第64話 大丈夫

「ねぇ、ミルティア」


 私がソフォクレス伯爵邸にきてから、一年が少し過ぎた頃。

 いつものようにマニエス様と二人、アフタヌーンティーを楽しんでいたら。


「君は、この家に嫁ぐことを、重圧だと思ったことがある?」


 突然、そんなことをマニエス様が口にされたのです。

 それはきっと、ヴァネッサお姉様からのお手紙の内容をご存じだから、なのかもしれませんが。


「いいえ、まさか。むしろ初めてお話を聞いた時には、大変ありがたいことだと思いました」


 スコターディ男爵家では、何のお役にも立てなかった私が。嫁ぐことによって、ようやく存在の意味を見出せたのですから。

 もちろん、私が男として生まれていられれば、それが一番だったのですが。

 性別だけは、変えられませんので。仕方がないのです。


「本当に? 僕が言うのも何だけど、結構特殊な家柄だよ?」


 特殊というよりも、特別という言葉のほうがしっくりきますが。

 どちらにしても、国にとってソフォクレス伯爵家がとても重要な意味を持つことは、この一年で私もしっかりと認識しています。

 ただ、その上で。


「私はこちらのお屋敷にきてから、とてもよくしていただいておりますから。感謝の気持ちばかりで、重圧を感じたことは実は一度もないんです」


 本当に、皆様いい人ばかりで。

 きっと、ご当主である伯爵様……ではなく。お義父様のお人柄の賜物たまものだと思うのです。


「男爵家を出る際に感じていたのは、何か粗相をしてしまわないかとそればかりで。マニエス様もご存じの通り、私はあまり世間を知らないものですから」


 テーブルマナーも、昔に一度習っただけ。正直なところ、男爵家にいる時に全てを使うことは、ほぼありませんでしたから。

 今は逆に、毎日が練習の日々を過ごしている気分です。

 一年前よりは、かなり上達したとは思っておりますが。それでもまだまだ、伯爵家の皆様のような美しい所作しょさには、程遠いのです。


「お姉様は、そんな私を心配してくださっただけですから。お義父様やマニエス様にも、お姉様宛のお手紙を書いていただきましたし。きっと今頃、安心してくださっていると思います」


 あれから、ヴァネッサお姉様からお手紙を頂いたことは一度もありませんし。きっと、納得してくださったのでしょう。

 どんな内容だったのかは分かりませんが、きっとお義父様やマニエス様が、私なんかよりもずっと分かりやすく説明してくださっているはずですし。


「なので、大丈夫です。それに私は、病弱でもありませんよ? 熱を出して寝込んだ経験も、覚えている限りで数回しかありませんから」


 昔お母様に、無駄に頑丈だと褒められたことがあるくらいですから!


「……そ、っか。それなら安心だな」

「はい」


 そう、だから。私がマニエス様の婚約者となる予定のままでも、問題ないのです。

 それにきっと、そのほうがスコターディ男爵家としても都合がいいはずですから。

 などという言い訳じみた言葉を、心の中では並べてみるものの。本当の理由は、ただ私がマニエス様のお隣をどなたにも譲りたくないだけ。

 本心は、それだけなのです。


「……ん? あれ? ミルティア今、父上のことを、なんて……?」

「お義父様、ですか?」

「…………」

「……?」


 無言で見つめ合うこと、しばし。

 首をかしげる私を、金の瞳でジッと見つめてくるマニエス様。その銀の前髪が、風で揺れて。

 やがてマニエス様は、ぬるくなったカップの中の紅茶を、一気に飲み干して。ゆっくりと、息を吐くと。


「父上も母上も! ミルティアのことを気に入りすぎです! いいことですが!!」


 なぜか、そう叫んでおられました。


(え、っと。これは……)


 もしかして、私がお義父様やお義母様と仲良くなりすぎたことに、嫉妬していらっしゃる……?

 確かに、マニエス様は実の息子ですから。血の繋がった親子よりも仲良くなってしまうのは、あまりよろしいことではないのかもしれません。


「マニエス様、あの……」

「ミルティア! 今度また、僕と二人で街に出かけよう!」

「え? あ、はい」


 私の返事に、マニエス様は嬉しそうにクッキーをかじっていらっしゃいましたが。

 それは、私相手で本当によろしいのでしょうか?


(私としては、大変うれしい限りなのですが……)


 家族関係にヒビを入れない程度に、節度をたもって接するべきなのかもしれません。

 特にお義母様とは、定期的におしゃべりに花が咲いてしまうので。

 今後はしっかりと気を付けようと、強く心に決めました。





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