第4話 ヘタレ男子、理性がぶれる。
翌週の土曜日、午前九時半。最寄り駅の駅前広場に向かっていた。
あの日はつい浮かれてしまい、ホップステップと軽やかに家路についた。
そして我に返った。
あほか、おれは。
やっぱり神さまなんているわけないじゃん。
あの金髪幼女は多分、近所のハーフのこどもかなんかだ。遊びかいたずらでお社に入っていたのだろう。
それで偶然、痛々しいおれの願いを聞いてしまい、こどもなりに相手をしてくれたというところに違いない。
なにがケモノの娘っこだ。そんなのいるわけあるか。
自分のあほさ加減に、ほとほと嫌になった。
と・こ・ろ・が!
どうして自分は待ち合わせの場所へ向かっているのだ?
足が勝手に、なんて言い訳は自分でもおかしいと思う。だってきちんと服を選び、身だしなみを整え、ちゃんと少し早めに着くように時間まで計算しているのだ。
これじゃあまるっきりデートに行くみたいではないか。
……ていうか、間違いなくデートだね。
認めなければいけないのだろうか。
あんな約束にこれっぽっちも、毫ほども、期待していないはずが。
実は内心どっきどきだということを。
一縷の望みを抱いていることを。
これで誰もいなかったらけっこうショックかも、とか考える。
約束の場所、駅前に到着。
ここは地方の小都市だが、駅の周辺だけは栄えている。
駅前も勿体ないくらい広く、中央には噴水、そこからやや離れて定刻に銅像が動き出す時計台がある。見渡せば季節の花がそこかしこに植えられ、地元の芸術家のわけわからんオブジェが点在している。
土曜ということもあり、かなりの人が行き来していた。
単に遠出するためだけではない。地方なのでこの辺りしか遊び場がないからだ。
ここでとっても大事なことに気がついた。今さらながら気がついた。
相手の顔を、知らない。
どんな姿で来るか楽しみにしていろと言われたが、それはつまり何をもって約束の相手と判断していいか分からないということだ。
やっぱ無理矢理にでも顔見せてもらえば良かった。
しかしそんな心配は全然必要なかった。
多くの人の群れを前に途方に暮れていると、肩ごしに話しかけてくる人がいた。
透き通るような、美しい声だった。
「こんにちは、あなたが紹介して頂いた方ですね?」
驚いて振り向いて、もう一回驚いた。
そこに立っていたのは、同い年くらいの黒髪の女の子。
ボブカット、というのだろうか、髪はきれいにあごのあたりでそろえてある。
目は大きく、黒曜石のように漆黒に輝いている。
黒、だ。
第一印象としてまずそう思った。髪も、瞳も、服装までも黒が占めている。
そのなかで唯一、唇だけが赤く映えている。
たじろいだ。
胸を貫かれた、と言っていい。今までこういうタイプは出会ったことなかったけど、面と向かった時点ですでに心奪われていた。
「ね、あの、あなたが約束していた方、でいいのですよね?」
無言で立ち竦んでいるこちらに不安を感じたのか、彼女は戸惑った様子で確認してきた。
そうだ、この子が約束の子だという保証はない。残念だが、大変と~っても、無茶苦茶、残念だが、別件の待ち合わせをしていた人だと考えるべきだ。
でも、一応確認はしておこう。
「おれは、えーっと」
えーっと?
どう確認しよう……。
金髪碧眼幼女の神さまにねこみみ萌え萌え女子をお願いしたら、可愛いケモノっ娘を紹介してもらったのです。あなたがそうなんですか?
