予備校代とかも、借金ということにしてあとで親に返す予定」

「そ、そりゃ、すごいな」

 とても真似できん。

「だから今絶賛バイト中で、自由にできる金ほとんどないんだ。こういうの、自分で買ったことなくて、正直にうれしい。大切にするよ。ありがとね……」

 最後の台詞は、すれっからしのような言葉づかいの彼女には似つかわしくなくて、

 それは数割増しで、とっても……。

 ……かわいく聞こえてしまったのだった。


 急に体に電撃が走ったかのように思えた。

 スマホにメール着信。

 根拠はないが、送り手が誰なのか分かった。思春期男子の勘。

 即座に確認すると、勘は当たっていた。

 合歓からだ。


『理人さん。この前は本当にごめんなさい。でも分かって。あたし、あなたとはもっと深い仲になりたいの。それって理人さん、本当にいやなの? そんなことないわよね? 男の子だもんね? あなたにはあたしの全部を知ってほしい、だから』


「だからこんどのにちようまたあいましょうつぎはあたしのいえであさからまったり」

「眞砂っ、横から読むなよな。しかも棒読み!」

「ほかの女からのメール、デート中に読むとかアウトだぞ」

 あ、そ、そう? じゃ、この前合歓が怒ったのも当然?

「けど、人のメール勝手に見るのもアウト、だ」

「そんなことよりさ、この流れだとあんた、来週の日曜に晴れて童貞卒業だね」

「そううまくいかないと思うけどなあ」

「そりゃ、くくくっ、だって据え膳食わずに逃げちゃうんだもんね。向こうがその気でも、あんたの問題でうまくいかないかも」

「くっそ、ちったあかわいいと思ったのに。また憎まれ口叩きやがる」

 眞砂の鼻が、ちょっと赤みを帯びる。

「え、え? い、今、かわ」

「うるさい。こっちは時間をかけて、ゆっくりやるからいい。心配しなくていい」

 がしっ。あごっ、あごをつかまれたっ。

 くきっと直角にひねられる。痛いっ!

 目線を強制的に動かされた。その先には、路地裏を通して向こう側に繁華街。

 そこには、ラブホが立ち並んでいる。あそこ、先週、合歓と歩いたところだ。

「あっちは時間をかけようなんて気はなさそうだよ。時間の無駄って言葉が嫌いって言ってたけど、これは二人の感覚の問題だからね。かみ合わないとまずいよ? だーかーらー、ここであたしと練習しとけよな。でないといい加減、ふられるぞ。いーのかそれで」

「よ、よくな、い」あご痛い、離せ。

「高校生でも入れるところ、あたし知ってるから。指輪のお礼ってことで、今から行こっか」

 どうしてこいつはこうも、しつこいんだ。欲求不満なのか。

「しつこいって。おまえ、へびみたいなやつだな」

 手足長いし。性欲強いし。卵丸呑みするし。

 すぅっと。あごから手が離れた。

 痛っちぃ~。あご、なでなで。

「や、やなこと、言うなあ、へびだなんて。た、例えるんなら、あたしは、ね、ねこだよ」

 へっ? ねこ、だと……。

 何かが頭のなかでカチリとはまったように思えた。

「なあ、眞砂。馬鹿なこと聞くけど、おまえって、ねこみみとか生えてないよな」

「あほか。生えてるわけないだろ。あんたって、そういう趣味なの? なんならヤるとき、頭に付けてやろうか」

 表情がころころ変わるというのは、こういうときには不便かも知れない。

 だって嘘がつけないんだから。

 眞砂は、あははとか空笑いしながら、おれの言ったこと馬鹿にしてたけど、

 顔色は真っ青だった。

 なんだか毒気が抜けたようで、眞砂はそれ以上強引に誘うようなことはせず、そそくさと電話番号だけ交換して。

 また明日学校でと、あっさりした挨拶で別れた。


 ………………………………………


 家に帰ってからひとり、自室にこもり、考えを巡らせた。

 今までとんでもない勘違いをしていたかもしれない。

 合歓が実はケモノっ娘ではなく、普通の人間の女子だとしたら。

 あのロリ神が遣わしたケモノの変化は一体誰なのか。

 まだ会っていないのか?

 いや、会っているはずだ。だって、ロリ神のメールでは『うまくいっていない』ことを心配していた。

 これはつまり、そのときまでにはすでに出会っていたということだ。

 思い返せば、神さまはおれの学生証を見たとき、『ちょうどいい』と言っていた。

 『ちょうどいい』とは、ひょっとしたら相手が同じ学校の生徒って意味じゃないのか。

 それに、リクエストした好みのタイプと眞砂はいくつか合致する。

 合歓だって当てはまる点はあった。だから勘違いしてしまった。

 眞砂と合歓は同じく帰国子女。これも勘違いを後押しした。

 一方で眞砂の評判を調べてみたが(コミュ広いやつだから逆に色々ネットにあがってる)、あいつがビッチだとかヤリマンだとか、もしくはさせ子さんだとかいう類いの噂はどこにも見つけられなかった。

 普段は見ないようなアングラ的な裏サイトまでも探したが、やはりそんなのはなかった。意外と身持ちが堅く、特定の彼氏はいないらしい。せいぜい下ネタOKだというくらいだ。

 じゃ、どうしてあんなしきりに迫るようなことを。

 答えは、彼女――眞砂こそが神さまから紹介を受けた女子、ケモノっ娘だから。

 そうとしか考えられん。そうでもなきゃ、なんだってこんな、女子受けしないオタ男子とヤろうとする?

 性格的に変なところはある。なぜか分からないが、神さまの紹介だとカミングアウトしようとしない。

 だけど、たぶんそうだ。いや、間違いない。

 よし、エウレカ! 勉強机をばんっと両手で叩き、椅子から立ち上がった。

 疑惑は確信へと……。

 い、いや、それだとやっぱりおかしい。

 すとんとまた座り直す。頭、抱える。

 ぐるっと反転して、また疑惑にどぼんと落ちる。

 そうだよ、待て。

 だったらどうして、先週の土曜、彼女は待ち合わせの時間にいたんだ。

 そしてあの発言は、いったい……???


 ――『ねこみみ』の女の子、ご所望だったんでしょ。

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