第4話 お泊まりしようぜ!

「ほんとに良いんですか? 皆さんの分が減りません?」

「いーのいーの! 買い置きのパンもあるから! どーせうちの男共は味なんてわかりゃしないしさー、パンだろうが何だろうがカロリーあればそれで満足する奴らだから。遠慮しないでいっぱい食べて! はいどうぞ!」


 レイは帰るつもりだったようだが、いつも朝の出発前に話している可愛いレイがうちに来たチャンス。母がそれを逃すはずがない。姉などはテーブルに片肘をつきながら『あたしの隣来いよ!』とキャバクラ嬢を呼ぶオッサン客のように手招きしてレイを座らせている。


 風呂に入っていたため遅れて登場した父はレイを見て開口一番に『おい風磨! お前やるじゃねえか!』と、部下の手柄を褒める山賊のような台詞を吐きながら、ガシガシとタオルで頭を拭いていた。レイはどこかの姫じゃないし人質でもない。


 何度もこいつは男だよ、小学校からの同級生だよ、と説明したのだが姉は『いつから付き合ってんだよコノヤロー。連れてくんの遅えんだよ』と言い放っていた。単なる友達ではなく弟の恋人として迎えられれば、いつでもうちに来てもらえる。私が存分に愛でてやろう。そんなところだろう、姉の考えることなんぞ。


 母は『あの日焼けして真っ黒な坊主集団の中にこの子がいたの!? 気付かなかった!』と仰天したあと、『で? うちのと結婚してくれるの? うちの子は強くて良いよ!』とボケ散らかしていた。これもいつものことである。俺はなにも期待していない。


 残るは父だ。ガッハッハまあ冗談はこの辺にして、と笑い飛ばしてくれると思っていたが『条例があるとこまで引っ越すと道場手伝って貰えなくなるからなあ。養子にすっか!』と同じくボケを爆発させていた。


 夫婦は長く付き合えば付き合うほど似てくるというが、どうにもおかしい。母でさえ身長168センチあり、父なんて185センチの巨人一家。姉の報告で沸いたあと、小さくて可愛い当人が出てきたことでテンションが急激に上がってしまい、数段飛ばしの結論までに至ってしまったのだろうか。レイ、ごめん。


 単に冗談を言い合える家庭、という風にレイの目には映っていてほしいと考えていた。普通はそうだろう。しかしずっと黙ってニコニコと食事を楽しんでいたレイは、一番話題に乗っかってきた。


「風磨くんが良いって言ってくれれば、オレはいつでもいいですよ! で、そのあとオレに秘伝の技を教えてもらえませんか!?」


 ……お前、それが目的だったのか。なんというブレない格闘技フリークだ。恐ろしい奴。身につけたい技のために、戸籍まで変えようとしてしまうとは。いやちょっと待てよ、そういうのは親の同意が先だろう。


「レイお前、そんなの親は良いって絶対言わな……」

「言う言う。オレ真ん中の次男だし。下に妹がいて、上に兄ちゃん姉ちゃんが揃ってっから。別になんの問題も頓着もねえよ」


「いやっ、でもっ、ちゃんと確認取ってからのほうが……」

「オッケー。取ってみる」


 レイはポケットに突っ込んでいたスマホを取り出し、パパパッと文章を書き込んでいる。おいおい。同意を求めるやり方がカジュアル過ぎないか。戸籍変更の話だぞ。あと、俺は同意してないんですけど。忘れてるだろう。いや、この場のみんなが忘れている。間違いない。


 レイは返信を待っている間、今日のことを家族の前で語っていた。繰り返すが、うちの直伝技は家族限定の機密である。いつものようにそれは殺人拳などではない、そんなものは存在しないしうちの道場で教えている技のひとつで、というフィルターをかけてくるだろうと思っていた。しかし。


「おお、出来栄えはどうだった? 相手は死んでなかったか?」

「多分死んでません。むちゃくちゃかっこよかったです!」


「あたしの方が上手いんだぞ。玲にもそのうち見せてやるわ」

「うわー! 楽しみです! 見たい見たい!」


「私、最近お稽古してない。父さん相手になってよー」

「う、うん……なあ玲くん、母さんは死角に入るの上手いんだ。怖いぞー。いつか相手になってくれ」

「はい! ぜひお願いします!」


ワハハハ、と楽しい団欒は継続された。おい。機密はどうした機密は。酒で頭がボケたのか。手を出したくとも出せずヤキモキしていた、さっきの俺がアホみたいじゃないか。


「おっ、返信来たわ」

「早くね? そんなんダメだろ絶対……」


「良いって言ってる」

「………………」


 どんな文章を打ったのだ、と聞くとレイはスマホの画面を見せてくれた。『オレついに誘拐されそうになったけど、すげー拳法の使い手の風磨が助けてくれた。同じクラスの家で道場やってる奴ね。そいつの家に入りたいから養子に行く』。その下の吹き出しには、爆笑している絵のスタンプと、『オッケー。今度連れてきてー』。