なんて、聞けるはずないじゃん。
「……違うと思います」
「? どうしてそんな苦しそうに答えるんです? なんか血の涙が見えますよ」
血の涙も出ようというものだ。だって、正直一目惚れを体験したのに、違うと言わなければいけないんだから。
もういっそ駄目元でこの子に今からアタックしてみようか。
いや待て、どうせリアルの女子なんてみんなおんなじだ。これ以上話していたら何を言われるか分からない。傷つけられる前に、とっとと退散しよう。
「人違いです。女の人と待ち合わせなんてしてません。ぼくは、女の子と話すと神さまに怒られますんで」
「えっ? それじゃやっぱり、あなたが約束の人なんでしょ?」
「いや、だから違うんですよ。って、あ、あれ?」
すると彼女はくすくすと笑って、
「『ねこみみ』の女の子、ご所望だったんでしょ?」
と言って、両の手の平を頭に乗せて、ケモノ耳の如くぱっと上へ立てた。
顔に火が灯る。熱くなる。きっと今の自分の顔は真っ赤っか。
これは、願いが叶ったのか?
あの神さまは本物だった? 約束を守ってくれたのか?
驚きと感動で微動だにできないこっちを見て、女の子は怪訝な表情で小首を傾げた。
「あれ、じゃあ本当に人違いなんですか? それは、すいません。今のは忘れて下さい。お時間取らせてしまい申しわけありませんでした。では、失礼しま」
「ま、待って、待って! お、おれです! 待ち合わせの相手はおれで間違いないです!」
女の子はにっこ~と微笑んで、横に並び立つやぐいっと腕をからませてきた。
「ふふ、や~っぱり」
おっぱい。
動揺が、激しく胸を高鳴らせる。自分の二の腕にほんのわずか、本当にそれはほんのわずか程度だが、ふんわりとした柔らかい感触が感じられた。
おっぱいだ。うん、おぱーい。
ドドメ色の脳味噌で呆けていると、彼女はぐいぐいと腕を引っ張り、商店街のほうへと進み始めた。
「さっ、イきましょっ」
黒髪の女の子は、『合歓(ねむ)』と名乗った。
「せっかくだから、お互い普通にしゃべりませんか? 敬語ってかたっくるしいじゃないですか。ね、理人(りひと)さん」
商店街のなか、二人で腕を組んで歩いていると、なんだか視線を感じる。
それは好奇と羨望の眼差し。
彼女はぱっと見、とても目を引く外見をしていた。
服装は黒を基調としているのに、それが地味に感じられない。むしろ妖しさをかもしだしている。
大きな瞳は、映るものをすべからく引き込みそうなほど黒く、深い。
一点、唇に浮かぶ赤が鮮烈だった。
こんな美少女と一緒に歩いているのがおれだなんて、周りの連中には信じられないし、納得いかないのだろう。
それに彼女はただ美しいだけではない。腕の感触で分かる。
組んだ腕に、ぱいん、ぱいんと、柔らかなスタンプ。
人は歩くとき決して、平行移動するように進むわけではないのだ。
歩くたび、多少なりとも上下に揺れるのだ。
ときには左右にもぶれるのだ。
だから何が言いたいかというと、その、歩くたびごとに……。
「ね、これから、どこ行く?」
「おっぱ……、あ、え、ああ~、映画とかどうかな」
「うん、あたし見たい映画あるの。あははっ。ねえ、何言いそうになったの? ふふふっ、いいわよ、正直で」
ああ、なんだろう。会ってすぐなのに、なんだかとってもいい感じだ。
金髪碧眼の幼女神の言葉が頭に蘇る。
――『おぬしはきっと好かれる』。
………………………………………
商店街を過ぎたところに、カラオケボックスと映画館が合体した変な店がある。合歓は一つのタイトルを「これ」と指差した。
「んんっ? これぇ?」
ホラーだった。
それも幽霊やお化けが出るようなもんじゃなく、洋物のB級スプラッター。
二人分のチケットを購入し、館内へ。
あまり席は埋まっていない。これで人気も分かろうと言うものだ。
合歓が頑として最前列に座ることを主張するので、仕方なく自分も座ることにしたが……。開始早々後悔した。
その映画は文字通り、血湧き肉躍る内容で、おててもあんよもおつむもみぃ~んな宙を舞い、地を転がった。そしてそれをゾンビがわしわしと喰うのだ。
うええええ。出来も悪いし、気持ち悪い。
近いところで見るんじゃなかった。
よくもまあこんな内容が一五禁ですんだな。妙なところで感心しちまうわ。
合歓はどう思っているのか気になって横目で見てみると、びっくり。
よだれ、だ。
夢中になっているせいか、口の端からよだれが垂れている。
お、おもしろいのか?
指摘しようかどうか迷ったあげく、口元をハンカチで拭いてあげるとびっくりした顔を見せ、そして彼女は残ったよだれをぺろりとかわいい舌で舐め取った。
映画館の暗闇のなか、それはとても色っぽくて、劣情を催して、
仙髄にきてしまった。
……しょうがないって! こんなん、男子の生理だって!
んで。
前屈みになって、Tシャツのすそを手で引っ張って、股間に張ったテントをばれないよう必死で隠した。
見終わったあと、合歓は期待以上だったと感想を述べた。
「あ~あ、あんなの見ちゃったら、おなか空いちゃった」
「うそぉ」
あんなん、食欲なんて消し飛ぶだろ。どういう神経してんだろうか、この子は。
「だって、おいしそうだったんだもん」
ああ、よだれ垂れてたのは、そういうこと……。
一瞬、引きそうになったが、そう言えば彼女はケモノの変化だと思い出した。
そうか、彼女には美味そうに見えたのかあ。うん、恐いなあ。
無意識に彼女から距離を取った。
ところが彼女は腕を再び絡ませ、くっついてきた。
――逃がさない。
そんな意志が、体温とともに伝わってくるようだ。
密着する彼女の体の温度は、少し熱い。女子は男子より体温が高いんだろうか。
「ね、おなか、空いちゃったんだってば」
こちらの肩すれすれのところで、頭を傾げて見上げてくる。
おねだりするような目。
ああ、そうだった。気づかなかった。ちょうどお昼頃、いい時間帯だ。食欲が失せたとか考えてる場合じゃない。
お店の予約とかはしていない。来るかどうかも分からなかったし、そんなこなれたことは自分にはまだ無理。
合歓に何が食べたいか聞いてみると、「焼き肉」と即答だった。
食い放題の焼き肉店に入る。合歓はなんだか活き活きしていた。
彼女は、とにかくよく食べた。
タン、カルビ、ロース、バラ、ハラミ、センマイ、ギアラ、豚トロ。
肉ばかり。
冗談なのか、最初焼かずに生のまま、あ~んと口まで持って行ったのにはギョッとした。
『ケモノの変化』、『畜生』。
幼女神の言葉がまたも頭をよぎる。
肉の脂が、合歓の赤い唇に残り、グロスのようにぬらぬらとテカる。
彼女が肉をほおばるため口を開けるたび、上下に生える鋭い糸切り歯がのぞく。
噛む、飲み込む、また口を開ける。その動作は、見るだけでエロい。
……淫靡だ。
思わず凝視してしまう。自分の箸は止まっていた。
合歓と目が合う。微笑まれる。それもまた色気が感じられる。
おれは、男子として普通かもしれんが、変態だ。やっぱ最低だ。ゴミだ。
もう、冗談めかして言い訳できない。
初めて会った女の子に、おれは……猛烈に欲情していたのだ。
そのあとはボーリング行って、そんでカフェなんていう洒落たところでお茶した。黒い容姿の美少女に、カプチーノはよく似合う。
ここでようやく、お互いのことを話すことができた。
彼女はおれと同い年の高校一年生で、蘭生女子の生徒だった。これは県内では知らない人はいないくらい有名なお嬢さま校だ。しかも県内有数の進学校。
彼女、ほんの数ヶ月前までフランスにいたらしい。語学留学だったとのこと。日常会話なら問題なく話せるそうだ。
家族は兄弟姉妹がたくさんいるが、みんな独立して暮らしているという。合歓は一番下の妹になる。
こういうのは女の子の話をよく聞いてあげるのがいいらしい。
男の話、しかも男子高校生の浅い人生の話なんぞ誰も興味ないはずだ。でも、