 オッケー、じゃねえよ。レイの父さんらしき人。息子は犬とか猫の仔じゃねえんだから。冗談だと思われてんだろ、と食い下がったのだがレイは『父さん格闘技オタクだからさー。オレより強い奴から色々教わって、モノにしてこいって思ってんだよ絶対』と全開の笑顔でそう答えてくれた。


「決定したな。飲もうぜ父さん」

「任せろ! 祝杯と言えばビールだな! 今日の唐揚げにも合うからな! 母さんは?」

「私カクテル作ろっかなー。父さんとお姉ちゃんはビールでしょ、風磨と玲くんは何にする?」

「未成年だから……いらない……」


 なぜか頼んでないオレンジジュースが俺らの前に配置され、各自の酒と共に乾杯の儀をやらされた。父はガハガハと笑いながらどんどんビールの缶を増やしている。姉は椅子の上に片膝を立て、レイが座った椅子の背に腕を回している。ずっと新人キャバ嬢を囲い込もうと企むオッサン客状態だ。母はシレッと高価な酒を開けては飲んでいる。それ正月に飲むやつなんじゃなかったのかよ。貰ったときは神棚に置いて拝んでたのに。


「あんな丸焼きコゲコゲ小僧たちの中にこーんなお姫様がいたとはねえ……あっ、お姫様って言われたら気分悪いかな?」

「大丈夫です。毎朝出迎えてくださって、たくさん可愛がってくださってありがとうございます」


 母が『キャー!』と叫び喜んでいたのは良いとして、レイだ。お前、嘘ついてるだろう。普段なら絶対キレてるとこだろが。うちの家族権を獲得したいからって無理してんだろ。ぶりっこしやがって。似合うけど。可愛いけど!


 山盛りにして出されていた唐揚げはどんどん減ってゆくのに対してグラスとビール缶は増えてゆく卓上。父は『サポーターとプロテクターのサイズ合うか? うちにあるので間に合うかな』と早速稽古のことを考えていた。姉は『あたしのでもデカいかもしんねーなー』と、レイの身体をベタベタお触り放題。カクテルと称したチャンポン酒で酔った母は誰の誕生日も近くないのに、ひとりでハッピーバースデーを歌っていた。


 シラフなのは俺とレイだけだ。客人であり歓待を受けているレイは家族に任せて俺は洗い物に勤しんだ。酔った両親に任せると皿という皿が割れまくり困るからだ。


 こんなに飲みやがって、とブツクサ言いながらビール缶を濯いでいると、姉が『なあレイよ。お前家族になんだからよ、あたしが簡単なのから教えてやるわ』と言ってレイを組み手に誘っていた。


 さっきまでしこたま飲酒し続けて、絶不調のコンディションのはずではあるが体幹が全くブレていない。さすが我が姉である。対してたらふく唐揚げを飲み込んで、腹いっぱいすぎるはずのレイも足取り自体は軽やかだ。姉の即席酔拳に翻弄されているが。


 そのうち稽古はただのプロレスへと雪崩れ込み、今はレイが首4の字固めを決められそうになっている。レイの小手返しが上手くいっていないのだ。そこで油断を誘おうとでもいうのか『ねーちゃんおっぱい当たってる!!』と叫ぶレイに対して姉は『ドゥハハハ!! 当ててんだよォォ!!』と悪役レスラーのような高笑いを畳敷きの場内に響かせていた。


 食後の運動を終え、歯磨きをして、就寝時間。明日はお待ちかねの休みではあるがクタクタだ。もう眠い。まだ姉と話していたレイを待とうと思ってはいたが、睡魔に負けた。電気を消して布団に潜り込むとすぐに目蓋が落ちてくる。そう、俺は負けたはずだったのだが。




 ぽす、とベッドの横に敷いた客用布団を踏む音と、人の気配で少し目が覚めた。レイか。確認するまでもない、とふたたび眠りの世界に落ちていこうとしたその時だ。


 背中に当たっていたはずの布団がふと消失し、外気が入ってきた気がする。あれ? とうっすら目を開けてみたところで続いて脚が侵入し、それは俺の太ももやふくらはぎにするりと巻きついた。そのすべすべとした肌触りを感知した途端、ゾクっとする気配が腰から背中に向けて勝手に走り抜けていった。


 思わず布団の中で振り返った。レイがいま自分で踏んだはずの客用布団に気付かないはずはないだろう。レイ、とほとんど眠っていた声帯を無理やり起こして呼びかけると、さっき巻きついてきた腕でふたたび俺を捕らえ、息を吹きかけるようにこう言った。


「……続きしないの?」

 

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