合歓はそんなおれの話も興味津々な様子で聞いてくれた。
なんで自分にそんなに好意的なのか、もはや考える力は脳にない。
完全に、彼女に心惹かれていたのだった。
風向きがあやしくなったのは、夕方近くになってからだ。
カフェを出てから適当に街中を散策して繁華街へ入り、ゲーセンへ行った。
本当はもうこの辺りで連絡先を交換して、おひらきにするつもりだったが、合歓がおれから離れたがらなかった。
本音を言うと、自分ももう少しだけ一緒に時間を過ごしたかった。
慣れないUFOキャッチャーに大枚つぎ込んで、彼女が欲しいという人形をなんとかゲットした。手渡すと口元に歯をこぼして喜んだ。垣間見える歯は、まるで鋭い牙のように見えた。
これまで映画、焼き肉、ボーリング、カフェ、ゲーセンとお金をだいぶ消費した。
でも楽しかった。この日が嘘でも、いい思い出だ。
薄暗くなった繁華街を、お互い腕を組んだまま歩き進む。もう、こっちも慣れてきたから遠慮はない。
とりとめもない会話をしながら歩いていると、いつの間にやら繁華街の奥まったところにまで来てしまったようだ。
奇抜な色合いのネオン。恐そうな客引きのおにぃさんたち。
立ち並ぶビルの窓には、風俗店の看板(『スク水ぶるま女学院』とか『アナと絶頂(イ)きの女王』とか変なのばっか)。
そして、ホテル街。
合歓が腕ごとそちらへ誘導していることに気がつくまで、時間がかかってしまった。
もう、歩く道の両側は、ラブホの出入り口ばかり。
道行く人は、ほとんどがカップル。その、いちゃつき度ったらない。
あんなん、ほぼ前戯だろう。
「なあ、あの、道、変えないか」
「なんで?」
彼女はキョトンとしている。けれど黒い瞳の奥には、真剣な意志が。
「なんでって……」
「ねえ、今日一日、あたしといてどうだった?」
「楽しかったよ。すごく。こんなこと、今ままでなかった。おれにはもったいないくらいだ」
「あたしも楽しかった。だったら、いいじゃない?」
うふっ。合歓が、大きな瞳を三日月にすぼめて、艶めかしく微笑んだ。
いっ!? い、いいって、ななな、何が。
それ、聞くのはさすがに野暮だ。それくらい、分かる。
え、いや、でもマジか?
場所が場所だけに、おれが勝手な想像してるだけじゃないか?
からかって楽しんでるんじゃないのか?
組んだ腕の指先がぎゅっと絡まれた。彼女の握りしめてくる手がやけに熱い。
肩でおれの背中を押すようにして歩みを早めていく合歓。
その歩く先には、お城みたいな建物の入り口があった。
電光掲示の看板には、ご休憩が二時間で五千円、ご宿泊八千円也と。
どうやらおれの勘違いではないようだ。冗談とも思えない。
しかし、いいんだろか。本当に。
「な、なあ。さ、さすがに、会った日には、は、早くないか?」
「ないわよ。だって、あたしたち気が合うんだもん。今日でいいじゃない。つき合ったら、最後に行き着くところは決まってるんだし。遠回りは、時間の無駄よね♪」
「んー」
……時間の無駄かあ。
どうしよう。これは、望んでいたことだ。この前リアル女子に告白したときには、こんな未来も期待していたはずだ。
そう、期待していた。自分に嘘はつけない。
正直、ずっとずっと望んでいたことだった。
有り体に言って、女の子と、えっちがしたい。その願いが今まさに、叶いそうになっている。なのに。
なのにどうして、心は躊躇している?
自分が本当に望んでいたことは、一体なんだったんだろう。
あらためて考えてみる。
今日は楽しかった。本当に楽しかった。
女子と一緒に一日過ごすのがこんなに楽しいなんて、今の今まで知らなかった。
そうだ、そうだよ、一緒に過ごすことが楽しいんだ。
なにも急いでえっちしなくても。
合歓が不意に、おれの左胸に手を添えた。
顔を近づけ、耳に息がかかる距離で、小さく「おねがい」とささやいた。
だ、だめだっ、取り繕っても、理性がリビドーで塗りつぶされる!
い、いっかあ……。
もういっか、このまま行っちゃえええっ!
「あれ、あんた、なんでここにいんの?」
唐突に聞こえたのは、別の女の声。
はっと我に返る。
いきなり首根っこつかまれて、無理矢理引っぱられた気分だった。
振り向くと、同じクラスの女子がいた。
たしか名前は、『眞砂(まなご)』とかなんとか。
「あんた、ははっ、女連れ? こんなとこ通って何しようってんの。いやらしい」
背の高い、クラスでも目立つ女子だ。
黒髪ロングと、切れ長の目。
和風な美女サマ。
態度でかいし、口悪いのに、なぜか妙なカリスマがあって、男女ともに人気のあるクラスの中心的人物ってやつ。
よりにもよって、こいつに見つかるなんて。この女、コミュ、半端なく広いぞ。
今晩中にでも噂を流されちまう。さらされちまう。冗談じゃなく、日本中いや世界中に。
それに、それにこいつは……。
「理人さん、だ・れ? このひと」
横合いから尖った声。
いてっ! 腕に爪立てられたっ。
合歓が怒っている? なんでだ!? まさか、嫉妬してんのか?
またしてもあの縁結びの神の言葉を思い出す。
『ケモノっ娘は、怒らせると恐いぞ』、『ほかの女子に懸想するなよ』。
おいおい、待ってくれ。ちょっと話しただけだろ。何もやましいことはないんだ。
「お、同じクラスの」
「おなじ? クラスの?」
「ただそれだけの、女子だよ」
ふ~ん、拗ねた声が合歓の喉元から響く。
長身の女が、性悪そうな笑みを浮かべた。
「なに? 仲よさそうじゃん」
ううう、なんて説明しよう。
知り合いに出くわすのは十分あり得たのに、全然考えてなかった。
「そっちの子さあ、なんか見たことあんよ? たっしか、蘭コーのお嬢さまでしょ」
へらへらしながら言う。
「な、なんで知ってんだよっ」
「そりゃあ知ってるよ。この辺のローカルサイトでさ、美少女ランキングに入ってたよ。けっこう人気あるんだよね」
ひいいっ!
合歓のこと、ほんとに把握しているのかっ!? 美少女ランキングって何? そんなことしてるサイトあんの? で、なんでこいつはそんなとこまでチェックしてんだよっ。
これだからリアル女子って恐えぇ。
「いいのぉ~? お嬢さまがこんなとこ歩って補導されたら、シャレんなんないよ」
「そ、そっちはどうなんだよ」
「あたし? あたしはバイト。あそこのコンビニね。そんで今、帰るとこ」
長い髪をばさっとかき上げ、にたりとクソ意地悪そうに笑い、さらにからかってくる。
「それでさ、あんたたちこれから、いやらしいことしに行くってわけ? わあ、いいねー、うらやましいねー」
困惑しきりのおれとは対照的に、
合歓はこいつの言葉にまったく動揺を見せず、これまで以上に腕を絡ませてきた。
自分以外の女と会話していることが気に入らない、とでも言うように。
またも、ぐにっと柔らかいものが押しつけられる。
お、おっぱいだ。
いや、それだけじゃない。
おっぱいどころか、肩も、腰も、丸みを帯びたおしりまでも。
合歓の半身が、おれの体に密着していた。
彼女の声が耳をくすぐる。「ねえ、いいからもう行こ?」
その黒い瞳が、すうっと横へ動く。それを追いかけて自分も目をやると、すぐ近くのラブホの入口へと至る。
つまり、早く入ろうと誘っているのか。あの女は無視して。
この子、想像していたよりもはるかに積極的だ。
しかも結構、力が強い。
引っ付き合うおれたちふたりを見て、背の高い性悪女が首を傾げて眉根を寄せた。
なんだろ、気のせいだろうか。
なにか怒っているような、もしくは驚いているような表情に見える。
え、まじで? とでも言いたげな。
無言のまま、三人で見合う。
変な空気だ。一秒一秒が、いやに長く感じられる。
ごくっと唾を飲み込む。
なんなんだ、この状況。
どうする? どうしよう。
あんな女相手にしてないで、とっとと合歓とラブホに入っちゃおっか。
いや、いやいや。いやいやいや。何考えてんだおれは。
待て待て、冷静になれ。
そんなことしたら、明日から学校大変だぞ。ただでさえクラスメートに告白してふられた直後なんだから。何言われるか分かったもんじゃない。
ここはお茶をにごして、一旦立ち去るのが、賢明。
何か、何かないか? 彼女の気を逸らせるものは。
ホテルとホテルの間の路地を、ちら、とのぞくと、向こう側には一般道が見える。
あっちはもう繁華街ではない。仕事帰りのサラリーマンとか、買い物帰りのおばちゃんとか、普通の通行人が行き交っている。
目を凝らせば、車道を背にして何かを売っている露天商が見えた。
「ね、合歓。な、なんか、あそこで何か売ってるみたい」
「えっ」
「ちょっと、あ、あっちに、行ってみようか」
「え~~~?」
合歓はあからさまな不満顔。
そりゃそうだ。せっかくのお誘いなのに、遠回しに断っているのだから。
いかん、ちゃんと機嫌取らなきゃ。
「何か良い物があったら、プレゼントするからさ、ね、ね」
プレゼント、と聞いた途端、ぱあっと顔が明るくなった。「ほんとっ!?」
表情から険が取れている。ふう、よかった。
現金な子だなあ。まあいいや、よしっ、今のうちだ。
今度は逆に合歓の腕を引っ張って、連れ去るようにして路地へ走り込んだ。
後ろからあの女が「おい、ちょっと」とか言ってきたが、当然無視。
走る途中、気になって後ろを振り向いてみたが、追ってくる様子はなかった。
露天ではシルバーアクセを売っていた。うう~ん……なかなかの値段だ。
デザインは、どうなんだろうか、格好いいとは思うが、本当にセンスが良いのかどうか自分にはよく分からない。
こういうのって、買ったことないから。
「これ」
彼女が指差したのは、髑髏をあしらったペンダント。
おお、意外……でもないか。
「ありがとう。ほんとうに買ってくれるのね」
「そりゃあね」
「逃げるための、方便かと思っちゃった」
背を軽く反らして、ふくよかな胸を前面につきだし、どんっとぶつかってきた。
おっぱいダイブ。
彼女は挑発している。人目もはばからず。
眼の前には露天商のおっさん、いるのに。
そして多分、まだちょっとは怒っているのだろう。
「今日は、これでいいわ。ね、次は絶対よ」
「うん」
絶対とは、アレのことだろう。
あえて聞かない。
「ぜ~~~ったい、よ」
「う、うん」
「ほんとよね? じゃ、約束のおまじない、するからね」
「おまじない?」
ほっぺに柔らかく、熱い、濡れた感触。
「これがおまじない」
何をされたか理解。そして茫然。
ぽお~っとした頭で、言われるがままに互いの連絡先を交換し合い、
その日はそれでお終いとなった。
当日の夜はひとりで反省会。
自分は女子慣れしていない。ひどく痛感。
もう少しスマートにできないものだろうか。
次のデートがいつになるか分からないが、そのときは今日より少しはましに振る舞いたい。
でも、なんだろ。なんかこれ、単なる女子との不純異性交遊もとい男女交際じゃないのか?
なにか最初と話が違うような気がする。
そう、大事なこと、忘れている。
……結局、あの子に『ねこみみ』を見せてもらっていない。
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